何気なく手にとった岸香織さんの古本。
その冒頭はあまりにも衝撃的でした。
なんでこれをわざわざ冒頭に持ってきたか?
疑問に思いましたが、風化させてはいけない出来事として
書かれたのでしょう。
それは岸さんが初舞台を踏んで1週間たった時に起こりました。
(当時は本科実習生として芸名がないまま舞台を踏んだそうです。)

地震のような衝撃が走り、

セリに巻き込まれて生徒が亡くなったのです。

幕が閉まり「楽屋に戻れ」という号令がかかりましたが、

当時楽屋が3階にあり、

半分の生徒は血だらけの現場を通って戻ったそうです。

翌日はきっと休演に違いないと思っていたが

「平常通り公演があるので、遅れないように」

とのお達しがありました。

(私:信じられない!)

その後どう公演が行われたかの記憶があいまいだそうです。

それから毎年命日は奈落に花が供えられ、

旧劇場取り壊し以降は(旧)音楽学校にある慰霊碑に献花されていました。

それも移転され今は宝塚大橋のたもとにあるそうです。

私は大劇場は宝塚駅から歩くので、今まで気づきませんでしたが

グーグルマップを見ていて、気づきました。

当時香月さんは21歳。

悲しすぎる事件でした。

 

岸さんが宝塚音楽学校に入学したのは昭和32年。

それまで予科1年制から予科本科の2年制になりました。

入学した時は下級生も上級生もいない。

テレビで予科生が端っこを通り、直角に曲がるのを見て

のけぞったそうです。

 

それにしてもあの格好、ペコペコオドオドと、

まるで緊張の二文字がグレーの制服を着て歩いているようで

タカラジェンヌ予備軍である予科生が本来持っている

「若さ美しさ」がひとかけらもなかったゾ。

その点ワタシらと来た日にゃ、校舎内でドンとぶつかったとしても

相手は同期生。なにがコワいものか。

 

もちろん阪急電車に向かっておじぎするってことも

なかったんでしょうね!?

いつのまにか、いろんなルールができてしまった

ということでしょう。

昔のジェンヌさんがよく語っていたのは

「授業をさぼって宝塚ファミリーランドで遊んだ。」

岸さんがおっしゃることには、制服着ていたらフリーパスだったそうです。

ボートを漕いでいるうちに、宝塚音楽学校の前にでてしまい、

「見えてますエ、早うお戻り」と、先生に呼ばれたとか。

 

初めての東上公演は最下級生だったので、

寄宿舎に入れず、楽屋で寝起きしていたとか。。。

いろんなエピソードが盛りだくさんの岸香織さんの本でした。

岸香織さんは2012年73歳でお亡くなりになりました。