トマス・ハーディ『テス』 | 文学どうでしょう

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トマス・ハーディ(井出弘之訳)『テス』(上下、ちくま文庫)を読みました。

初めて『テス』を読み終わった時、窓の外を眺めると、どんよりした曇り空が広がっていました。まるでぼくの心境のように薄ぼんやりしていて、それでいてずっしりと重々しく。

もしかしたら単にぼくがそんな気持ちだったから、そんな風に見えただけなのかもしれません。それから2、3日、ぼくはどこか憂鬱な気持ちを抱えて日々を過ごしました。『テス』はそんな小説なんです。

『テス』はホーソーンの『緋文字』のリンクの時にも触れましたが、ぼくの中の「トラウマ本第1位」と「2度と読み返したくない小説第1位」の2冠を達成した小説です。まあでも腹くくって読み直しましたよ。

トラウマになったからと言って、決してつまらない小説だと言うわけではありません。むしろそれだけぼくらの心に影響力を与える小説なんです。

『テス』の中で扱われている問題というのは、もちろんその当時の価値観、あるいは宗教的な考えで成立するジレンマではあるんですが、現在でも充分通用するテーマだろうと思うんです。

物語の主人公テスの夫になる人はエンジェルという人ですけども、ぼくはこのエンジェルの立場になって考えてしまいます。

もしぼくが妻(あるいは恋人でも)からああいうことを告げられたら、一体どうするか?

小説や映画など、虚構世界の出来事は結局のところフィクションですから、誰が死のうと何が起ころうと、本来はどうでもいいんです。どうでもいいと言うと少しあれですけども、要するにミステリで人が殺されてもぼくらの人生には全く関係ないわけです。

ところが『テス』で提示されるテーマというのは、ぼく自身の価値観なり倫理観自体を揺さぶるものでした。そうすると自分自身の経験なりジレンマとして抱え込んでしまわざるをえないわけで、ぼくはまるで現実の出来事のように思い悩んでしまいました。

エンジェルというキャラクターに対しては、永冨友海の巻末エッセイでも触れられていましたけども、ダブル・スタンダードだという批判は可能ですし、実際その通りだろうと思います。

ダブル・スタンダードというのは、対象によって基準を変えるということです。つまりこの場合は同じことをしていても男は許されるけれど、女は許されないということ。それは男と女で基準が違っていることなわけです。

批判としては、男が許されるなら、女も許されるべきだと、そういうことになります。

それはすごくよく分かるんですが、そのダブル・スタンダードの問題はどうでもいいんです。ここで重要なのは、理性と感情が分かれる問題であること。

つまり理性で正しいと思うことと、感情で納得することは違うんです。これは恋愛でも同じですよね。理性で考えて、合理的に人を好きになるわけではないはずです。感情の問題がつきまといます。愛でも憎しみでもそれは同じです。

エンジェルの、そして同時にぼくが抱え込んでしまったジレンマというのは、理性ではすぐ解決されるんです。自分自身が納得すればいいだけの話だと。ところがどうしても感情がついてきません。これが非常に難しいところです。

ジレンマの内容に触れていないので、抽象的なことを随分書いてしまいました。ともかく、思い悩むようなジレンマが含まれた小説だということです。

『テス』というのは、1人の女性の人生を描いた物語です。テスという純粋で美しい娘が運命の荒波に翻弄されてしまうんです。幸せの光に手が届きそうになると、いたずらな運命の風が吹いて・・・。

作品のあらすじ


卵を入れた籠を持った1人の男が、ふらふら歩いてくるところから物語は始まります。この男と牧師さんが道で会って立ち話をします。この時、牧師さんが何気なく言ったことがテスの人生を大きく変えることになります。

牧師さんはこの男に何を言ったかというと、ダーバヴィル一族という旧家の系図を調査していると、この男がその子孫にあたることが分かったと言うんです。

由緒正しき一族と言うことだけではなく、身分が高く、土地や財産を持っていた人の末裔だというわけです。このダーバヴィル一族は今は途絶えてしまっています。どこかで枝分かれした子孫なんですね。

そう告げられた男はダービフィールドといいます。たとえダーバヴィル一族の末裔だったとしても、もうなにもないんですよ。末裔であったところでなんにもならないんです。

ところが、そうと知ってからと言うものの、自分はダーバヴィル一族の末裔だと言って全然働かなくなってしまいます。このダービフィールドの娘がテスです。「品のいいきれいな娘」(上、24ページ)であるテスがどんな娘か、こんな風に書かれています。

 彼女の面立ちには、今もどこかに幼い頃の、幾段階かの面影がひそんでいた。今日も練り歩く彼女は、はち切れそうな立派な一人前の女らしさを見せてはいたが、時おりその頬に十二歳の彼女がのぞく、眼もとに九歳の彼女がきらめく。いや、ふとした折にひょいと唇の曲線を、五歳の頃の彼女がかすめることもあった。
 だがこの事実に気づく者はほとんどいない。それを心にとどめる者はさらに限られていた。ごくわずかな者、それも主として余所者が、通りすがりに偶然彼女に見とれ、そのういういしさに瞬時心奪われて、はたして再びこの娘にまみえる日がめぐり来るだろうかと、歎息をつく。だが大抵の場合は彼女はすてきな、絵のような田舎娘、ただそれだけのことであった。(上、26ページ)


ずば抜けて美しい女性というわけではなく、まだ完成されていないかわいらしさがあるんです。そしてそこに隠れたように光る魅力。そんなテスです。うぶなというか、まあ田舎娘なんです。

テスの一家は行商と言って、商品を売り歩く仕事をしているんですが、肝心の馬が事故で死んでしまうんです。生活は貧しくなります。そんなある時、ミセス・ダーバヴィルというお金持ちがいるということを知ります。

きっと親戚に違いないから、親戚の名乗りに行ってこいと母親に言われたテスは出かけていって、そこで働くことになります。ここであえてざっくり飛ばします。しばらくダーバヴィル家にいたテスは自分の家に帰ってきます。

そしてある農場で働くことになります。仲のいい娘たちと牛の乳を絞ったりして一生懸命働くテス。その農場にエンジェル・クレアという男が働いているんです。娘たちはみんな美男子のエンジェルに夢中。

エンジェルというのは少し変わっていて、牧師の息子なんですが、聖職の道に行かないんです。いずれ自分の牧場の経営をしたいというので修行に来ているんですね。このエンジェルが好きになったのがテスなんです。

やがてエンジェルはテスに求婚します。テスもエンジェルに惹かれているんですが、求婚を拒み続けます。やがてエンジェルの熱い想いがテスの頑なな心を打ち負かし、2人は結婚することになります。

そして結婚式が無事終わった夜のこと。エンジェルはテスにある打ち明け話をし、テスもエンジェルに打ち明け話をします。その時の様子がこんな風に書かれています。

 二人は今も手をつないでいた。炉格子の下の灰が、真上から火に照らされて、焦熱の砂漠のようだった。想像力豊かな者なら、この真っ赤な石炭の輝きに、最後の審判の日の物凄さを見たかも知れなかった。それは彼の顔と手、そして彼女の顔と手を照らし、また彼女の額のあたりのほつれ毛の間に射し入って、そのかげのきめこまやかな膚を輝かせていた。彼女の全身の影が、壁と天井に大きく広がっている。彼女が前へ身をかがめると、首もとのダイヤモンドの一つ一つが、まるでヒキガエルの眼のように不吉に輝いた。(上、458ページ)


エンジェルとテスは熱烈に愛しあっているんです。ところが、テスの打ち明け話が終わった瞬間に、すべての物事が変わってしまいます。

エンジェルはテスから離れ、遠くへ旅立ちます。テスは一人、エンジェルに赦される日を待ち続け、そして・・・。

とまあそんな物語です。実はエンジェルとテスというのは、物語の最初の方で出会いそうになったりもしているんです。ささいなボタンのかけ違いというか、運命のいたずらについて考えさせられます。

もしあの時、エンジェルとテスが一緒にダンスを踊っていたら。あるいは牧師さんがテスの父親に余計なことを言わなければ。あるいは馬が事故で死ななければ。テスの運命はまた違ったものになっていたはずです。

散々トラウマだのなんだの言ってきたので、読む気をなくさせてしまったかもしれませんけども、読み手の感情を揺さぶるという点でこれほど面白い小説もなかなかないです。ちょっと腹をくくってぜひ読んでみてください。一体テスはどんな打ち明け話をしたのか。

おすすめの関連作品


今回のリンクでは、ぼくのトラウマになっている映画を3本紹介します。

まずはトラウマ映画界の超大物と言っても過言ではない『ダンサー・イン・ザ・ダーク』です。

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歌手のビョークが主演で、ミュージカルっぽい映画なんですが、テーマとしてはすごく重いです。これを観た後、夕ご飯を食べられませんでした。もう2度と観ないです。映画がつまらないとかそういうことではなくて、ぼくにとってはショッキング過ぎる展開でした(特にラスト)。

続いては、『ミスト』。原作スティーヴン・キング、監督フランク・ダラボンという、『ショーシャンクの空に』の最強コンビがしでかしてくれました。

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基本的にはホラーのような感じです。霧の中になにか得体の知れない存在がいるらしいと。なんとか生き延びようとする父子とその仲間たち。はたして彼らの運命はいかに!? もう2度と観ないです。映画がつまらないとかそういうことではなくて、ぼくにとってはショッキング過ぎる展開でした(特にラスト)。

最後は、ウィル・スミス主演の『7つの贈り物』です。『幸せのちから』と同じようなハートウォーミングな話かと思ったら全然違いました。

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この映画は、ウィル・スミスがなにをしようとしているのか、途中まで全く分からないんです。「7つの贈り物」ってなんだろう? と思いながら観るわけですが、その意味が分かった瞬間にぼくは青ざめてがくがく震えました。

もう2度と観ないです。映画がつまらないとかそういうことではなくて、ぼくにとってはショッキング過ぎる展開でした(特にラスト)。どれもこれもラストひどいです。

以上、トラウマ映画3本でした。まあトラウマになるということは悪いことだけではなくて、それだけインパクトが強いということでもあります。機会があれば観てみるとよいのではないでしょうか。ぼくはもう観ませんけど・・・。

明日は、小峰元『アルキメデスは手を汚さない』を紹介します。東野圭吾が作家を目指すきっかけになった1冊らしいですよ。