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昔のこと、今のことをポツポツと書いています。




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私は罪悪感に苦しむことが多いです。


もっと私がちゃんとしていれば

もっと私が強かったら

もっと私が付き合いやすい人だったら


私の存在が周りの人の迷惑になっている。


私さえいなければ、周りの人はもっと上手く、もっと快適に過ごしていけるのに。


私みたいなダメな人間があなたの側にいてごめんなさい。


私いなくなった方がいいですか?


私がいない方がうまくいくんだよね?


私がいない方が楽しいんだよね?


でもどこに行けばいいのか分からないから、ここに居続けるしかなくて。


私みたいな人間がここに居てごめんなさい。






自分が生きていることに対しての罪悪感がいつ芽生えたのか、


どうしてそうなってしまったのか、


子供の頃からずっとそうなのでよくわからないけれど、


罪悪感はとても苦しい感情です。


自分という人間が生きていてもいいという証をどこにも見つけられない。


かといって、どうすればいいのか分からない。






先日、罪悪感に対する救いになる言葉を見つけたので、書き留めておきたいと思いました。



「罪悪感とは、自分の中にある仲間を大切にしたいという気持ちのあらわれだ」


というものです。


罪悪感とは、自分のせいで相手が不利益を被っているかもしれない、と苦しむ感情のこと。


自分の立場よりも、相手の不利益のこと思いやっているという証。


それに時間を費やして、自分の心を犠牲にしてまで苦しみ続けるなんて。


なんてあなたは優しく思いやりのある人なんでしょう。


そう言ってくれています。



罪悪感に苦しむのは、あなたが思いやりに溢れる優しい人間だという何よりの証拠。


だから苦しむよりも、自分の優しさに気づいてあげましょう、と。








これを読んで、私はとても救われた気持ちになりました。


罪悪感はとても居心地が悪くいたたまれない感情だけど、


それは私の思いやりが作り出した幻想だったのかもしれない。


罪悪感を抱ける人は、自分よりも他人を優先する愛情溢れる人間なんだ。


自分の中にある愛情を知れば、もっと自分のことを好きになれる。


自分は愛情溢れる人間だし、愛される価値のある素晴らしい人間だと思うことができる。


この考え方を知って、私は少し肩の荷が降りた気がしました。


私は居てはいけない人間ではなかったんだ。


私を苦しめていたのは私の優しさだった。








私が優しい?


私は何もいいことはしていないけど?


でも罪悪感を感じることそのものが優しさの証だとしたら、


こんな私でも優しい人なんだと思うことができる。








私は基本的にドジで立ち回りも不器用だから


自己嫌悪でへこむことがしょっちゅうです。


この考え方を知ってから、


「周りの方に申し訳ない」と思う度に


「あぁ、私って優しいんだな」


と思うようにしています。


「そんなに気に病まなくてもいいよ」


だって、今もいたたまれないこの気持ちは


私の愛情深さそのものだったのだから。




今日の出典はこちらです。↓


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