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昔のこと、今のことをポツポツと書いています。
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昨日あるお悩み相談を聞いていたら、上司からパワハラを受ける原因として、
「心の中でその人のことを見下しているんだよ」
というアドバイスを聞きました。
それを聞いてドキッとしたんですよね。ああ私のことだって。
そういえば私、上司や学校の先生だけでなく、周りの大人たちを見下しながら生きてきたかもしれない。
いつからだろうと考えました。多分幼稚園の頃から。
クラスに馴染めなくて、先生も何か冷たくて、心がねじれ始めた年。
同級生は子供っぽくて、動物みたいにめちゃくちゃで、みんな取り付く島がなかった。
「バカみたい」と思うことで、友達ができにくい事、一人が寂しいことをこらえてきた。
先生は厳しくて、怒りっぽくて、冷たくて、私のことを見てくれない。
「あの人きらい。人に命令するほど偉い人なの?」
と先生の人格そのものを疑いました。
ここが私が人を見下し始めたきっかけだと思います。
要するに寂しかったから。受け入れてもらえないことが納得できなかったから。
私はアスペルガーの傾向があるので、言語性の知能が高いという検査結果が出ています。
同時に動作性の知能があまり高くないです。
口は達者で考えることは得意なのに、不器用でコミュニケーションが苦手。
そういう傾向が子供の頃から出ていました。
周りの子供達との会話は物足りなく、大人からは不器用なくせに生意気だと思われる。
そういうところが災いしてきました。結構しんどい子供時代だったと思います。
だから周りの人を心の中で非難し、見下すことで自分の心を守ってきました。
幼稚園の頃だけでなく、それ以降も大人になってからも、
周りとうまくいかない苦しさを「人を見下す」ということで乗り切ってきました。
あまりにもずっとやってきたので、それが当たり前になっていて、
素直で幸せそうな人を見るたびに
「頭の中がお花畑で羨ましい」
とひねくれたこと思っていました。
だからうまくいかなかったんですね。
表面上は笑顔で礼儀正しくしたつもりでも、
きっとどこか雰囲気から私の「人を見下す」クセは漏れていたのでしょう。
思えば本当に、先生たちのことも上司たちのことも、批判することはあっても尊敬したことはないかもしれません。
特に権力があって命令してくる人には、そうしてきました。
もちろん友達や先輩の中には「この人は好き」と思える人もいます。
でも心の中に「どうせ自分なんて」という思いがあるから、
あえてまとわりつかないようにしてきました。
私に慕われても嬉しくはないだろうと。
これは寂しい人生になりますよね。心がねじれて、周りの人と揉めたりもする。
原因に対して当たり前の結果が出ていただけでした。
人も嫌い、自分も嫌い。人は信じない、自分も信じない。
うまくいくはずがありません。
さて、どうしたものでしょうね。これでは出口がない。
最近では、
自分を好きになりましょう、
自分に甘くしましょう、
あなたはそのままでいいのです、
自分を幸せにできるのは自分だけです、
そういうアドバイスが溢れています。
それはひとつの有効な方法だと思います。
今まで人を批判する強さで自分を批判してきたから、なかなか変わるのは難しいですが、
少しずつでもそちらの方向へ向かっていきたいと思います。
理由はどうあれ、自分がこうなった原因は自分が作ってきたということでしょう。
だったら自力で抜け出すしかない。
言葉はおかしいけど、頑張って自分に甘くしましょう。
ちょっと無理があるけど、自分のことを大好きになってみましょう。
言ってておかしいけど…
でもこうならざるを得ないほど、自分は茨の道を歩んできたんだ、
十分頑張ってきたんだ、もう自分を許してあげよう。
そう思いました。
私が自分を許してあげたら、周りの人にもその「お花畑」が伝わって、
柔らかい空気になったらなあと思います。
少なくとも「人を見下す」批判の応酬からは抜け出していきたいと思いました。
今日もお読みくださりありがとうございました