元々U2のサウンドはゴリゴリのロックンロールではなく、ジョイ・デイヴィジョンやエコバニとかの様に冷めた空気感の繊細な部分を多分に含んだ、如何にもニューウェーブバンドのそれだった。


ただサードアルバムのサウンドはドラムとギターが鉄板をノコギリで切り刻む様に軋みをあげるサウンドとなっていて、彼らが本来抱えている社会への不満や怒りをよりアグレッシブなサウンドへと消化したものだと感じた。


だがあまりにプロデューサー、スティーヴ・リリーホワイト色強いサウンドに、メンバーからリリーホワイトからの脱却を求める声が強かったのか、四枚目となる「焔」ではプロデュースがスティーヴ・リリーホワイトからブライアン・イーノに交代した。


その「焔」ではより内省的なサウンドとなり、イーノとエンジニア、ダニエル・ラノワの空間と静寂を利用した一音一音にこだわり抜いたサウンドプロダクションは、ロックミュージックに於いて一つの時代の潮流を作ったと思う。


このアルバムでU2とイーノ、ラノワが作り出したサウンドは、商標登録レヴェルのU2印としか言いようの無い極めて特徴的で魅力的な物で、あのボブ・ディランでさえU2もどきのサウンドを演ったりしていた時代だった。


個人的にはリリーホワイトの時代もイーノ、ラノワ時代の双方がバンドの魅力を巧みに引き出していたと思う。


それからより大事な事は、ギタリスト、ジ・エッジは計り知れないくらい魅力的でユニークなギタリストで、彼がU2に居たからこそリリーホワイトもイーノもラノワも、ひいてはU2というバンドもここまで光り輝く事が出来たという事を忘れてはならない。