今日はインバル指揮・都響の第1000回定期演奏会に行きました。インバルと都響の関係は長く、彼が初めて都響を指揮したのは、第330回くらいからで、都響の3分の2のコンサート期間の関係があると言うことになります。

(サントリーホール内の装飾)


都響定期1000回記念かつブルックナー生誕200年記念の2つのアニバーサリーのコンサートですが、曲目がブルックナー9番のSPCM版(第4楽章付き)で、第4楽章が付いているのが個人的には残念です。ラトル指揮・ベルリン・フィルのSPCM版(4人の音楽学者によるバージョン)の第4楽章を実演で聴きましたが、ブルックナーらしさがなく、このCDを買いましたが、第4楽章だけは聴かないようにしています。SPCM版の前に、サマーレ(S)とマッツーカ(M)によるバージョンがありましたが、これは当時、大批判が出たことがあります。この後、フィリップス(P)とコールス(C)が加わり、様々な研究・分析の後に、SPCM版の初稿が出来上がりますが、今日の演奏はさらにフィリップスが2021-22年に改訂した最新バージョンで日本初演になります(彼は今日の会場の1階15列目に座っていました)。ブルックナーの9番の完成版には賛否があります。保守派のカラヤンやティーレマンらは第3楽章版しか指揮しませんが、リベラルで好奇心のあるラトルやインバル、ダウスゴーらは第4楽章版に取り組んでいます。しかし、ラトルの今年10月のバイエルン放送響の来日公演でブル9を演奏予定ですが、第3楽章版になってます。個人的な見解ではこの曲を何度も聴くと、第3楽章で天国の世界が描かれていて、その次の楽章は必要性を感じません。また、ブルックナーがウィーンで亡くなる前は謎な部分が多く、本人の第4楽章の草稿がどの部分まで完成していたのかは諸説ありますし、一部の草稿(本物かどうかも分からないです)がなぜかアメリカで発見されたりしていて、第4楽章を巡る音楽学者の議論を読んでると混乱してきます。クラシック音楽史で、作曲家が完成する前に亡くなるケースは多いですが、モーツァルトのレクイエムやプッチーニのトゥーランドットのように、作曲家の弟子が補筆完成するパターンは、完成形として演奏されてます。これらは聴いていても納得がいくので、決定版として定着して演奏されていますが、例えば、トゥーランドットのベリオ版のようにプッチーニと接点のない作曲者による完成版は評判が良くなく、今ではあまり演奏されていません。つまり、ブルックナーと親交や接点の無い「学者」(作曲家ではないです)が補筆しても、説得力の無いものになると思います。このような背景から、ブルックナーが亡くなってから100年経って完成したSPCM版は違和感があるのです。今日の演奏会では第4楽章演奏中に退出される方が何人かいらしていましたが、その気持ちは分かります。この交響曲はシューベルトの「未完成」のようにそのままで良いと思いますが、ブル9に関しては多くの学者が様々な補筆版を出しています。今日の曲目解説は4ページにわたるフィリップスによるものですが、研究者的なアプローチの解説です。


第1楽章のブルックナー開始のホルン8本は綺麗に決まり、第1主題でもホルンと弦楽セクションが秀逸で、インバルの綿密な構築性のある世界観が表現されています(コンマスは山本・水谷体制)。ホルンの音が進むにつれてシャープになるのに対して、フルートが尺八のような音に聴こえる時があり、この点はブルックナーの荘厳性に欠けてしまい、残念なところでした。しかし、インバルの指揮は、神秘性・荘厳性がきちんと表現されていて、明晰な解釈と思えます(昨年6月のミンコフスキー指揮・都響のブル5の珍演奏と真逆です)。コーダ付近ではやや加速度がついて、この楽章を閉じました。第2楽章でも都響のヴィルトゥオジティが全開で、テンポ感のあるスケルツォをインバルは会場中に聴こえるくらい唸りながら指揮していました。ここまで、壮大なブルックナーを聴いていると、安心して気持ちよくなり、日本のオーケストラ界はN響と都響の2強体制になっていると実感します。第3楽章は幻想的な静かさを持つ音楽ですが、ここでも弦楽と金管セクションの巧さによって、ブルックナーの指示通りの荘厳さがきちんと表現されていました。特にワーグナーチューバによる荘厳なコラールは日本のオケとは思えないレベルです。ブルックナーが「生との訣別」と呼んだ第1主題は死を予告するような趣きで、第2主題へと展開していきます。今日のインバルはゲネラル・パウゼを十分に取らずに淡々と進めていた感じがしますし、この楽章でも唸りながら、指揮をしていました。コーダではブルックナーのミサ曲や交響曲の主題を回顧しながら、天国のような情景が弦楽とホルン中心に描かれて終えます。これを聴くと、一観客としては、交響曲として十分聞き応えがあり、何度聴いても、展開としてこの楽章で詰んでると個人的には思います。


第4楽章は「神秘的に」と書いてありますが、聴いていると、全楽章の中で1番神秘性の無い曲想ですし、ブルックナーらしい動機やコード進行などが感じられません。この楽章の改訂者で曲目解説の執筆者のフィリップは「救済」を意図していると書いてますが、それを感じ取ることはできませんでした。第3楽章まで絶好調の指揮で唸っていたインバルはこの楽章では唸っていませんでした。都響のVnセクションもこの楽章の演奏に慣れていないからか、少し乱れが出てきます。音楽的にも演奏的にも満足度が段々と落ちてきますが、不整脈に出てくる様々な主題が何を表現しているのか、分からなくなります。4人の研究者が色々と議論を重ねて補筆した痕跡は把握できますが、やはりブルックナー感に欠けるバージョンだと思います。


(評価)★★★ 第3楽章までは素晴らしかったです

*勝手ながら5段階評価でレビューしております

★★★★★: 一生の記憶に残るレベルの超名演 

★★★★:大満足、年間ベスト10ノミネート対象

★★★: 満足、行って良かった公演

★★: 不満足、行かなければ良かった公演 

★: 話にならない休憩中に帰りたくなる公演 

出演
指揮:エリアフ・インバル
東京都交響楽団
曲目
ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 WAB109(2021-22年SPCM版*第4楽章付き)[*日本初演]