世間では「二八(ニッパチ)」と言われる時期で、六本木や赤坂などの夜の街は先週くらいから人が減ってますが、今月のクラシックのコンサートは明日のフローレスとイェンデをはじめ、N響と都響の定期などかなり充実しています。しかも、2月のN響定期のA, B, Cプロのコンマスはすべて郷古さんで、Cプロは「英雄の生涯」のソロもありますから、大忙しです。堀さん時代はひと月に全てのプログラムをコンマスとして出られていた記憶はありますが、ゲスト・コンマスの郷古さんが今月すべてのコンマスを務めるのは異例です。さらに、今日のプログラムも異例な構成で、前半にJ.シュトラウス2世の明るいポルカがあり、後半は陰鬱なショスタコの交響曲です。この「陽」と「陰」のプログラムをつなげるキーワードは「オーストリアとロシア」でしょう。前半1曲目のポルカはJ.シュトラウス2世が帝政ロシア時代にロシアで作曲・初演した曲であり、2曲目はショスタコにしては珍しい明るいポピュラーな曲で、ポルカとワルツで構成されています。帝政ロシア時代のオーストリアとの関係はJ.シュトラウスの時は良好な関係だった記憶しておりますが、今もロシアとオーストリアは外交的にはバランスを取った関係です。クリミア半島侵攻後に、ロシアは西側諸国からの制裁を受けていましたが、2018年にロシア大統領選でプーチン大統領が再選した後に、プーチン大統領が最初に訪問した国がオーストリアであり、ウクライナ戦争後にロシア側のアーティストに対して寛容なのがオーストリアで、ネトレプコやクルレンツィスのような一流アーティストはウィーンを中心に活動しています。政治と文化を切り離しているオーストリアの主催者や観客には共感します。今日の曲目は、平和なオーストリアのポルカから始まり、ショスタコと言う作曲家を介して、世界中で起こっている戦争とは無関係ではない!と言う井上さんの意図も感じられます。


さて、前半の井上さんは指揮台無しで、踊りながらJ.シュトラウスのポルカをゆったりと指揮します。井上さんは若い頃、ダンサーを目指していたと言われていますが、井上さんの指揮はダンサーと役者の両方を兼ね備えた姿で、来年以降、井上さんの独特の指揮が見れなくなるのは残念です(今年で引退すると言う話も懐疑的ですが)。このポルカはウィーン・フィルの演奏しか聴いたことがないですが、今日のN響のポルカはウィーン・フィルの艶っぽい音があまり聴こえてきませんでした。2曲目のショスタコの組曲では、アコーディオンとギターが指揮者の前にスタンバイしており、チューニングがまだ終わってないのに井上さんがステージに入ってきました。「行進曲」はコメディ要素のある曲で、井上さんが音楽隊の隊長のように指揮をします。「リリック・ワルツ」は昭和のダンスホールで流れているような明るいメロディーで、「小さなポルカ」はトランペットがコミカルな音楽を演奏していました。最後の「ワルツ第2番」は映画やテレビなどでよく使用される超有名曲ですが、自身が「ショスタコーヴィッチ」としている井上さんは、ショスタコでもこんな明るい音楽を作曲しているだぞ!と言わんばかりの選曲でした。井上さんはこの曲でも、譜面台から離れて踊るように指揮をしているシーンがありました。


後半のショスタコの交響曲第13番は、実演ではあまり聴いた記憶がなく、独唱と大規模な男性合唱が必要なので、演奏機会が少ないと思われます。この手の音楽の歌詞は具体的に何を言っているのかよく分からないことが多いのですが、この交響曲の歌詞は物語的に読み応えがあり、明日のN響定期に行かれる方は、↓下記のプログラム・ノートの歌詞を事前にお読みになられた方が良いと思います。

https://www.nhkso.or.jp/concert/phil24Feb_1.pdf

井上さんはこの曲では指揮台に乗り、指揮棒無しで指揮をはじめます。第2次世界大戦中のユダヤ人の悲劇をテーマにした歌詞ですが、今のキーウにあるバビ・ヤール峡谷で、ナチスによるユダヤ人が虐殺された事件を扱った歌詞が出てきます。昨年10月からのイスラエル戦争中にこの曲が演奏されることがタイミング的にはホットな選曲になりますが、井上さんがこの曲を選曲した時は今の戦争を想像していなかったと思います。第1楽章の「バビ・ヤール」の冒頭から不協和音と恐怖感が溢れる音楽で、旧ソ連の世界に没入した感じがします。70人ほどの合唱はスウェーデンを拠点としていて、「世界最高峰のア・カペラ合唱団」と言われるオルフェイ・ドレンガル男性合宿団は力強い歌唱で、難しいロシア語をスムーズにリアルに歌っていました。バス独唱のティホミーロフはドスの効いた太声で、この悲惨な世界をリアルに歌いあげます。彼の足元には3本のミネラル・ウォーターのボトルが置いてあり、2本くらいは飲み干していました。N響も爆音を出しながら重厚な音楽を巧く醸し出していました。第2楽章の「ユーモア」はショスタコらしいオーケストレーションで始まります。間奏部のN響の力強い演奏は今日1番の見せどころで、井上さんも踊りながら、オケを煽っていました。この曲の歌詞を読むと、ユーモアの本質と困難性を感じます。第2楽章が終わると井上さんは指揮台を降りて、小休止になります。第3楽章から第5楽章まで切れ目なく演奏するための調整時間でした。第3楽章の「商店で」は、廃墟のような街を描いている音楽で、女性をテーマにした歌詞は悲壮感が漂うものでした。第4楽章の「恐怖」では、チューバによる恐ろしい旋律ではじまり、ショスタコは反体制派と批難されないように、かなり際どい表現で、当時の恐怖政治を描いています。第5楽章の「立身出世」はフルートによる明るい旋律ではじまります。前半はガリレオを例に出しながら、「迫害」をテーマにした歌詞で、後半では迫害と立身出世は表裏一体であるかのように表現しています。教会の鐘(ベル)とチェレスタによる天国のような情景で終わります。今日のショスタコの13番はかなり強烈な交響曲で、井上さんがN響最後の定期演奏でこの交響曲を選んだ理由が何となく分かりました。演奏順も作曲時期順となっており、前半のかなり明るい音楽と後半の極めて重い音楽の対比など、様々な選曲意図が感じられますが、真相はNHKの放映での本人インタビューで確認したいです。ステージにはマイクが40台以上ありましたが、CD化されるのでしょうか。


井上さんのソロ・カーテンコールは当然あり、ステージに出る瞬間は、井上さんらしいコミカルさがありました。今日の交響曲の演奏は本当に素晴らしかったですが、あまりにも重いので、2日連続行きたい気持ちにはなりません。


(評価)★★★★ 井上さんの渾身のショスタコを堪能できました

*勝手ながら5段階評価でレビューしております

★★★★★: 一生の記憶に残るレベルの超名演 

★★★★:大満足、年間ベスト10ノミネート対象

★★★: 満足、行って良かった公演

★★: 不満足、行かなければ良かった公演 

★: 話にならない休憩中に帰りたくなる公演

指揮 : 井上道義

バス : アレクセイ・ティホミーロフ* 
男声合唱 : オルフェイ・ドレンガル男声合唱団*


曲目

ヨハン・シュトラウスII世/ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
ショスタコーヴィチ/舞台管弦楽のための組曲 第1番 -「行進曲」「リリック・ワルツ」「小さなポルカ」「ワルツ第2番」
ショスタコーヴィチ/交響曲 第13番 変ロ短調 作品113 「バビ・ヤール」*