野村浩将 監督作「愛染かつら」を観ました。
1938年、昭和13年に松竹が製作した映画です。無声映画や初期のトーキー(有声)映画はあまり観ないのですが、機会がありまして、鑑賞しました。
飽きることなく、割と楽しんで観ることができた、というのが率直な感想です。過去の映画における映像技法・技術、音響、などは現代の映画と比べると非常に粗いものがあるのは当然のことで、また、現代の映画に親しんできた現代人にとって過去の映画は、観ること自体が忍耐を要することもしばしばあります。映像や音響の粗さに足を取られてばかりいて、内容そのものに関しては正常に追うことができない状態のまま終幕を迎えてしまうことも多いのではないでしょうか。結果、「途中で飽きてしまった」「楽しめなかった」という印象が残るのも頷ける気がいたします。「古典」を楽しむことができない、ということの一因には、やはり、そういった技術的な面も存在しているのでしょうね。
少々ズレたので感想に戻ります。
「愛染かつら」も上記したように、技術的な粗さは大いにありました。声が聞き取りにくい、映像が不意にブレる、など。ですが、印象として、それらの映像や音響がある程度(現代人である私が問題なく観れる程度には)整っていました。当時の映画事情には詳しくないですが、技術的に進んだ作品だったのでしょう。20年代付近に撮られた「浪人街」と比較すると、高度な発展がみられます。
その「古典に疎い現代人の鑑賞に耐えうる」技術、それ以上に(それが土台になっていることは重々承知で)ストーリー構成が素晴らしかった。「愛染かつら」では、男女のすれ違い、リアルな雇用現場、格差社会、政略結婚的なもの、サクセス、などが描かれています。また、そこに、親のあり方、自由な恋愛、女性の笑顔がある社会、が問題提起的に含まれています。そして、表題にもなっている愛染かつらの木での約束が男女を強く結びつけ、結果的にハッピーエンドへと導きます。
愛染かつらの登場によって観客は、これは男女が最終的に結ばれる物語である、と予測することができます。そのうえで物語を面白くみせるために重要になるのは、エピソードの挿入と終幕までの引っ張り方でしょう。「愛染かつら」はその点が非常に巧みでした。全体を通して予定調和的な展開なのですが(この予定調和、という考え方も問題で、その当時においては物語の斬新さがあったことは無論、承知しておかなければなりません)、それでもひとつひとつの展開が鮮やかでした。模範的、優等生的な美しいストーリーラインです。
今でこそ、模範的なストーリーは「陳腐だ」と批判されるでしょうが、それがモノクロで展開されると圧倒されてしまいます。現代の物語想像力、の下に埋まっている基盤をみた気がしました。
