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新潮日本古典集成『堤中納言物語』(新潮社)を読みました。
日本の古典を原典で読んでみたいけれど、どの全集で読むのがいいの? という方は、こちらの記事もご参照ください。→全集について
マンガや映画で有名な、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』のモチーフとなった文学作品に、「虫愛づる姫君」という平安時代の古典があります。誰もが嫌がる虫に興味を抱く、ちょっと変わったお姫様のお話。
虫を愛するという所にナウシカとの共通点があるように見えますが、実はそれだけではなくて、自分の目で見て、自分の頭で考え、当たり前だと言われることを疑ってかかるという性格が何より似ています。
物語の中で虫愛づる姫君は“かなり変なやつ”なんですが、現代的な感覚からすると、かえって変なやつではない所が、結構面白いんです。
虫を集めさせては名前を尋ね、新種の虫には名前をつけて遊ぶ姫君の見た目がどんなに変わっているか、こんな風に書かれていました。
「人は、すべて、つくろふ所あるはわろし」とて、眉、さらに抜きたまはず、歯黒め、さらに、「うるさし、きたなし」とて、つけたまはず。いと白らかに笑みつつ、この虫どもを、朝夕に愛したまふ。
人びと、怖ぢわびて逃ぐれば、その御方は、いとあやしくなむ、ののしりける。
かく怖づる人をば、「けしからず、凡俗なり」とて、いと眉黒にてなむ、睨みたまひけるに、いとど、心ちなむ惑ひける。
(48ページ)
人間は自然体であるのがいいと言って、眉を抜かず、お歯黒もしません。虫たちに怯えて大騒ぎする女房たちを見て、毛虫のような眉ではしたないと睨みつけ、その眉を見た女房たちは、また怯えるのです。
虫を怖がる女房たちの気持ちも分かりますし、なるほどそうだろうなあと頷かされる、とてもユーモラスな場面ですが、虫愛ずる姫君が、現代からするとごく普通の姿をしていることにお気づきでしょうか。
むしろ眉がなくてお歯黒をしている姫君の方が、現代では不気味な感じがするのではないかと思います。これぞまさに時代の変化ですね。
集団の中で“空気を読むこと”は大切ですし、コミュニケーションスキルも重要ですけれど、たとえ周りとは違っても、自分の信念のままに行動する虫愛ずる姫君は、やっぱりなんだかとても魅力的なのです。
そう言えば、『風の谷のナウシカ』のナウシカもまた、誰もが殺そうとする蟲に共感したり、焼き払おうとする腐海の違った一面を見るなど、周りに流されるのではなく、自分の信念で行動する人物でした。
さて、「虫愛づる姫君」が収録された『堤中納言物語』は、短編集のような物語集で、平安時代の末に成立されたのではないかと言われていますが、成立年代ならびに作者などは、よく分かっていません。
10編の物語的な作品と、冒頭の文章から取られた「冬ごもる空のけしき」という仮称で知られる断章(文章の断片)から成っています。
日本の古典、特に平安時代の古典に興味を持った方におすすめなのがこの『堤中納言物語』なんです。一編が10~20ページほどと、かなり短いですし、どの話から読んでも大丈夫なので読みやすいです。
ロマンティックな話があるかと思えば、ぷぷっと吹き出してしまうような一発オチのお話があったり、一転して、なんだかしみじみさせられる話があったりと、非常にバラエティに富んだラインナップです。
あらすじで続きが気になった話は、ぜひ実際に読んでみてください。
作品のあらすじ
『堤中納言物語』には、「このついで」「花桜折る少将」「よしなしごと」「冬ごもる空のけしき」「虫愛づる姫君」「程ほどの懸想」「はいずみ」「はなだの女御」「かひあはせ」「逢坂こえぬ権中納言」「思はぬ方にとまりする少将」の11編が収録されています。
「このついで」
宮中の台盤所(女房たちの詰所)にやって来た中将の君は、「この火取りのついでに、あはれと思ひて人の語りしことこそ、思ひ出でられはべれ」(12ページ)と、香炉を見て思い出した話を始めました。姫君の所に通う男がいて、子供も出来ましたが、男の足が遠のきます。子供は時折、男の家に連れて行ってもらえますが、一人残されるばかりの姫君は、香炉をまさぐりながら悲しげな歌を詠んで・・・。
「花桜折る少将」
女の元を訪ねた帰りに、たまたま別の姫君を垣間見した少将は、その姫君のことがどうも気になって仕方がなくなってしまったのでした。その家の、身分が低い女の元に通っている腹心の光季に尋ねると、姫君は間もなく帝の所へ行く予定だと分かります。そこで少将はそれより先に姫君を手に入れようと、強奪計画を立てたのですが・・・。
「よしなしごと」
ある僧侶が親しい女に手紙を書いて、山寺に籠もる準備をしてもらったと知って、その女の師である僧侶が、それなら自分も借りようと言って書いた手紙のあまりのおかしさに、そのまま書き写したもの。空に昇るための「天の羽衣」が欲しいが、なければ普通の衵(あこめ)、それもなければ破れた狩衣でもよいなどと書いていき・・・。
「冬ごもる空のけしき」
冬一色のこもった空を眺めながら、男は女を思って家を出たものの、女の元に行くことは出来ないので、どうしたらいか思い悩み・・・。「虫愛づる姫君」
蝶めづる姫君の家の近くに、按察使の大納言の姫君が住んでいました。この姫君はとにかく変わっていて、虫を観察するのが大好き。花や蝶はつまらない、「烏毛虫の、心深きさましたるこそ心にくけれ」(47ページ)毛虫の思慮深い様子が奥ゆかしいなどと口にし、眉も剃らずお歯黒もしないこの姫君に、周りは頭を抱えていました。
そんな姫君の噂を耳にした右馬佐と中将は、どんな姿か見てみたいと思い、「あやしき女どもの姿を作りて」(56ページ)つまり、身分の低い女の姿に変装して、虫愛づる姫君の屋敷に忍び込んで・・・。
「程ほどの懸想」
葵祭で親しくなった小舎人童と女童。小舎人童は親しくなるにつれ、女童が仕えている家の窮状を目の当たりにして、「まろが君を、この宮に通はしたてまつらばや」(69ページ)と思うようになります。自分の主人の頭中将が、この家のお婿さんになって助けてあげられたらなあと思ったんですね。やがて、同じく頭中将に仕える男が、小舎人童の仲立ちで女童が仕える家の女房の元に通うようになり・・・。
「はいずみ」
しっかりした後ろ盾のある新しい妻が出来た男は、すまなく思いながらも、古い妻と別れることを決めました。古い妻は行くあてもなく、嘆きながら、かつての使用人の所に身を寄せることにしたのです。見送る時に、古い妻の姿を改めて見た男は、「月のいと明きかげに、有様、いとささやかにて、髪は、つややかにて、いとうつくしげにて、丈ばかりなり」(83ページ)とその美しさに心打たれました。
月の光が明るいため、その小さな体、つややかで美しく、とても長い髪が目に止まったんですね。不平一つ言わない古い妻の控え目な態度にも惹かれて、男はついに、別れるのを止めることに決めました。
一方、新しい妻の元を訪ねると、思いがけないことが起こり・・・。
「はなだの女御」
何人もの女性と浮名を流したある好き者が、高貴な所にいる思い人が里に帰っているという噂を耳にしたので、様子を伺いに行きました。夕暮れ時。集まっている女房たちは、誰にも見られないだろうと簾を上げ、自分たちのご主人を花にたとえて、噂話をしていて・・・。
「かひあはせ」
忍び歩きをしていた蔵人少将は、その家に仕える少女の手引きで、屋敷にもぐり込みました。するとそこでは、貝合せ(いかに美しい貝を持っているかで勝負する遊戯)の準備をしている所だったのです。少女が仕える姫君は母を亡くしているため、後ろ盾がしっかりしていて、珍しい貝を集められる対戦相手の異母姉にはとても敵いません。
姫君の弟は、「母のおはせましかば。――あはれ、かくは」(123ページ)お母さまが生きていたなら、ああ、こんなことにはならなかったのになあと今にも泣き出しそうな様子。姫君も悲しそうです。
そのやり取りをこっそり見ていた蔵人少将は、自分が力を貸して、この可哀そうな姫君を貝合せで勝たせてやりたいと思い始めて・・・。
「逢坂こえぬ権中納言」
宮中で行われた根合(ショウブの根の長短で競う遊戯)に参加した中納言は、思いを寄せる姫君に和歌を贈りますが、返歌はありません。姫君の所を訪ねた中納言は女房の宰相の君に「例のかひなくとも、かくと聞きつばかりの御言の葉をだに」(145ページ)いつものように駄目でしょうが、聞いたという言葉だけでも聞きたいと言います。
しかし、姫君は中納言に冷たい態度を取るばかり。思い余った中納言は、宰相の君の目を盗んで姫君の部屋に忍び込んだのですが・・・。
「思はぬ方にとまりする少将」
大納言には、2人の美しい姫君がいましたが、大納言とその妻が相次いで亡くなると、姫君たちは心細い暮らしを送ることとなりました。やがて、姉君には右大将の子供の少将が、妹君には右大臣の子供の権少将が通うようになり、どちらも正妻ではないために肩身が狭いながらも、愛する人のいる、それなりに幸せな日々が続いていきます。
ところがある時、迎えの車を女房が取り違えててしまったために、姉君は妹の、妹君は姉の恋人の所へ運ばれて行ってしまって・・・。
とまあそんな11編が収録されています。時代設定こそ古いものの、興味を引かれる作品が意外とたくさんあったのではないでしょうか。
独特の設定が光る「虫愛づる姫君」にやはり目を引かれますが、「二の巻に、あるべし」(63ページ)と、以下次号! みたいなあおり文句を残したままぷつんと終わっているので物足りなさはあります。
物語として特に面白いのが、「はいずみ」と「かひあはせ」。2人の女の間で揺れる、「はいずみ」と似たようなパターンの話が『伊勢物語』など古典にはたくさんありますが、それでもやはりいいですね。
「かひあはせ」は、読者を確実に悲しい境遇の姫君に感情移入させる作りになっていて、非常に引き込まれます。こういう話、好きです。
物語の設定として、思わずどきっとさせられるのが、やはり「思はぬ方にとまりする少将」でしょう。姉妹がそれぞれ違う恋人の所へ間違って連れて行かれてしまうという話。いやあスリリングですねえ。
どんな結末を迎えるのか気になった方は、ぜひ読んでみてください。
明日は、綾辻行人『十角館の殺人』を紹介する予定です。