你們好!

35年前的今天,在大陸發生六四大屠殺事件。

請問一下,在日本的大陸人,而且九零後的大陸人你們這個事情這麼想。我很想知道你們九零後對這個大屠殺的看法。


你們不知道這個事情還是你們覺得根本沒有這種事情。可惜真實有六四大屠殺。如果你們不知道這個事情的話我教你們一下,共產黨的部隊對人民多少做悲慘的


還是我的中文不怎麼樣。在日本的九零後的大陸人認識日語吧。所以從現在開始我寫日語好不好。我的中文不好的情況了解一下。



今日6月4日、天安門事件から35年の月日が過ぎた。天安門事件について今更説明する必要もないのでそこは敢えて省略するが、結党当初から常に残忍なやり方で人々を弾圧し続けて来た中国共産党は、あの日最大且つ最悪の人民に対する大虐殺を行った。彼らの暴力による弾圧の目的は極めて明確で、それは中国共産党の存亡の危機を感じ、党を死守する為に共産主義体制の国家がとる至ってノーマルな軍事行動。


あの当時の愚かで無垢な学生達には何も分かっていなかった。胡耀邦によって自由の空気が流れ初めていた中国と言う国は、実は文化大革命の時代と何も変わっていなかったという事を。


そもそもあの中国共産党が易々と自分達の権力を手放すわけもなく、その根底を揺るがしかねない胡耀邦を排除して趙紫陽に首を挿げ替えて体制の安定を図った。


ところが時の最高権力者であった改革派の鄧小平と彼の車の両輪とまで称されて信頼されていた胡耀邦と趙紫陽の二人は、実は根本的な部分で鄧小平とは相容れない思想の持ち主であったのである。


身も蓋も無い言い方をすれば党内で鋭く対立していた保守派の陳雲と改革派の鄧小平であったが、お互い最終的に帰結する思想は「マルクス・レーニン主義と毛沢東思想の堅持」。ところが鄧小平が最も信頼していた胡耀邦と趙紫陽はカビの生えた共産主義思想の堅持など重要ではなく、いかに自由で開かれた社会にするのかが最重要課題だったのだ。


しかし「マルクス・レーニン主義と毛沢東思想」という錦の御旗を掲げる巨大な八大元老という壁の前に、自由な社会を希求する胡耀邦も趙紫陽も天安門に集結した学生や知識人達も皆完膚なきまでに叩きのめされた、それが天安門事件の真相である。


かつて自由を求めて天安門広場に散っていった若者達の事など知りもしないで、今日6月4日という日をよそに、現代の中国人達は上辺だけの富に胡座をかき、それから習近平の高いびきが聞こえてくる。