地震のような衝撃が走り、
セリに巻き込まれて生徒が亡くなったのです。
幕が閉まり「楽屋に戻れ」という号令がかかりましたが、
当時楽屋が3階にあり、
半分の生徒は血だらけの現場を通って戻ったそうです。
翌日はきっと休演に違いないと思っていたが
「平常通り公演があるので、遅れないように」
とのお達しがありました。
(私:信じられない!)
その後どう公演が行われたかの記憶があいまいだそうです。
それから毎年命日は奈落に花が供えられ、
旧劇場取り壊し以降は(旧)音楽学校にある慰霊碑に献花されていました。
それも移転され今は宝塚大橋のたもとにあるそうです。
私は大劇場は宝塚駅から歩くので、今まで気づきませんでしたが
グーグルマップを見ていて、気づきました。
当時香月さんは21歳。
悲しすぎる事件でした。
岸さんが宝塚音楽学校に入学したのは昭和32年。
それまで予科1年制から予科本科の2年制になりました。
入学した時は下級生も上級生もいない。
テレビで予科生が端っこを通り、直角に曲がるのを見て
のけぞったそうです。
それにしてもあの格好、ペコペコオドオドと、
まるで緊張の二文字がグレーの制服を着て歩いているようで
タカラジェンヌ予備軍である予科生が本来持っている
「若さ美しさ」がひとかけらもなかったゾ。
その点ワタシらと来た日にゃ、校舎内でドンとぶつかったとしても
相手は同期生。なにがコワいものか。
もちろん阪急電車に向かっておじぎするってことも
なかったんでしょうね!?
いつのまにか、いろんなルールができてしまった
ということでしょう。
昔のジェンヌさんがよく語っていたのは
「授業をさぼって宝塚ファミリーランドで遊んだ。」
岸さんがおっしゃることには、制服着ていたらフリーパスだったそうです。
ボートを漕いでいるうちに、宝塚音楽学校の前にでてしまい、
「見えてますエ、早うお戻り」と、先生に呼ばれたとか。
初めての東上公演は最下級生だったので、
寄宿舎に入れず、楽屋で寝起きしていたとか。。。
いろんなエピソードが盛りだくさんの岸香織さんの本でした。
岸香織さんは2012年73歳でお亡くなりになりました。