3月18日(金)...
ママ
「雨、そろそろ止むと思うんだけど」
クリスマスローズ
パパ
「高森殿の杉にでも寄って行こうか?
きっと、きれいな景色が見られるよ」
「野焼きしたあとだから、変な虫もつかないね♪」
「...シシ神様、いないかな?」
「ガサガサ」
「...クー?」
「霧で見えないや」
高森殿の杉...
樹齢400年の夫婦杉です。
牧野内にあって
放牧牛の雨宿りの場所になっています。
今は野焼きが終わったばかりだから、
牛さんはいません。
いたら危ないです。
アリスおねえさんでさえ、ここの牛には敵いません。
「雨が、上がってる」
「本当に、きれい!」
清栄山
高森峠
県境の特産センターごかせへ...
パパ
「カモシカにあげるの」
国見ヶ丘へ...
「ママ、
放射線治療の効果は、
いつ分かるの?」
「そうね、3ヵ月後かな?」
「消えてるといいね♪」
「そうね」
希望は、
人間が食べたり、眠ったり、
歩いたりする本能と同じように、
人間の生命の営みの中に
組み込まれている要素だと思います。
病気でだめだと言われても、
もしかすると自分だけには
奇跡的な回復があるかもしれないと思う。
片道分の燃料しかないままに出撃した
戦争中の神風特攻隊の人たちですら、
もしかするとアメリカの艦船に拾われて
生きて帰るかもしれない、
と考えたという話もあります。
希望は人間の生理的な働き
そのものなのかもしれません。
しかしその機能が
うまく作用しないことが時々あります。
絶望的になり、
自分の将来は閉ざされていると
思うようになる。
希望は自分で作り出すものです。
他人が作って与えることはできません。
他人は、
希望を叶えようとする人の手助けをします。
希望を失うのは、
人間の運命はすべて
自分の力の結果だと
信じている人です。