ミルチャ・エリアーデ/アルベルト・モラヴィア『マイトレイ/軽蔑』 | 文学どうでしょう

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マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)/アルべルト・モラヴィア

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ミルチャ・エリアーデ/アルベルト・モラヴィア(住谷春也/大久保昭男訳)『マイトレイ/軽蔑』(河出書房新社)を読みました。池澤夏樹=個人編集世界文学全集の1冊です。

ぼくが読むのは7冊目。全30冊なので、もうちょっとペースをあげて読んでいきたいと思ってはいるんですが、サイズが大きくて持ち運びづらいのがネックです。でもがんばります。ちょこちょこ読んでいきます。

池澤夏樹=個人編集世界文学全集は、実は正統派の世界文学全集とは少し違っていて、そこが大きな魅力になっています。たとえばドストエフスキーやトルストイなど、世界文学の王道のラインナップではないんです。

この巻は、エリアーデの「マイトレイ」とモラヴィアの「軽蔑」の2作品が収められています。モラヴィアは『無関心な人びと』が岩波文庫にあるので読んだことがありましたが、エリアーデになると、文学好きの人も名前は知っているけれど・・・という感じだろうと思います。ぼくも初めて読みました。

そういったスポットの当たりづらい作家の作品を多く収録している点で、すごく価値のある世界文学全集ですよね。ぼくも少しずつ全巻読破に挑戦しているところです。興味のある方は一緒に挑んでみてください。

徐々にこの巻の話に戻していきますが、この巻は相当面白いです。「マイトレイ」と「軽蔑」というラインナップはすごくいい合わさり方をしています。

まずなにより愛をテーマにしていること。そして両作品ともある種の衝撃というか、読者の心を強く揺さぶる作品なんですが、その心揺さぶられる感覚として共通するものがあると思います。

作品のあらすじ


エリアーデ「マイトレイ」


「マイトレイ」は、文化、境遇の違う男女の恋愛を描いた物語です。

エリアーデはこの本の略歴によると、ルーマニア出身の作家で、世界的権威のある宗教学者でもあるそうです。この「マイトレイ」には、ある程度エリアーデの実体験が投影されているみたいですね。

物語は〈私〉がマイトレイのことを回想するところから始まります。マイトレイというのは女性の名前なんです。

〈私〉はルーマニア出身で若い頃インドで働いていました。デルタ運河会社の技術設計の仕事です。そこの上司のナレンドラ・センと親しくなります。

そのナレンドラ・センの娘がマイトレイです。〈私〉は初めてマイトレイを見た時、こんな風に感じます。

 ごくぼんやりと思い出すのだが、ある日、オックスフォード書店で私が彼女の父親のセン技師と一緒にクリスマス休暇に読む本を選んでいたとき、店の前の車の中で待っている姿を見かけて、妙にぞくりとした。それとともに、異様なさげすみの感情が胸をよぎった。大きすぎ黒すぎる目、肉厚の反った唇、力強い乳房、熟れた果物のような、はちきれんばかりのベンガル少女が私には醜く見えたのだった。だが、紹介され、彼女が両手を額の前へ上げて礼をしたとき、腕がすっかりむきだしになり、その肌の色に目を奪われた。つや消しの褐色、言うなれば粘土と蠟でできたような、それまで見たこともない褐色。(5ページ)


〈私〉がここで抱くマイトレイへの思いは、そのままインド全体に対する印象に近いものがあります。つまり自分の価値観とは全く違うものに圧倒され、やがてその印象は少しずつ形を変えるということ。

白い肌の文化ではなく褐色の肌の文化に、嫌悪感とそれとは相反するような魅力を感じるわけです。

〈私〉はある時、病気になってしまいます。それを見て、ナレンドラ・センは〈私〉に自分の家で住むように言ってくれます。そうすると健康にもいいし、お金の節約にもなるだろうと。そうして〈私〉はナレンドラ・セン一家と暮らすことになります。

物語はやがては〈私〉とマイトレイの密かな恋愛の話になっていくわけですが、2人の恋愛に潜む障害としては、単に上司の娘ということだけではない、インド独特の文化があります。

つまりカースト制度があって、結婚というのは恋愛でするのではなく、ふさわしい家柄の人同士でなければならないわけです。結婚に結びつかない恋愛、特に性的関係を結ぶなんてことはもってのほかなんですね。

ぼくら日本の読者はわりとそういう家制度のようなものは理解しやすいと思うんですよ。たとえば伊藤左千夫の『野菊の墓』なんかに近い要素もあると思います。結婚は家と家がするものだと。

そしてそのインドならではの文化というのは、マイトレイというキャラクターにも色濃く反映されています。マイトレイが取る1つ1つの態度、考え方は〈私〉の理解を超えるようなところがあります。2人の関係はすぐ恋愛には発展しません。

マイトレイは詩が好きなんです。タゴールという詩人に心酔していて、タゴールに愛を捧げていると言います。男性を愛することはないと。

〈私〉とマイトレイには言葉の壁もあります。英語で話したり、やがてはお互いに言葉を教えあったりします。マイトレイが〈私〉にベンガル語を教え、〈私〉がマイトレイにフランス語を教える。

見た目も違い、文化、考え方も違う2人。そして決して結ばれてはいけない2人。そんな2人の心が次第に近づいていき・・・。果たして2人の愛の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。こういう物語は、いかにこの2人に共感できるか、展開にはらはらどきどきできるか、ということにかかってきます。それがもう、かなりのめりこんじゃうんですよ。「マイトレイ」は相当面白いです。

楽しいばかりの話ではないので、途中ページめくりたくない時もあったんですが、うわあどうしようとか言いながらめくってしまうんです。精神的なショッキングさがあるというか、ある程度重たい部分もあるんですけど、結構夢中で読まされてしまう作品だろうと思います。

モラヴィア「軽蔑」


モラヴィアはイタリアの小説家です。わりと性というのをテーマとして扱うことが多いらしいんですが、それが結構いいバランスで物語内に組み込まれていて、他の作品も色々読んでみたいと思いました。

『無関心な人びと』は持っているので、その内読み直してまた紹介します。

「軽蔑」は、夫婦の関係を描いた小説です。愛の終わりというのは、色々なパターンがあると思うんですが、一番多いのは他に好きな人ができた、というものではないかと思います。

つまり今のパートナーを嫌いになったわけではなくて、より好きな人ができるパターンです。ところが、「軽蔑」は違います。〈わたし〉は妻との間に距離を感じます。そしてその隙間は、妻が誰か他の人の方を向いているから生まれたものではないんです。

2人の間の愛が終わってしまったら? それも片方だけの愛が終わってしまったら?

「軽蔑」はそんな夫婦の関係を描いた傑作です。〈わたし〉は妻を同じように愛し、欲望を感じます。ところが妻の態度はどことなくぎこちない。それがなぜか〈わたし〉にはどうしても分かりません。

〈わたし〉はエミーリアと結婚して、幸せな生活を送っていました。〈わたし〉は劇作家志望ですが、映画プロデューサーのバッティスタと出会い、エミーリアの望む生活のため、2人の住む家のために、映画のシナリオを手がけることになります。

自分の望む仕事ではないけれど、生活のために仕事に打ち込む〈わたし〉。いいアパートを買ったので、その支払いが結構大変なんです。

ところが、ある時、エミーリアはこう言います。「あたし、向こうの長椅子で寝ようと思うの。いいかしら?」(225ページ)と。窓を開けたまま眠るのが嫌だからと言って。〈わたし〉は当然びっくりします。

〈わたし〉はエミーリアの気持ちを問い詰めます。もう愛してないのかと。そうすると、変わらず愛していると言います。

〈わたし〉は、ホメロスの『オデュッセイア』を元にした映画のシナリオを手がけることになります。そこでエミーリアを連れて、カプリというところにあるバッティスタの別荘に行って仕事をすることになります。カプリの洞窟がこの物語でも印象的に出てきます。

映画監督は『オデュッセイア』を現代的な解釈でやろうと思っています。主人公のオデュッセウスがトロイ戦争に行ったのは、奥さんとうまくいっていなかったからで、なかなか帰らないのは奥さんのところに帰りたくないからだと。つまり新たなスポットをあてた心理劇のようにしたいわけです。

一方でプロデューサーのバッティスタはそんなものにお金は出せない、作るべきなのは大スペクタクル映画だと言います。〈わたし〉は監督とプロデューサーとの間で板ばさみになるわけです。〈わたし〉は色々悩みます。仕事のこと、エミーリアとのこと。

〈わたし〉はある決意を持って、バッティスタと会います。そして自分はシナリオが書きたいのではなく、戯曲が書きたいからこの仕事を降ろしてくれと言う。するとバッティスタはこんな風に言います。戯曲を書けと。

「そうだ、書きなさい」とバッティスタは自信をこめて言った。「ほんとにそれを書きたいと思うなら、金のための仕事をしながらでも、スペクタクル映画のシナリオを引きうけてでも書きなさい。・・・・・・ところで、成功の秘訣を知りたくないかね、モルテーニ君」
「なんですか、それは?」
「それはだね、駅の切符売り場の窓口の前で行列にしたがうように、人生でも順番にしたがうことだ。根気をもち、列を変えない限り、われわれの順番は必ずやってくる。・・・・・・順番は必ずやってくる。だって、駅員は誰に対しても切符を渡すのだからね。もちろん各人の能力にしたがってだ。・・・・・・遠いところへいかなければならず、またいくことのできる者にはたとえばオーストラリア行きの切符だってね。もっと近いところへいく者には短距離の切符をね、たとえばカプリ行きの」彼は自分たちの旅行に触れた表現に満足らしく笑ってからさらに言った。「あんたはうんと遠いところへいける切符をもらえるよう、わたしは祈るよ。アメリカまでもね」(375ページ)


バッティスタは芸術家ではなく、ビジネスマン的な人間であり、物語の中ではどちらかと言えばいやな奴なんですが、その言葉には深く考えさせられるところがあります。

〈わたし〉の中では、自分のやりたい仕事と、生活のため、つまりエミーリアのためにやらなければならない仕事というのがあります。その辺りにジレンマがあり、なにしろエミーリアとのぎこちない関係がより一層〈わたし〉を悩ませます。

アパートを買うと決めた時に、激しく情熱的に抱き合った2人。そして浜辺で寝転がる妻の裸に欲情しながらも、それに触れられない〈わたし〉。終わってしまった愛の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。夫婦に限らず、恋人でもそういう感情の変化はあると思います。いくら愛してくれと言ったところで、感情を動かすことはできません。描かれているのが、なんとかしようとしてなんとかできる問題ではないだけに、より一層ぼくらの心を動かす作品です。

そんな愛について書かれた、エリアーデの「マイトレイ」とモラヴィアの「軽蔑」が収録された巻です。かなり面白いです。どちらもわりとずっしり重い話ではありますが、単に面白いというだけではなく、傑作と呼ぶにふさわしい作品だと思います。機会があればぜひ読んでみてください。

池澤夏樹=個人編集世界文学全集は次、カフカ/ヴォルフ『失踪者/カッサンドラ』を紹介できると思います。「失踪者」は読み終わったんですが、「カッサンドラ」でつまずいております。