「脱原発の日」より転載
野田首相は大飯原発再稼働の表明にあたって原発を動かさないことを
精神論と言ってのけました。
福島の現実を無視して“精神論”で再稼働をしようと考える野田首相や西川福井県知事、
財界その他にこの記事で福島の現実を知らしめたいです。
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『福島のかなしみ』 鈴木依古
朝、小鳥のさえずりでやわらかく目がさめる。窓を開ける。明るい日の光とさわ やかな風が起き抜けの体を包む。
大きく伸びをして深呼吸。「おはよう!今日もいい日ね」。家族の明るい声がする。
庭に出る。数日前に蒔いた種が芽を出している。あとひと月もすればきれいな花 が咲くだろう。軒先を横切るネコ。
土手の向こうにはいつもの一家。みんな散歩を欠かさない。今朝のお隣さんは畑 仕事。子供たちの元気な声が響く。
ボールを蹴る音がする。どこかのお宅から焼き魚のにおい。旬の味覚いっぱいの 朝食。家族みんなで、「いただきます!」。
朝の気ぜわしさの中にも会話は弾み、今日も生き生きとした一日がはじまる。
2011年3月11日。大震災と原発事故が起きるあの瞬間までは、こんなごく ごく当たり前の毎日が福島にもあった。
今なお拡散を続ける放射性物質。何世紀もかけて培われた文化も、祖先によって 守られた伝統も、子孫に受け継がれた
土も、何もかもみな根絶やしにされようとしている。どれほど切実に祈ろうと も、強く願おうとも、ひとたび失われたものは
二度とは戻らない。
環境が一変した。あれほど賑やかに美しい歌を奏でた小鳥たちがいない。いくら 近づいても花の香りがない。
洗濯物も布団も外には干せない。
庭の汚染は激しく、何の手入れもできない。近所から子供が去り、その家族も去 り、無残に荒れた田畑が残る。校舎も
校庭も遊具も何もかもが汚染されている。被ばくを避けるために転校していった 子供たちがいる。学校行事の多くは
取りやめになり、あるいは時間を短縮し、運動会も体育館の中。競技の順番が 回ってきた子供たちだけが体育館に移動する。
「除染」と称して校庭の表土こそ剥がれたが、すべて取り除けるはずもない。た とえ校庭からだけ幾らかの汚染土を削り取った
ところで、安心して生活できるほどの場所は増えない。
子供たちの屋外活動は、一日三十分以内、三時間以内と年齢ごとに制限されて いる。そんな子供たちに配られたのは、
「ガラスバッチ」だ。本来、ガラスバッジは職業上の被ばくを記録するために使 われる小さな装置。それが今や、
福島の子供たちの首からは当たり前のように下がっている。一人ずつがどのくら い被ばくするのか、それを一定期間ごとに
調べるためだ。そんな異常な光景の中で子供たちはつぶやく。「被ばくは嫌。ベ クレルも嫌。どうしてこんなことになったの」。
子供たちの純粋な疑問に、大人は誰も答えない。
福島第一原発の事故は、事故と言ってのけるにはあまりにおぞましい。生活を奪 われる悲しみ、子供が未来を夢見ることの
できない悲しみは、何を以て表現し得るだろう。そうしてこの瞬間にも、放射能 汚染はじわりじわりと広がってゆく。
汚染された大地が、汚染される前と同等程度の水準になるには長い長い時間がか かる。わずか一時、地球で生きる現在の
私たちには、汚染がなくなる日のことなど望みようもない。これが、いまだ現在 進行形の放射能汚染の現実なのだ。
この悲惨さを、「事故」という二文字によって単純に包摂してしまうことが如何 に横暴で不条理なことか。「事故」と名付けることで
希薄になるのは原因の究明ばかりではない。被害の実態はさらに曖昧なものとな る。「想定外の事故だから仕方がない、
やむを得なかった」というような意識までも、いつの間にか一方的に受容させら れてしまう。そこで見落とされるものは何か。
見過ごされるものは何か。最も見落としてはならないものが見落とされ、最も見 過ごしてはならないものが見過ごされてゆく。
ひとたび刷り込まれた認識をひっくり返すのは、誰にとっても容易なことではない。
避難先の学校で、この春、卒業式を迎えた子供のひとりが、卒業代表としてこう 述べた。「今、こうやって生きていることに
感謝しています。友人や家族と過ごせる時間が一番大切だと気がつきました」。
本当にそのとおりだと、同じ思いをかみしめる方も多いことだろう。
しかし、悲しいことに、福島の子供たちが心の奥に潜ませている思いは実はずっ と複雑なのだ。
子供たちはこの一年、被ばくは病気を引き起こすことがあると教えられ、もしか すると早く別れが来るかもしれないと考えるように
なった。地震や津波によってもたくさんの大事な人と離れなければならなかった のに、これからずっと、止むことのない被ばくの恐怖にも
さらされていかなければならない。友達と外で自由に遊べず、部屋の中でもマス クをしなければならず、マスクをしていても
肺に放射性物質が取りこまれることを危惧して大きく呼吸ができず、靴ひもを結 ぶときに手が汚染されることを忘れてはならず、
学校から帰ったら玄関で服を全部脱いで着替えなければ部屋に入れず、できるだ け数値の低いところを探して眠らなければならず、
・・・・・・数え上げたら切りがないほど、こうした我慢と覚悟とを強いられて いる。「被ばくは嫌だ」と泣きながらも、子供たちが
それらに耐え続けているのは、できる限り長く、元気に、家族や友達と一緒にい たいからに他ならない。卒業式が終われば
また厳しい現実に戻る。別れ別れになる友達もいる。生きていることへの感謝、 家族や友達と過ごす時間の尊さを述べながら、
あの子供たちはつかの間の穏やかさをかみしめていたのだ。
しばしば報道される福島の姿も、確かに福島の一側面には違いない。しかし、 報道されない福島がある。ひとりひとりの思いがある。
現実的な問題としての地域差、情報の乖離がある。悲観的、楽観的と容易に分け てしまえぬそれぞれの向き合い方もある。
いのちの根源のまさにギリギリのところで、福島県民は日々、苦悩している。