もしジョーとポールがミックをクビにせずに、それからザ・クラッシュが解散しないでバンドが継続していたのなら、きっとこんな音楽性に向かっていたんだろうなと思えるミックのバンド、ビッグ・オーディオ・ダイナマイト。


ここでは最早クラッシュのギタリストだった事すら感じさせない完全なるダンサンブルでポップなアルバムとなっている。


「パンクはスタイルではなくて生きていく態度なんだ」と言ったジョーは、まるで自らの発言を否定するかの様な頓珍漢なアルバム「カット・ザ・クラップ」をリリースして空中分解、それを横目で見ながら順調に好盤をリリースしていたミック・ジョーンズのBAD。


クラッシュ亡き後のクラッシュファンにとってはミックのBADの順調な活動が唯一の救いだったあの頃。


それから、セカンドではジョーが全面的に参加していて、サードアルバムのジャケットはポール・シムノンが描いていたし、このままジョーとポールがBADに入ってくれないかなんて、クラッシュファンの勝手な妄想をよそに、そんな事は当たり前だけど決して起こる筈は無かく、ミックは飄々と自らのバンドを楽しんでいた。




言葉本来での純粋なロックンロールバンドとしてのザ・クラッシュは「ロンドン・コーリング」でピークを迎えその役割を終えると、「サンディニスタ」と「コンバット・ロック」でバンドはレゲエやダブ、ファンク、カリプソに深く侵入していき、ストレートなロックンロールをジョーは歌う事をやめて、その手のロックはミックのボーカルに委ねた。


ところが二人が袖を分かってからはそれとは逆に、ジョーはクラッシュのラストアルバムで、まるで先祖帰りしたかの様な時代錯誤のパンクを歌い、ミックはBADに於いてストレートなロックンロールを歌わなくなった。



つまりきっとこうだったのだろうと想像する。16トンツアーの時だったか忘れたけどジョーはいきなり「白い暴動」をアンコールで歌い始めた。その後コンサート終了後楽屋でミックがジョーに殴りかかる。


常に前進を目指していたミックからすればこの曲を今更やるのは後退以外の何ものでもないと。ジョーはファンが求めていたからやっただけかもしれないがそれによって二人は激しく衝突した。


それ以来ジョーはライブは兎も角、ニューアルバムのレコーディング時にはストレートなロックを歌わなくなった。ただザ・クラッシュというバンドのアルバムのバランスを考えたら、一曲もストレートなロックが無いのは問題ありと感じたミックがその部分を受け持っていたと。


しかしバンドをクビになったミックは新しいバンドでは自分のやりたい音楽をやるようになると、ストレートなロックンロールをやる必要が無くなったのでは。それからジョーはパンクのアイコンである自らをラストアルバムで演じて見せた、ファンの為に。最早ジョーのそれは道化師でしかなかったのだが。


野中規雄さん、あなたならどう思われていただろうか。それともジョーと交流のあったあなたなら全てご存知だったのかも。


日本人で最もクラッシュに、ジョーに近かったあなたにあの時、こんな質問をしておけばよかった…