偉大なるソウルシンガー、デイビッド・ラフィンの抜けたテンプテーションズに加入したのはデニス・エドワーズだった。


個人的にはデイビッド・ラフィンより好きなボーカリストで、数多のソウル・シンガーの中でも上位に食い込む程のお気に入りのボーカリストなのだ。彼の分厚いバリトンはソウルシンガーとして見た場合、極めて表現力の高い魅力的なシンガーだと言える。


そんなデニスと共にテンプス第二期黄金時代を築いたのがモータウンお抱えのライター、ノーマン・ホイットフィールド。ホイットフィールドの描く世界は、明らかに公民権運動後の公民権法が制定された当時でも、キング牧師の暗殺に代表される様な全米を覆い尽くす、決して消し去る事の出来ない黒人への差別意識からくる暴力に対して、強烈に抵抗する極めてメッセージ色の濃い音楽なのだ。


つまりこの時代のテンプスはメンバーが意識するしないに関わらず、公民権運動とは切っても切り離せない社会派ソウル・グループだった。


そんなテンプスはノーマン・ホイットフィールドのペンによる「パパ・ウォズ・ア・ローリング・ストーン」をヒットさせた。


ワウ・ギターの切れ味鋭いカッティングとクールなトランペットが曲のイメージを構成しているこの楽曲は、イカれたダメ親父を歌ったもので、一見そこにメッセージ性は皆無の様に見えるのだが、僕には当時のアメリカ社会へ向けた強いメッセージを感じとる事が出来る。


黒人を差別するアメリカ社会が悪いのだ、だから父親はこんなにも底辺の生き方しか出来なかったのだと、短絡的に結びつけられないのかもしれないが、歪な社会の犠牲になっていく数少なくない黒人達もいたのも事実だった。