映画「世界の中心で、愛をさけぶ」を何故か僕はずっと観ていなかった。上映当時随分話題になっていたのにも拘らず、なんとなく僕が観てはいけない映画の様な気がしてならなかった。その理由は分からなかったのだが。


これだけ有名な映画なので殆どの方が観ていると思われるが今更ながら簡単なあらすじを書く。




あらすじ

(柴咲コウ演じる片足の悪い女性は引越しのため部屋の片づけをしている際に、自分がかつて子供の頃着ていた服を見つけて懐かしく思い着てみると、その服のポケットから一本のカセットテープが出てきた。


そのカセットテープをきっかけに同棲していて近々結婚する相手の大沢たかお演じる(朔太郎)に置き手紙をしてまで、彼女は台風が接近中の生まれ故郷に帰って行く。彼女を追うために大沢たかおも彼女と自分の故郷に帰るのだが、そこで学生時代かつて愛した女性、長澤まさみ演じる(亜紀)との出来事が一気にフラッシュバックし鮮明に蘇って来て…)




セーラー服に学生ズボン、ラジオの深夜放送にカセットテープ、佐野元春の音楽等々、80年代青春時代を駆け抜けたもの達の琴線に触れる数々の宝物達。


だからあっという間に映画の世界に惹き込まれている自分がいた。感情移入も甚だしいくらいに自然と主人公二人にのめり込んでいく。





人は一人の人間を一体どれくらいの期間、同じ熱量で愛せるのだろう。例えば一日、一週間、三ヶ月、半年、それとも一生…


映画やドラマでよくある「永遠の愛」。そんな事が果たして可能なのか、そもそもそんなものが存在するのだろうか。荒唐無稽な絵空事ではないのか。



写真館の山﨑努演ずる老人は一人の女性を50年間愛し続けた。それが単に映画だからなのか、それとも単に一方的な片想いだったからそんな想いが成立したのだろうか。


それでも僕は強く確信する。一人の人間を40年も50年も変わらず愛し続ける事実があるって事を。それは夢でも幻でもなく現実にこの世に存在しうるものなのだと。



だから主人公の亜紀と朔太郎の愛は永遠に続いているのである、たった二人だけの、二人きりの世界の中心で永遠に。




* 最後に、この映画を観る様にと強く勧めて頂いた猫神さんには心より感謝をしています。