太宰治の短編 『きりぎりす』。
「この世界に私でなければお嫁に行けないような人のところへ行きたい」と思っていた “私”は、
周囲の反対を押し切って、売れない画家と結婚する。
世間に認められず、一生貧乏であろう画家。
「(売れなくても)平気で誰にも頭を下げず、たまには好きなお酒を飲んで一生、俗世間に汚されずに過ごして行くお方だとばかり思っておりました」
「ひとりくらいは、この世に、そんな美しい人がいる筈だと信じて」
「私でなければ、わからないのだと思っていました」
「貧乏になればなるほど、私はぞくぞく、へんに嬉しくて」「張り合いがありました。」
が。
画家は急に有名になり、偉くなり、忙しくなり、お金の話をするようになる。
おしゃれになり、歯を治し、家が広くなる。
有名な大御所とも交流が出来、賞も取り、先生と呼ばれる。
チャリティに貢献し、紅白に出て、「幸福と感動を分かち合う」アルバムを出し・・・
あ、これ違うか
“ 私” は、夫に高いものをご馳走してもらっても、もったいないばかりで おいしいと思えない。
「いいお仕事をなさって、そうして、誰にも知られず、貧乏で、つつましく暮らして行く事ほど、楽しいものはありません」
売れなくたって、自分さえ その人の生きざまを理解していられたら幸せだったのに。
名声を手にして 言うこともすることも世に染まっていく人への怒りと淋しさ。
キスマイはこういう天狗とは違うんだけど・・・
好きだったものが、ただの「成功者」「正しいもの」に変わっていってしまった経験のある方は共感できるかも
下のボタン、同意は求めません(笑)
だけど「押してやるだけなら いっか♪」って方
よろしくお願いします~