吉本ばなな『キッチン』 | 文学どうでしょう

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キッチン (新潮文庫)/吉本 ばなな

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吉本ばなな『キッチン』(新潮文庫)を読みました。

ぼくが初めて読んだ吉本ばななの作品は、『TUGUMI』でした。きっかけは、大学受験の模試で、国語の問題に使われていたこと。

受験生であるにもかかわらず、模試を終えた後、すぐに本を買って読んだ覚えがあるので、当時のぼくにとっては、それだけ印象的な文章だったんだろうと思います。

吉本ばななは、村上春樹と並んでヨーロッパなど、海外からも注目されている作家です。大好きという人もいれば、なんとなく苦手という人もいて、そうした両極端の反応を呼び起こしている所にも共通点があります。

何故、翻訳という壁を超えて、海外でも高く評価されているのか、そして何故、それほど極端な反応を呼び起こしているのかを、少し考えてみたいと思います。

それはおそらく、吉本ばななも村上春樹も、「現実の一歩向こう側」を描く作家だからです。或いはそれは、寓意的な作品を書く作家と言い換えることが出来るかも知れません。

寓意的な作品というのは、語られる物語が単なる物語では終わらずに、何かしらのメッセージを持つもののことです。

「恋愛」が描かれていても、それは単なる「恋愛」ではなく、また、誰かの「死」が描かれていても、それは単なる「死」ではないんですね。

「物語として語られていること」と「物語が指し示していること」には、ずれがあるんです。

そのずれは、スピリチュアル(精神世界など)な要素を持っていたりもするんですが、そうした感覚的な部分が、海外で評価される大きな理由であり、また、好きな人と嫌いな人がいるという、両極端な反応を生み出している部分だろうと思います。

さて、今回紹介する吉本ばななの『キッチン』には、3作品が収録されているんですが、そのすべてにおいて「死」が一つの大きなテーマになっています。

しかしながら、その「死」の扱い方というのはやや異質で、身近にいる大切な人の「死」によって与えられた衝撃がそのまま描かれる物語とは、何かが決定的に違うんですね。

「満月」という作品の中に、「二人の気持ちは死に囲まれた闇の中で、ゆるやかなカーブをぴったり寄り添ってまわっているところだった」(123ページ)という一文がありますが、まさにそんな風に「死」そのものではなく、「死」の周縁を描いた物語なんです。

物語として描かれていることは、何気ない日常です。でもその日常の向こう側に、「死」がもたらすイメージがあります。

直接的な感情の描写がないわけではないですが、どちらかと言えば、感覚的なものを、直接的に描かないことによって描いている作品なんですね。

ここ最近、ジュール・ヴェルヌや金庸など、めまぐるしく物語が展開するものを続けて読んできていたので、ストーリーではなく、感覚的な表現で紡がれていく吉本ばななの小説を、とても心地よく読むことが出来ました。

たとえば、こんな文章をちょっと読んでみてください。

 透明にしんとした時間が、ペンの音と共に一滴一滴落ちてゆく。
 外は春の嵐のような、あたたかい風がごうごう吹いていた。夜景も揺れるようだ。(中略)風が、強い。木や電線の揺れる音が聞こえてくるようだ。目を閉じて、おりたたみの小さなテーブルにひじをついて、私は聞こえない街並みに思いをはせていた。(41ページ)


「キッチン」で、友達に引っ越しを知らせるハガキの宛名書きをしている場面ですが、とても印象的な文章ですよね。こうした詩的で感覚的な文章も、吉本ばななの大きな魅力だと思います。

作品のあらすじ


『キッチン』には、「キッチン」「満月――キッチン2」「ムーンライト・シャドウ」の3編が収録されています。

「キッチン」

「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」(9ページ)という一文から始まります。

両親を亡くし、祖母と2人で暮らしていた〈私〉こと桜井みかげですが、祖母を亡くしてしまうんですね。1人で暮らすには家賃も高すぎるので、引っ越し先を探さなければなりません。

しかし、「涙があんまりで出ない飽和した悲しみにともなう、柔らかな眠け」(10ページ)を感じている〈私〉は、台所に布団を敷いて、無気力に眠って過ごしています。

ある時、ドアチャイムが鳴って、田辺雄一が突然やって来ました。葬式の手伝いをしてくれ、祖母の遺影を見て、「ぽろぽろと涙をこぼした」(13ページ)雄一。

雄一は祖母がよく行く花屋でアルバイトをしていて、祖母と親しかったらしいんですね。〈私〉と同じ大学に通う学生なんですが、〈私〉とは、顔見知り程度の間柄です。

雄一はしばらくの間、自分の家で一緒に暮らさないかと〈私〉に言ってくれました。

雄一は母親のえり子と暮らしているんですが、えり子と会って〈私〉は驚きます。エネルギーに満ち溢れた人だったからです。

肩までのさらさらの髪、切れ長の深い輝き、形のよい唇、すっと高い鼻すじ――そして、その全体からかもしだされる生命力の揺れみたいな鮮やかな光――人間じゃないみたいだった。こんな人見たことない。(19ページ)


そしてなんとえり子は雄一の母親ではなくて、本当は父親だということを知らされて、さらに驚きました。

オカマバーで働くえり子、優しいながらもどこか冷たさを感じさせる雄一との、奇妙な共同生活が始まって・・・。

傷ついた心を抱いた〈私〉が、再びスタートするまでの物語です。

「満月――キッチン2」

田辺家を出た〈私〉は大学を辞め、料理研究家のアシスタントをしています。ところが雄一から、ある悲しい出来事について知らされるんですね。

〈私〉は久しぶりに田辺家を訪れ、夕食を作ることになります。買い出しした荷物を2人で運んでいると、月がとても綺麗なことに気が付きました。

 昇ってゆくエレベーターの箱の中で雄一が言った。
「やっぱり、関係あるんでしょ。」
「なにが?」
「すごく月がきれいなのを見た、とかって料理の出来に響くんでしょ。月見うどん作るとかそういう間接的なことじゃなくてさ。」
 チン、とエレベーターが止まり、私の心が瞬間、真空になった。歩きながら私は言った。
「もっと、本質的に?」
「そうそう。人間的にね。」
「あるの。絶対にあるわ。」
 私はすぐさま言った。(85ページ)


〈私〉はつい電話に出てしまい、雄一に好意を寄せている女の子から「みかげさんは恋人としての責任を全部のがれてる。恋愛の楽しいところだけを、楽して味わって」(99ページ)と責められることになります。

同じように悲しみの心を抱えた〈私〉と雄一の距離はぐっと近付きますが、引き寄せられる力が強ければ強いほど、2人の心は反発するように離れてしまうような所があります。

〈私〉は先生の仕事に付き添うため東京を発ち、一方の雄一も旅に出て・・・。はたして、2人の関係の行方は?

「ムーンライト・シャドウ」

ジョギングをしていた〈私〉ことさつきは、突然話しかけられて、水筒を川に落としてしまいました。

いきなり話しかけて来たうららという女性は、「もうすぐここで百年に一度の見ものがあるのよ」(152ページ)と教えてくれます。

〈私〉は学校帰りの柊と喫茶店で待ち合わせていました。柊は18歳の男子学生ですが、セーラー服を着ているんですね。

〈私〉はちょっとした仕草が柊の兄、等によく似ていると思います。〈私〉は等とずっと付き合っていて、柊にもゆみこというテニスの上手な恋人がいました。

4人はとても仲のいいグループだったのですが、等がゆみこを車で送って行く途中で事故に遭い、2人は亡くなってしまいました。2ヶ月前の出来事です。

等を亡くした〈私〉はジョギングを始め、ゆみこを亡くした柊は、ゆみこのセーラー服を着て日々を過ごしています。

〈私〉はやがて、「百年に一度の見もの」という不思議なものを目にすることになって・・・。

とまあそんな3編が収録された作品集です。3編とも、大切な誰かを失ってしまった悲しみが描かれています。

しかし、それが単なる悲しみという直接的な感情として描かれるのではなく、何気ない日常風景を通して、間接的に描かれている所に吉本ばななの特徴があり、何よりの魅力があります。

個人的には、作品の構造としても、作品から感じるものとしても、「満月――キッチン2」が一番よいと思いますが、「キッチン」も「ムーンライト・シャドウ」も、それぞれ違った持ち味のある、優れた作品です。

ゆったりとした時間が流れる、不思議な魅力のある作品ばかりなので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

おすすめの関連作品


リンクとして、映画を1本紹介します。

キッチンが出てくる映画と言えば、『ソウル・キッチン』がおすすめです。

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日本ではあまり知名度はないですが、ファティ・アキン監督は、名だたる賞を総なめにしている、かなりすごい映画監督です。

では、簡単に『ソウル・キッチン』のあらすじを紹介しましょう。

しがない料理人がお店をやっているんですが、客層も貧しい人ばかりなので、まあひどい料理ばかりを出しているんです。それでも満足してなんとかやっています。

ところが、刑務所から兄が出て来ると、次から次へと災難が降りかかります。保健所からは衛生面で睨まれ、恋人は去り、腰を痛めて料理が出来なくなってしまいました。もう踏んだり蹴ったりです。

腕はずば抜けているものの、プライドが高く、協調性のない天才シェフを雇い、心機一転営業を再開しますが、だらしない兄がギャンブルでお店の権利を賭けてしまい・・・。

とまあそんなお話で、どん底から這い上がるというストーリー展開は王道で面白いですし、欠点のある天才シェフというキャラクター設定にも魅力があります。

ドイツ映画なので、出て来る風景など馴染みがない感じもあるかとは思いますが、たくさん笑って感動出来るエンターテイメント作品なので、機会があればぜひ観てみてください。

明日は、山田詠美『ぼくは勉強ができない』を紹介する予定です。