今日はマケラ指揮ベルリン・フィルの3日目の公演です。初日の公演についてドイツの地元紙では「マケラとオーケストラの関係は良くない」などと好評のコメントが見つかりませんでした。一昨日は、その日の早朝にベルリンに着いて、疲れもあったのか、ショスタコ6の第1楽章は少し眠くなりまして、印象が薄い公演でした。今日はきちんと、昼寝をしまして、万全の態勢でコンサートに臨みます。今日の定演はいつもより、若者が多かったです。イケメンで若い指揮者ということで若者の聴衆が多かったのでしょうか。これはこれで良いことです。


前半のショスタコは、またもや眠くなりました。この曲はこんな曲だっけ?と疑うくらいインパクトがなく、主旋律さえ見い出すことができずに、演奏会で寝ることが無い筆者がまた眠気に襲われてました。

第3楽章の終結部だけが分かりすい流れは、一昨日の演奏会と同じでした。ホールロビーには、マケラを支えるイギリスの強欲音楽プロデューサーがいましたが、マケラ人気バブルは近いうちに崩壊するというのが私の見解です。


後半のチャイ6は、一昨日よりもひどいかもしれないです。この曲には、美しい旋律を出す表現力とメリハリを効かせた構成力が必要ですが、マケラはほぼその力がないと言ってよいです。第1楽章のVnによる美しい主旋律では、金管をガンガンに鳴らしてしまっているので、Vnの旋律がほとんど聞こえません。同じことが第4楽章のVnセクションの美しい旋律も、金管セクションをセーブしないので、チャイ6を聴いている感じがしませんでした。マケラは流線系の指揮が苦手なのでしょうか。タクトもずっと上下にふってるだけなので、綺麗な流れのメロディ・ラインが描ききれてません。最も酷いのが、第3楽章のマーチの部分で、トロンボーンやホルンなどの金管のテンポが弦楽セクションより早く出ていて、ずっと金管の先走りと爆音で、ここでも弦楽セクションの旋律で上手くは出てません。マケラは全てのセクションにも最大の音を要求していたのでしょうか、天下のベルリン・フィルの弦が際立たたないこのような酷い演奏は、中学生の時の国内オケを聴いた時と同じような少ない感動量でした。普通は、ベルリン・フィルのようなスーパーオケでチャイ6を聴くと、アドレナリンが大量に分泌されるんですが、第1楽章も眠くなるほどの酷さでした。

(07/07追記: この4月のBPhのチャイ6の映像がなかなかデジタルコンサートホールにアップされないので、マケラとパリ菅との映像を貼っておきます。

スコア研究がほとんどされているとは思えず、ただ、大きくタクトを振ってることに集中しているだけの演奏です)

この指揮者、単なる長身のイケメンで、最後が盛り上がる名曲ばかりを指揮してきて、日本のガラパゴス音楽評論家が「天才指揮者」と絶賛していました。この方の人気はバブルだと思いますし、確かな技術や深い洞察などによる音楽ではありませんでした(金融の世界で、バブルははじけて、初めてバブルであることは承知しております)。ラトルやペトレンコの指揮の時と比べると、オケメンバーが彼に信頼している感じも、あまり感じられませんでした(この点はオケメンバーにヒアリングします)。ベルリンのモルゲン・ポスト紙では「ベルリン・フィルは冷たくあしらった」と言うようなことが書かれていて、定期会員の常連の観客の多くは拍手はそこそこにカーテンコール中に帰る人が多数いました。筆者が最初にベルリン定期演奏会を聴きに行ったのは、アバド指揮ブレンデル(ピアノ)のブラコンでした。ベルリンは日本からの直行便が今でもなく、アクセスが悪いので、ベルリンのコンサートを行く際はなるべく厳選し、音楽監督であるアバド、ラトル、ペトレンコの演奏会の他に、ハイティンク、メータ、バレンボイム、ムーティ、ティーレマン、ゲルギエフ、クルレンティスのような名指揮者に絞って行ってましたので、どれも満足度の高い公演ばかりでした。今回は残念ながら、ベルリン・フィルで最低のコンサートに行ってしまったことをかなり後悔しております。

マケラファンは、ここまでのコメントに怒るかもしれませんが、人間は他と比較しないと価値観は生まれませんし、評価できないんです。今後はベルリンフィル定期には再登場しないと思いますし(ベルリンフィルに再登場できて、初めてスターへの道がはじまることになります)、さらにポイントは保守的なウィーン・フィルの定期演奏会にマケラが呼ばれるかどうかですが、これも難しいでしょう。ウィーン・フィルの定例演奏会は年間10回しかないので、その枠は少ないです。年間2つのプログラムを任させてるフルシャはウィーンから評価されているということです。筆者はコロナなってから6回ほど欧州に渡航してますが、そろそろ、日本の音楽評論家の方たちは、マケラを煽るのをやめて欲しいとは思います。国内だけで活動している音楽評論家をガラパゴス音楽評論家と扱いとさせて頂きまして、世界基準の評価ができない人たちであると解釈します。自動車やファッションの世界はブランドで稼いでも良いと思っていますが、音楽には作曲家も指揮者もブランドは本質的には要りません。地方から出てきた大学生の友人が、初めてのクラシックのレコードでカラヤン先生のモルダウを聴いて涙を流した人がいますが、これがカラヤン先生とスメタナの凄さなんです。佐村河内問題で消えた音楽評論家はいつの間にか、「許された」みたいで、最近いろんなところでよく見ますが、日本の評論家の生態系は不思議ですね。筆者は昨年の都響のマケラの2公演は全く評価しておらず、評論家の多くが名演だと騒ぎ立てていました。英国のプロデューサーと彼と仲の良い日本企業のPR作戦でしょうが、騙されるか・騙されないかは本人次第です!今日はマケラの指揮に対してやや憤慨したせいで、このような文章になりましたが、あくまでも私見・偏見と捉えて下さって構いません。そして今日のコンサートの評価はいつも通り、相対評価であります。


(評価)★ ベルリン・フィルの演奏でここまで感動しなかったのは、初めてですし、星一つは当ブログ開始から初めてです!マケラは5年以上勉強してから出直した方が良いでしょう!

*勝手ながら5段階評価でレビューしております

★★★★★: 一生の記憶に残るレベルの超名演 

★★★★:大満足、年間ベスト10ノミネート対象

★★★: 満足、行って良かった公演

★★: 不満足、行かなければ良かった公演 

★: 話にならない休憩中に帰りたくなる公演

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Klaus Mäkelä Dirigent 

Dmitri Schostakowitsch

Symphonie Nr. 6 h-Moll op. 54

Peter Tschaikowsky

Symphonie Nr. 6 h-Moll op. 74 »Pathétique«