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フィリップ・K・ディック(友枝康子訳)『流れよわが涙、と警官は言った』(ハヤカワ文庫SF)を読みました。
学生なら学校に、社会人なら会社に行くと、友達や同僚など知り合いが挨拶してくれるはずです。何気なく交わされる挨拶、何気なく始まるいつもの一日。
ところがもしも、ある日突然、周りの人があなたのことをきょとんとした目で見つめ、必死で話しかけても「あなたのことなんか知らない」と言い出したなら?
そして、自分を証明できるものが何もなく、追って来る警察から逃げ続ける羽目に陥ってしまったら?
今回紹介する『流れよわが涙、と警官は言った』はまさにそんなストーリーのSFなんです。
三千万人の視聴者を誇る番組のTVスターであるジェイスン・ダヴァナー。しかしジェイスンはある日、世界中の人間が誰ひとり自分のことを知らなくなっているということに気が付きます。
自分の記録を調べるために、出生登録センターに問い合わせると、出生の記録すらありませんでした。一体何が起こったというのか?
ジェイスンは偽のIDを手に入れ、行くあてもない逃亡生活を続けますが・・・。
かなりスリリングな物語で、興味を持った方はぜひ読んでもらいたいと思いますけども、実際に読んでみると、単に「自分のことを誰も知らない世界」での奮闘を描いた物語ではありませんでした。
この本のタイトルは、『流れよわが涙、と警官は言った』ですよね。原題も、"FLOW MY TEARS,THE POLICEMAN SAID" ですから、ほとんど同じです。
重要なのは、物語の主人公であるジェイスンは警官ではないこと。そして、物語にはフェリックス・バックマンという警察本部長が登場します。
バックマンは偽造IDで行動する怪しげな男、ジェイスンを追って行く側の人間です。鬼ごっこで言うところの鬼にあたるわけですから、ジェイスンの目線で言うと、恐怖の対象になる存在です。
しかし、ジェイスンは実は「スイックス」なんですね。
「スイックス」について、本文で詳しい説明はあまりなかったと思いますけども、「DNA遺伝子組み替え系統の六番めの系統」(225ページ)のことです。
つまり、遺伝子が組み替えられて、すばらしい才能が発揮できるように人為的に作られた人間らしいんですね。
だからこそ、ジェイスンは誰もが羨むスターになったわけです。歌声など、才能に満ち溢れているジェイスン。
しかし、人間に対する感情移入や音楽や陶器など、芸術作品に対する共感力には欠けています。
一方のバックマンは、時に冷酷にならざるをえない警官という職業でありながら、詩や音楽など芸術を心から愛しています。
そんなジェイスンとバックマンの対話を読んでみてください。少し長いですが、極めて重要な場面です。
「そうさ」バックマン本部長は写真を机の中にしまいながら言った。「自分の子供に対してはだれでもそうなんだ。きみが自分の生活から何を除外したかを考えてみるんだね。あんた、子供を愛したことがあるかね? それがあんたの心を、あんたのいちばん奥深い部分、あんたの急所を痛めつけるんだ」
「それは知りませんでしたよ」
「ああ、そうだろうな。妻の言うには、どんな愛でも忘れることができるが、子供に対する愛だけは別だそうだ。一方通行だがね、けっして見かえりはない。そしてもしなにかがその人間と子供のあいだを引き裂いたら――たとえば死とか、それとも離婚のような不幸だがね――その人間は二度と立ちなおれない」
「やれやれだな」――ジェイスンはソーセージをいっぱいにさしたフォークを振り回しながら言った――「それじゃ、そんなたぐいの愛情は最初からないほうがいいってことですかね」
「わたしはそう思わんよ。人はたえず愛してなくてはいかん、とくに子供をな。いちばん強い愛のかたちだからね」
「それはわかりますよ」
「いや、あんたはわかってやしない。スイックスには理解できない。話しあってもむだだ」
(略)
たがいを結ぶ橋がふいに消えて、ふたりはしばらく口をきかずに食事をした。(239~240)
愛の大切さを語る「普通の人間」と、愛を理解しない「スイックス」の対話。この場面だけを読むと、みなさんもやはり「普通の人間」の側の話の方が理解しやすいだろうと思うんです。
そうすると、この小説は、「スイックス」であるジェイスンの側から描かれることの多い物語ですが、同時に「普通の人間」と「スイックス」が対比関係に置かれ、そこから浮かび上がるテーマもある物語なんですね。
突然、「自分のことを誰も知らない」奇妙な世界へ迷い込んでしまったジェイスンの逃亡を描いたスリリングな小説として単純に楽しむのもよいですし、そうしたテーマについて深く考えてもいけるSFです。
作品のあらすじ
1988年10月11日。大人気TV番組「ジェイスン・タヴァナー・ショー」の放映が無事に終わります。
ちなみに、この小説が発表されたのは1974年なので、1988年は少し未来という設定ですね。
番組を終えた、42歳のジェイスン。タヴァナーは、今夜のゲストで歌手のヘザー・ハートと一緒に飛行艇で移動しています。
ヘザーもジェイスンと同じ「スイックス」で、素晴らしい才能と若々しい容姿に恵まれており、「スイックス」だからこそ、お互いに理解し合える部分があります。
やがて、飛行艇にマリリン・メイスンという女性から電話がかかって来ました。マリリンは、ジェイスンが関係を持つかわりに、オーディションを斡旋してやった女性です。
しかし、オーディションで上手くいかなかったマリリンはジェイスンに恨みを抱いていたんですね。
のこのことマリリンの所へ出掛けていったジェイスンは、「ゼラチン状に丸まったカリストの海綿動物」(27ページ)をぶちまけられてしまいました。
生き物の食餌管が胸の中に食い込んでいき、なんとかスコッチで撃退したものの、ジェイスンは、そのまま病院へ直行します。
気絶するように意識を失ったジェイスンは目を覚ますと、自分が見知らぬ安っぽいホテルの部屋の中にいることに気付きました。
何が起こったかよく分からず、ジェイスンはとりあえず自分のエージェントに電話をかけました。しかし、「いったいどなたでしょうか?」(32ページ)と冷たく言われてしまいます。
そして、新聞を見ますが、いつも載っているはずの新聞に、自分の名前は見当たりません。ジェイスンは出生登録センターに記録の照会をしましたが・・・。
カチッと音がして係員がふたたび出た。「ミスター・ジェイスン・タヴァナー、一九四六年十二月十六日、クック郡生まれ、ですね」
「そうです」
「該当の年月や場所でそのお名前での出生登録はありませんね。おっしゃる事実は確かなんでしょうね?」(38ページ)
誰も知らないどころか、自分の存在そのものの記録すらないのです。
もしも警察や国家警備隊に捕まった時に、IDがなければ大変なことになります。そこで、ジェイスンはたまたま紹介された、IDの書類を偽造するキャシィの所へ行きました。
キャシィは気に入らない相手だと警察に密告することもあるようですが、なにかとジェイスンの力になってくれます。帰らない夫を待ち続け、少し精神的に病んだところのあるキャシィ。
自分自身に、声に出して、彼は言ってきかせた。「おれはこのでかい、血のめぐりのわるい頭で人生のドアをぶち開けてしまったんだ。もういまさら閉められやしない」
「それはなにからの引用?」キャシィがきいた。
「わたしの人生からだ」
「でも詩みたいよ」
「もしきみがわたしのショーを観てたら、ときどきこんなひらめきを披露してるのを知ってたのにな」(71ページ)
キャシィの偽造した書類はとてもよく出来ていて、警察に捕まった時も無事に切り抜けられました。
しかし、警察はより詳しく調査をし、ジェイスン・タヴァナーという人物は存在しないことが分かってしまいます。
指紋、声紋、足紋、脳波で、国中のデータ・バンクを検索しても、該当人物がいないのです。そんなことはありえないことですから、そこから一つの結論が導かれました。
つまり、ジェイスンは何らかの方法で、データ・バンクから自分の資料を盗み出したのだと。
フェリックス・バックマン本部長率いる警察は、ひそかにつけていた超小型発信機を頼りに、ジェイスンの行方を追い始めました。
一方、ジェイスンは自分が隠れられる所を探します。要するに、女性をひっかけて、その家に潜り込もうというのです。
静かに迫り来る警察。逃げるジェイスン。何故、ジェイスンはこの奇妙な世界へ入り込んでしまったのか? 最後にたどり着いた、驚くべき真実とは!?
とまあそんなお話です。タイトルで涙という言葉が使われているように、”悲しみ”が重要なモチーフの物語でもあります。
ジェイスンはやがて、ルース・レイという女性と出会います。ルースのこんな言葉が、ぼくはとても印象的でした。
悲しみはあんたと失ったものをもう一度結びつけるの。同化するのよ。離れ去ろうとする愛するものや人とともに行くのね。なんらかの方法で自分自身を分裂させて、その相手と同行して、その旅の道づれになる。行けるところまでついていくの。(200ページ)
”悲しみ”は単なる感情ではなくて、失った人や物と、もう一度密接に繋がれることでもあるわけですね。ジェイスンに「スイックス」なので、ルースの言葉は理解できませんでしたが・・・。
逃げる側と追う側と交互に描かれたりもするので、多少物語は分かりづらいかもしれませんが、ジェイスンとバックマンさえ覚えておけばなんとかなります。
あとは重要なキャラクターとして、アリスという女性が出て来るのですが、アリスがどういう女性なのかは、本編でのお楽しみということにしましょう。
物語のスリリングさとテーマの深さを兼ね備えたSFです。興味を持った方は、ぜひ読んでみてください。
おすすめの関連作品
「自分のことを誰も知らなくなってしまう」というテーマでマンガを一つ紹介しましょう。
藤田和日郎の『うしおととら』というマンガをご存知でしょうか。90年代に「週刊少年サンデー」で連載されていたマンガです。
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うしおという少年はある時、実家の蔵で槍を見つけます。その槍に刺されていたせいで、何百年もの間、身動きが取れなかった妖怪が自由になってしまい、うしおに襲い掛かってきました。
妖怪はうしおを殺そうとするわけですが、うしをは槍を操って身を守ります。実はその槍は「獣の槍」という妖怪を倒すために作られたすごい武器だったんです。
うしおをいつか殺してやろうと思う妖怪ですが、「獣の槍」があるせいで殺せません。
妖怪はなんとなく虎に似ているからということで「とら」と名付けられ、うしおととらは、互いにぶつかりあいながらも、迫り来る妖怪たちと戦うようになっていって・・・。
仲良しのコンビもいいですが、互いに嫌い合う2人がいつしか大切なパートナーになるというのは、物語として、やはりとても面白いです。
少年マンガというものは、時としてワンパターンに陥ってしまいがちなものなんですね。
(1)敵キャラクターが現れる、(2)その敵キャラクターよりも強い敵が現れる(最初の敵キャラクターが仲間に加わることもある)の繰り返しになってしまうんですね。
そうすると、たとえ長編マンガであったとしても、実際は連作(短編の連続)だったりしますし、なおかつ主人公キャラクターの強さのインフレーション(どんどん強くなりすぎてしまう)が起こってしまいがちです。
『うしおととら』は、全体を通して、最終的な大ボス、「白面の者」という妖怪と戦うという軸はぶれませんから、その素晴らしい構成力は特筆に値すると思います。
『うしおととら』の話題は最近あまり耳にしませんけども、岸本斉史の『NARUTO』の人気が海外でも高いのは、「ニンジャ」という日本独特の要素が取り入れられているからでもありますよね。
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「妖怪」にもまたそうした日本独特の魅力があるわけで、『うしおととら』はいつかまた脚光を浴びる日が来るんじゃないかと、ぼくはそんな風に思ったりもしています。
『うしおととら』の終盤で、「白面の者」が放った妖怪のせいで、周りの人々からうしおの記憶が消えてしまう話があるんです。
親しかった友人、家族、みんなに冷たい扱いをされて、うしおは絶望的なまでの孤独に陥ります。
強大な敵に立ち向かうには、みんなで団結するしかないのですが、その団結の中心にいたうしおのことを忘れてしまったわけですから、仲間はみんなばらばらになってしまいました。
このまま「白面の者」に世界は滅ぼされてしまうのか!?
『うしおととら』はホラーテイストというか、妖怪と戦う話なので、ちょっと怖い感じもありますけども、とても面白いマンガなので、機会があればぜひ読んでみてください。
明日は、ブラム・ストーカー『吸血鬼ドラキュラ』を紹介する予定です。