今日は終戦から78年目の日です。8/9の長崎原爆の日にアドロフ・ヒトラーの生家に行ってみました。
この日は音楽祭の街であるザルツブルクにいましたが、日帰りでヒトラーの生家のあるブラウナウ市に行ってみました。ザルツブルク音楽祭には30年以上通っていて、モーツァルトの生まれたザルツブルク市内の観光や世界一美しい湖畔のハルシュタット、モーツァルトが愛したザンクト・ギルゲン、きよしこの夜の教会のあるオーベンドルフなど様々な日帰り旅行の街があります。
✳︎きよしこの夜が歌われたオーベンドルフの教会

ザルツブルクには50回以上滞在しましたが、今までヒトラーの生家がザルツブルク近くのオーストリア国内にあることは知っていましたが、ヒトラーの生家がザルツブルクから70分ほどの距離なのに行ったことがありませんでした。実はこの半年くらいで、NHKの特集でヒトラー特集の番組をたまたま10回くらい観ました。「ヒトラーvsスターリン」、「ヒトラーvsチャーチル」、「ヒトラーvsチャップリン」、「独ソ戦、地獄の戦場」、「ベルリン戦後ゼロ年」、「ヒトラーの演説の秘密」等々、様々なヒトラー関連番組を拝見しました。そんな中で、ザルツブルクから近い街のブラウナウにヒトラーの生家があるので、今回行くことにしました。一部報道ではヒトラーの生家が警察署などになると言う話がありましたので、実際はどうなっているのかも気になっておりました。


《これ以降、ヒトラーやナチスもので拒否感のある方はスルーでお願いします》


まずは音楽の街・ザルツブルクから詳細にレポートします。ザルツブルクから電車で直通で70分、車で60分くらいですが、今回はザルツブルク中央駅から毎時1時間おきに出ているブラウナウ行きの直通電車に乗りました。ブラウナウ駅までは途中から単線になり、かなり辺鄙な村を通りながら、ブラウナウ駅に到着します。

✳︎ブラウナウ駅


新しめの駅舎のブラウナウ駅に着くと、バス乗り場やタクシー乗り場のようなロータリーがありますが、バスもタクシーもいませんでした。そのため、Googleマップをもとに、歩いてヒトラーの生家に向けて歩くことにしました。様々な報道では、ヒトラーの生家が観光地化しないように、とありましたので、今回はネクタイとジャケットを着用して、単なる観光客でないように訪問してみました。ブラウナウ駅からヒトラーの生家までは歩いて15分くらいですが、そこまでに、いくつか気づく点がありました。

まず、ブラウナウ駅から中心街に歩いていくと、妙な散髪屋さんがありました。



チャーリー・チャップリンをテーマにしたバーバー💈ですが、チャップリンと天敵であったヒトラーの生家の街にこのようなバーバー💈があるのは不思議です。

↑このNHKのドキュメンタリーは視聴者アンコールで第2位の作品ですが、ヒトラーとチャップリンの対決について、如実に描かれてます。そんなチャップリンをテーマにしたバーバーがあるのは、かなり攻めてなと思いました。このお店のインスタなどを見ると、ネオナチのような髪型の写真がたくさん出てきて、チャップリンの髭などをテーマにしたバーバー💈ではないようです。この店の周りで写真を撮っていると、コワモテの方が店内からタバコを吸いながら表に出てくるので、コワイので、足早に先に進みます。そのまま歩いて行くと、ドイツ🇩🇪との国境にあるイン川沿いにブラウナウの観光案内所ℹ️がありました。


この観光案内所に寄ってみると、一通りのパンフレット類が置いてあり、受付に若い女性がいました。


観光案内所の受付にいる女性にドイツ語で英語を話せるかと聞くと、「あまり話せない」と言うので、ドイツ語で会話するしかありませんでした。「この街の見どころは?」と聞くと、「色々とあるわ」と言って、英語の観光ガイドブックを渡してくれます。このガイドブックにはブラウナウの見どころが写真と文章で解説されていますが、40箇所の見どころが書いてある中で、13番目と言う意味ありげな番号に「ヒトラーの生家」の写真と解説が書いてありました。このページを見て、観光案内所の受付の女性に「この家は、今、どうなってますか?」と聞くと、「分かりません、どうなってるのか」と言って、立ち去ってしまいます。この街では、この家に関してタブーになってるのか分からないですが、Googleマップをもとにヒトラーの生家に向かいます。



✳︎ブラウナウの英語のガイドブック


この観光案内所の裏側には、イン川と言うザルツブルクの川と繋がっている川があり、その川の向かい側はドイツです。


この川はあまり大きくない川で、150メートルほどの橋でオーストリアとドイツを結んでおり、今や、ドイツの隣町と一体で、ドイツとオーストリアのナンバーの車がひっきりなしに通っています。この橋からすぐそばにブラウナウの中心街があり、スーパーや薬局などのお店が並んでいて、ドイツ・ナンバーの車もたくさん来ていました。


✳︎ドイツ国境からのブラウナウの街


この短い国境の橋を歩きながら、思いました。ヒトラーがオーストリアのウィーンのアカデミーに合格して、画家や建築家として、活躍していれば世界はどうだったのだろうと。ヒトラーはウィーンのアカデミーの受験に2度不合格になり、失業状態になり、ドイツのミュンヘンに引越してから、世界の運命が変わります。この橋から200mくらいブラウナウの中心街を歩いた先にヒトラーの生家が、そのままでありました。この建物はヒトラー家が住む前は、パブ、図書館、学校など様々な用途で使われていました。ヒトラーが1945年4月30日に自殺後、5月2日にドイツの小部隊がこの家を破壊しようと試みましたが、アメリカ軍に抑えられてしまいました。戦後、この建物はオーストリア政府の管轄になり、学校や銀行としても使われていたようです。






一部報道では、ヒトラーの生家が聖地化しないように、解体して、警察署にするという計画がありましたが、コロナの影響で、全く進んでいませんでした。ヒトラー生家の前は、観光の自動車やバスが止まらないように、あえて、駐車場と市バスの停車場があり、歩行者しか通らないようになっています。ヒトラーの生家の前には、戦争とファシズムに対抗する追悼の石碑があり、「平和、自由、民主主義のために、二度とファシズムを繰り返さない」と重く書かれていました。


以上、ヒトラーの生家のあるブラウナウへのダーク・ツーリズムの話でしたが、明るくて爽やかな音楽の街「ザルツブルク」と対極の陰の要素が多い「ブラウナウ」でした。この街にリピートして行きたいとは思いません。


本日はここまでお読み頂きまして、ありがとうございました。