沢田研二の多くの作品群と彼の活動や言動を見聞きして1番に思う事は、沢田研二というアーティストはどんなロッカーよりもロッカーらしいアーティストだという事。
彼の音楽的なバックグラウンドが60年代ロックにある事はファンなら誰でも知っているし、タイガースからPYGに至るまでのバンド時代はアイドルとロッカーの狭間で大きく揺れていた。
ただソロになってからのジュリーは歌謡曲歌手としてのスタンスに大きく舵を切る。勿論ジュリーは単なる操り人形的アイドル歌手ではないので、デビュー当初からPYGから発生した井上堯之バンドをバックに従え、ロックシンガーとしての意地も見せていた。
だがそこはやはり昭和の芸能界、テレビではあくまで歌謡曲を歌うジュリーを全面に押し出し、ライブに於いてのみロッカージュリーの本領を発揮する事が許されていたのだ。
僕は元々ロックが好きで歌謡曲など全く興味も無く、ジュリーにはロッカー的側面を感じたからこそ好きになっただけで、歌謡曲を歌うジュリーには当初はあまり興味が湧かなかった。
それよりライブでストーンズのカバーや内田裕也とロックンロールメドレーを歌うジュリーに惹かれていた。
そんなジュリーも田中裕子とのスキャンダル等でテレビではさっぱり見かけなくなった頃、自身のレーベルからアルバムを出す様になり、如何にもロックですと言わんばかりのロックアルバムを作る様になっていった。
アグレッシブでワイルドなギターに分厚いサウンドは、楽曲もよく出来ていて演奏も申し分ないし、ボーカルも往年の滑らかさは無いものの、平均点を軽くクリアするパワフルなボーカルを聴かせてくれて実に見事な作品に仕上がっていた。きっとジュリーはこんなギターサウンドが好きなんだろう。かつてジュリーはストーンズの「スティッキー・フィンガーズ」でのギターサウンドが好きだと言っていたから。
ジュリーファンからすれば文句のつけようのない出来栄えだと言える。
だが僕はこれらの作品に何か物足りなさを感じていたんだ。歌謡曲歌手のジュリーには興味が無かったのに、ロックを全面に押し出して来た時のジュリーには正直あまり魅力を感じなかった。
歌謡曲を歌いながらも、ふとした瞬間にロックシンガーのジュリーが垣間見えた時の、あの何物にも代え難い魅力を放っていたあの頃のジュリーが僕は好きだったんだとはっきり悟った瞬間だった。
つまりジュリーというシンガーは表層的な部分では歌謡曲を歌いながらも、その実歌謡曲とロックの狭間で激しくせめぎ合いながら、その絶妙なバランスの上に成り立っていた稀有なアーティストであったのだ。
だからどちらかが極端に強く出てしまったら、ジュリーの魅力が半減してしまう。
そういう意味でも実質PYGを従えて「許されない愛」や「あなたへの愛」「危険なふたり」を歌っていたジュリーはまさに奇跡的な存在だったのだ、その妖美なルックスも含めて。
ジュリーは歌謡曲もロックをも超越したところに存在しているアーティストで、ジュリーはジュリー以外の何者でもなく、強いて言うならジュリーというジャンルの唯一無二のアーティストなのだ。