2月8日。
今日は私の母の誕生日だった。
昭和9年生まれの86歳。
今の時代でも、じゅうぶん長生きの部類に入ると思う。
でも、彼女は今日のこの日も、
ベッドか車椅子の上で過ごしたに違いない。
10年以上前から膝を悪くし、
太っていたせいもあるが歩くのが困難になり、
デイケアのお世話になるようになった。
家のお風呂なんて、はるか以前から使っていないだろう。
とてもじゃないけど、危なくて入れなくなった。
そのうち家の中で足を滑らせては骨折、入院、リハビリの繰り返し。
その度に良くなることはなく、状態は悪化の一方。
要介護認定もグレードが上がっていく。
父はといえば、母が足を滑らせて要介護になったある日突然から、
二人の食事やら洗濯やら、家事を一手に担わざるを得なくなった。
まさに老老介護。
そんな状態が何年か続いたが、
それでもとうとう、母がポータブルトイレにも間に合わなくなり、
数年前に施設に入ることになった。
プライドの高い母は、
デイケアに行くのも嫌がっていた。
「あんな年寄りばっかりのところ、、、」
いやいやいや、あんたもじゅうぶん年寄りやで。と思いながらも、
週に3日、食事も入浴も世話してくれると、
父はようやくその間、ゆっくりすることができる。
「金曜に帰って来たときが憂鬱で憂鬱で、、、」
そのころ父がこぼした言葉。
土日連続二日間、これからの時間を思うと重い空気がのしかかったに違いない。
母が施設に入ることになったとき、
私は正直ほっとした。
これで父の自由な生活と健康は、保つことができる。
特別養護の老人施設は、積極的にリハビリをして帰宅を促すところではない。
つまり、退所するときは命が尽きるとき。
亡くなるまで過ごすところなのである。
ここでも母は、周囲の人と交わろうともせず、
いつもぽつんと一人で車椅子に座っていた。
気力も希望もない母。
あるのは三度の決まった食事の時間。
それでも最初のうちは、正月の帰省時に会いに行ったら、
孫の顔を見てはうれしそうにして、
耳が遠くなり始めながらも、なんとか言葉を交わしていたっけ。
帰りぎわには涙をこぼして別れた。
もう、すでにそんな頃が懐かしく思い出される。
今年の正月はもう、
車椅子に沈み、ただ一点を見つめたまま、なんの言葉も発しない。
孫の顔を見ても、私の顔を見ても、わかっているのかどうか。
それすらわからない。
母の日課は、さしだされたスプーンの食事を飲み込むこと。
食事時間の施設は、母と同じような人たちが、
静かにテーブルを囲んでいた。
今日、私は母に花を送った。
母は、自分の誕生日だと知っているのだろうか。
花があることに気づくのだろうか。
人生100年時代と言うけれど、
天寿を全うするって何なのだろう。
どういうことなのだろう。
調べてみた。
【寿命とは】
生物の命とその長さのことで、生まれてから死に至るまでの時間をいう。
【天寿を全うする】
天から授かった寿命を生き尽くして死ぬ。十分に長生きして死ぬ。
母の年齢からすると、十分に長生きしたといえるだろう。
だけど、「生き尽くす」とはどうすればいいんだろう。
もちろん命は天から授かったもの。
生きたくても生きられない人のことを思えば、自ら断ってはいけないのかもしれない。
だけど、母は今、幸せなのだろうか。
これが生きたかった晩年なのだろうか。
完全管理下の温室の中で、
薬と栄養を与えられて、生き尽くしている母。
もしかしたら、
これが長寿大国日本の現実なのかもしれない。
プライドが高く、
人づきあいも苦手で、
派手好きで、
自分勝手だった母。
赤飯を炊くのだけは上手だった。
裁縫も上手かった。
母は今、
どうしたいのだろうか。
どうしてほしいのだろうか。
教えて、おかあさん。
教えてよ。
86歳まで長生きするのは、
つらいのですか。
むずかしいのですか。
天から授かった命、
だんだん自由がきかなくなる中で、
その灯が尽きるまでどうやって生きたらいいのでしょう。
わからない。
私にもわからない。
ごめんなさい。
私は今年も、花に添えるメッセージが書けませんでした。
お誕生日おめでとう、とだけしか。
これ以上「生き尽くせ」という言葉は、
どうしてもどうしても浮かばないのです。
だから、お花だけ送るね。
お母さんのお母さんが産んでくれた
誕生日おめでとう。