綾辻行人『十角館の殺人』 | 文学どうでしょう

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十角館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫)/講談社

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綾辻行人『十角館の殺人 〈新装改訂版〉』(講談社文庫)を読みました。

依頼人を一目見ただけで、その人物の職業や経歴、日常生活の癖、そして何の依頼でやって来たかすら推理してしまうシャーロック・ホームズのような名探偵は、残念ながら現実世界にはいないでしょう。

同じように、孤島の山荘や雪で身動きの取れなくなった列車の中で連続殺人事件が起こることも、現実ではあまりないだろうと思います。

ミステリにリアリズムを求めれば、事件の捜査にあたるのは名探偵ではなく、足で捜査する刑事がふさわしく、そうなると大掛かりなトリックを解くというよりは、犯行動機を追う物語になるわけですね。

1960年前後、松本清張を中心として、社会の問題を取り込みながらリアルな犯罪を描いた「社会派」と呼ばれる推理小説のブームが起こりました。現実に起こり得る問題を描いたのが受けたのでしょう。

1987年、ある一冊の本が講談社ノベルズから出版されました。綾辻行人の衝撃的なデビュー作、今回紹介する『十角館の殺人』です。

プロローグを除いた、本編の書き出しには、こんな台詞が書かれています。やや長いですが、重要な台詞なので、そのまま引用しますね。

「黴の生えた議論になりそうだけれども」
 エラリイは云った。ひょろりと背の高い、色白の好青年である。
「僕にとって推理小説とは、あくまでも知的な遊びの一つなんだ。小説という形式を使った読者対名探偵の、あるいは読者対作者の、刺激的な論理の遊び。それ以上でもそれ以下でもない。
 だから、一時期日本でもてはやされた“社会派”式のリアリズム云々は、もうまっぴらなわけさ。1DKのマンションでOLが殺されて、靴底をすりへらした刑事が苦心の末、愛人だった上司を捕まえる。――やめてほしいね。汚職だの政界の内幕だの、現代社会のひずみが産んだ悲劇だの、その辺も願い下げだ。ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうがやっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック……絵空事で大いにけっこう。要はその世界の中で楽しめればいいのさ。ただし、あくまで知的に、ね」

(13~14ページ、本文では「エラリイ」に傍点、「推理小説」に「ミステリ」、「遊び」に「ゲーム」のルビ)


登場人物が「社会派」への不満を語るこの『十角館の殺人』は、それぞれがミステリ作家のあだ名を持つ、ある大学のミステリ研究会が、かつて犯罪が起こった孤島を訪れ、次々と殺されていくというもの。

人物が限定され、孤島なので場所も限定された、いわゆる「クローズド・サークル」と呼ばれる、古典的な設定のミステリになります。

必ずしもエラリイの意見=綾辻行人の考えではないにせよ『十角館の殺人』は「社会派」へのアンチテーゼとして読まれ、読者は本格的なトリックのあるミステリならではの展開に驚愕させられたのでした。

出版社がうまく仕掛けたということもあるのですが、その後相次いで歌野晶午、法月綸太郎、有栖川有栖、我孫子武丸らがデビューし、本格ミステリの復権を謳う「新本格」ムーブメントが起こったのです。

言わば「新本格」ブームのきっかけを作ったと言っても過言ではないこの一冊。ミステリファンの方は、これを読まない手はないですよ。

現在は作者が読者を文章で騙す叙述トリックや、ミステリであること自体をネタにしたようなメタミステリの作品が多いので、かっちりした構成の『十角館の殺人』は、かえって新鮮な面白さがありました。

まだネタバレされていないなら、今読んでもかなりびっくりする作品だろうと思います。内容を知ってしまう前に、読むとよいですよ。

作品のあらすじ


1986年3月26日(水)。午後11時過ぎ。大分県O市にあるK**大学のミステリ研究会のメンバー6人は、船で無人島へ向かっていました。みなミステリ作家から取ったあだ名で呼び合っています。

男がエラリイ、カー、ルルウ、ポウの4人、女がアガサとオルツィの2人。目的地の角島に着くと、船を出してくれた漁師の父子は心配しながらも、一週間後に迎えに来ることを確認して帰って行きました。

これから一週間暮らす十角館に向かうと、先に来て準備をしてくれていたヴァン(男)と合流し、十角館の不思議な内部を見回します。

 十角館の特徴はその名のとおり、十角形――それも正十角形――を地に描いた外壁の形状にある。この外まわりの大きな十角形の内側に、中央ホールの小さな十角形を嵌めこみ、それぞれの十個の頂点同士を結んで十個のブロックを作る。云い換えればこれは、中央の正十角形のホールのまわりを、ちょうど十個の等脚台形の部屋が取り囲んだ形である。(28ページ)


十角館は、その名の通り十角形の建物で真ん中にホール、その周りに部屋が10個。部屋は1つが玄関ホール、1つが厨房、1つがトイレと浴室になっており、残りの7部屋に7人のメンバーが泊まります。

この不思議な建物十角館は、天才肌の建築家、中村青司が建てたもの。別館にあたり、中村夫妻と使用人夫婦は本館の青屋敷で暮らしていました。ところが半年ほど前に青屋敷は全焼してしまったのです。

焼け跡から見つかった4つの死体は、それぞれみな不可解な死に方をしていました。ロープで縛られた後、斧で頭を割られた使用人夫婦。

中村青司は、灯油をかけられて焼死しており、その夫人の和枝は何故か左手首を切り取られ、紐で首を絞められての窒息死のようでした。

島に庭師が一人来ていたはずなので、警察はその行方を探しましたが見つからず、犯人なのか同じように被害にあったのか分からぬまま。

やがて、不動産業を営むヴァンの伯父がこの島を手に入れました。角島をレジャーアイランドにしようという計画もあり、テストケースのような形で、今回こうして、ミステリ研究会がやって来たのでした。

事件があったこの不気味な島にわざわざやって来たのは、今度書くミステリ小説のインスピレーションを得ようという思惑があったりも。

一方、かつてミステリ研究会に所属していた江南孝明の元には、中村青司という差出人から、不思議なことが書かれた手紙が届きました。

 お前たちが殺した千織は、
 私の娘だった。

(73ページ、本文では「殺した」に傍点)


江南はその名前に聞き覚えがありました。中村千織。去年の1月、当時1回生だった千織は、ミステリ研究会の新年会で急性アルコール中毒を起こし、それが持病の心臓発作を誘発して、亡くなったのです。

なんとなく不気味に思った江南は、千織が死んだ新年会の三次会に居合わせたメンバーに電話しますが、みんなそろって、角島に旅行に行っていることが分かりました。これは、はたして偶然でしょうか?

江南が中村青司の弟の紅次郎を訪ねるとそこにも「千織は殺されたのだ」(85ページ)という似た手紙が来ていることが分かりました。

紅次郎の後輩で、たまたまそこへ遊びに来ていたミステリ好きの島田潔と知り合いになった江南は、島田とともに、一体誰が何のためにこんな手紙を出したのか、過去の青屋敷の惨劇について調べ始めます。

一方、角島で過ごす3日目の朝。誰かの部屋に、「第一の被害者」というプレートが貼り付けられていました。初めはいたずらかと思いましたが、中に入るとオルツィが首を絞められて殺されていたのです。

しかし、これは恐るべき連続殺人事件の始まりにしか過ぎませんでした。一人、また一人と殺されていくミステリ研究会のメンバーたち。

犯人は自分たちの中にいるのか? それとも外部からの犯行なのか? もしかしたら、中村青司が生きているのかも知れない・・・。

はたして、疑心暗鬼に駆られたミステリ研究会のメンバーたちは、十角館の中で生きのびることが出来るのか!?

とまあそんなお話です。十角館という、閉じられた空間で起こっていく連続殺人事件なので、展開はかなりスリリングで引き込まれます。

今読んでも斬新さを感じる、非常に面白いミステリでした。

「新本格」ブームを巻き起こした衝撃のデビュー作。我こそはという方は、「十角館の殺人」の謎に、挑戦してみてはいかがでしょうか。

明日は、有栖川有栖『46番目の密室』を紹介する予定です。