親が家を離れてから数ヶ月が経った。親が去った悲しみを切り捨てるように、その匕首は刀夜につきまとっていた。

寝ていようが食事をしていようが、入浴していようが、この匕首は刀夜から常時離れない。検証をしてみたが、どうやら五歩程度の距離を離すこともできないらしい。あとは、「手放す、捨てる」等の意識のもとでそれらを手放すと、たとえそれが壁で隔たれていようと目の前に再び現れる。押入れに入れても目の前に現れたのはこれが原因らしい。

そんな執着心を具現化したような物を常に袖の中に納めているが、こんな姿を人間に一度見られでもしたら、自分はおろか、蓮にまで被害が及びそうだ……

草原に向かう道で、ため息をつく。匕首のこともあるが、今日はあいにくの曇空。雨の気配はないが、澄み切った空はそこにはない。あるのはユリのように真っ白な空だ。

林を抜けると、一足先に蓮が仰向けで寝転がっていた。近づいて顔を覗き込むが、どうやら寝ているらしい。こいつは日頃からそうだが、今は特に無警戒すぎる。こんなところで昼寝なんてしていたら、妖怪に襲われてしまう。妖怪である自分がそんな心配をするのもおかしな話ではあるが……

実はここ最近、村に妖怪が度々現れているらしい。最初はまた自分の悪口かと思ったが、それにしては不自然すぎる内容だった。自分は普段村の道を通ったとしても目も合わせず、素通りしている。しかし聞く話によると、そいつは村の人間にえらく高圧的な態度をとるらしく、脅迫じみた事もするらしい。

自分の存在は村に知れ渡っている。その噂が嘘だとしたら、数日でその話題は無かったかのように消えていくが、何日経ってもその話が消えることはない。むしろ日を重ねるごとに内容がより詳細になっていった。間違いなく、自分以外の妖怪がこの近辺に出没しているのだ。

そんな状況だからこそ、普段はのんびりしている刀夜だが、蓮といる間だけとはいえ、最近は警戒を怠る日がないほどに慎重になっている。自分の身もそうなのだが、一緒にいる限り、蓮はこの手で守る。そう決めていたからだ。

そんなことを思っていると、蓮の瞼がゆっくりと開く。どうやら起こしてしまったらしい。

蓮「ん……あ、刀夜。やっと来た」

刀「何だよ、その待ちくたびれたような口ぶりは。別に待ち合わせしたわけじゃないし、いいでしょ」

蓮「それもそうか……あー眠い……」

……本当に警戒心のないやつだ、こっちは神経研ぎ澄まして自分の周囲全てを警戒しているというのに。自分が警戒しすぎなのかもしれないが、もし来たら……「もし」なんてもの、いつ来るかなんてわからない。警戒して損はない。

蓮「もうちょい寝させろ……」

重い瞼を再び閉じ、腕を頭の後ろに置いて寝る姿勢をとる蓮に、刀夜は問い詰める。

刀「別にいいけど……最近は妖怪だのなんだのって、噂になってるんでしょ、もうちょっと警戒ってものを……」

真剣になって話をしていたが、蓮はそんな中いびきをしだした。

刀「……寝てるし」

自分は……寝られそうにないな。









結局、刀夜は蓮が起きるまで一睡もせず周囲を警戒していた。彼が目を覚ました頃には、既に空は暗くなりつつあった。陽が落ち始めているのだ。何か用事があったのだろうか、目を覚ました途端に跳ね上がり、刀夜に別れの一言を告げ、そのまま林の中へと姿を消していった。

やっと一人になれた刀夜は、その場に寝転び寝る準備を整える。陽が落ちるまでなにもせず、ただひたすら、その場に座っていた刀夜の睡眠欲は頂点に達していた。こんな時に寝るのはおかしいが、こんなにも眠いのだから、ここで一睡してから帰りたいというのがある。なにより、親がいない今、いつ帰ろうが自分の自由なのだ。

刀夜はすぐに眠りについた。









目がさめると、空は暗くなっていた。昔の自分ならこの時に帰ると、まず命はないだろう。

ゆっくりと起き上がり、眠い顔をこすりながら家路を辿る。

しばらく行くと村への道が見えるのだが、なにやら様子が変だ。陽はとっくに落ちているというのに、騒がしい。それだけならいいのだが、あろうことか阿鼻叫喚の巷と化していたのだ。

普段の刀夜なら、気にも留めずに引き返すところなのだが……この騒ぎの原因が例の妖怪なのだとしたら、すこし拝見したいものがあった。

村に続く道に足を運ぼうとしたその時、袖の中に匕首があることを思い出し、事の重大さに気がつく。こんな物騒なものを持って村に足を踏み入れでもしたらどうなるのか……

気になる気持ちを押し殺し、刀夜は足先を家の方向に再び向け、そのまま歩き出した。









翌日、刀夜は例の草原で、蓮から恐ろしい話を耳にした。真面目な会話をするというので、いつも雑談だった話と違う話ができると思って楽しみにしていたが、一気に気分は沈んでしまった。

……どうやら昨日の騒ぎ、妖怪による村人の殺害が原因だったらしい。被害者は今の所、独り身の男が一人、それだけらしい。

しかしそれは、あの村を脅かすには十分すぎる効果があった。今まであの村は、妖怪……つまり自分から何も手出しをされていなかった。刀夜以外に妖怪という存在がいなかった以上、今回の事件は未知のことであり、また、恐怖そのものであった。

得体のしれない事態、特に衝撃の大きい事態が起これば、誰しも恐怖にその身を支配されてしまう。それが今回、村規模で起こったということだ。

蓮「……ということなんだ。刀夜、俺のことは心配してくれなくてもいい。だけど刀夜、君は気をつけてくれ。妖怪である以上、村の人たちからは、やっぱ非難の声が上がっててさ……」

普段は非難されていようが、気にすることなんてなかったが、こんな物騒な事態の黒幕として思われているというのは、さすがに参ってしまう。

蓮の言葉に、刀夜は小さく頷いた。