CDやサブスク世代の人間にとってレッド・ツェッペリンの凄まじさが一体どれくらい正確に伝わるのだろうか。


僕がツェッペリンを初めて体験したのは当然アナログレコードからで、そのダイナミックな音圧に圧倒された記憶がある。


ジミー・ペイジの刻む鮮やかなギターリフ、ロバート・プラントの伸びのあるハイトーンボイスと、鉄壁のリズム隊からなる陰と陽を巧みに織り交ぜたツェッペリンの立体的で輪郭のはっきりとしたサウンドによって、僕は理屈抜きでロックなるものが如何なるものなのかを明確に体感する事が出来たと思っている。つまりロックという音楽を楽曲とサウンドによって最も具現化したバンドこそレッド・ツェッペリンだったと言えるのだ。




それから80年代後半になると時代はCD時代に突入して、新譜のレコードリリースは無くなりCDオンリーとなって、否が応でもCDでしかロックを聴く術が無くなってしまい、何故か僕のロックに対する愛情も以前ほどではなくなってしまったのだ。


今から思い起こしてみると、僕のロック離れはグランジがとか色々理由付けしていたのだが、単純にレコードが市場から淘汰されてCDに入れ替わったのが原因だと思う。つまりアナログレコードからCDに移行して行く過程で僕のロック離れは加速して行ったのだ。


それはあの如何にも値打ち無さげでこじんまりとしたCDのサイズ感は勿論の事、最も大きな要因は高音質だと鳴物入りで売り出されたCDのあの耳に優しくないチープな音質にロック本来のダイナミズムが失われてしまった事が大きい。



今では信じられないが、本来ロックとは旧態依然とした体制を破壊して新たな秩序を構築して行くプログレッシブな部分が多分にあった。ビートルズのサージェント・ペパーズやツェッペリンのファースト、ピストルズのファーストの衝撃は計り知れなかったのだと思う。だから当時の若者が飛びついたしその音楽に熱狂したのだ。


だが今やロックは若者からはソッポを向かれ、年寄りの慰み物に成り下がってしまった。


新作のCDの音質は兎も角、所謂ロックの名盤と言われるアルバム達がレコードでは手に入れる事が出来なくなり、音の悪いCDで乱発されまくりロック本来の醍醐味が全て消し去られてしまったのが痛かったのだとそう思う。


だから音楽好きの間で「バック・トゥ・ザ・レコード」の流れに動いているのは必然なのだ。


本当のツェッペリンを知りたければレコードで聴こう。