ここ何回かの記事は、友人とも恋人ともつかない彼と過ごす時間について書いてきた。

 

2か月に及ぶ、感情の面でもそれ以外でも怒涛のように過ごしたのは、やはり私自身が彼に恋をしていたからだろう。

 

一旦物理的に離れて、1週間になる。

 

今は彼のほうが以前よりもマメにメッセージや電話、ビデオ通話などをしてくれる。

 

ロマンチックなことは言わないし、してもくれないけれど、予期せぬ時にふと優しさや私への恋しさを見せてくれるときもある。

 

たとえば、以前彼が作ったメロディに私がつけた歌詞について、「あれ、もう一回送って」と言ってきたり。

 

ビデオ通話をしながら、特に何を話すわけでもなく、ただ自分がギターの練習をしているだけだったり。

 

そして、私が日本に戻ってきて、これから病院に行くと言ったら、彼は「どうしたの」と聞く。彼はパートナーが二人いる状況なので、性感染症を心配しているのだ。

 

あるいは、「妊娠した?」と、閉経して数年経つ私に聞く。付き合い始めの頃は、「アフリカの伝統医療に見てもらえば、50歳を過ぎてても子供が産める」と言って、子供が欲しいような口ぶりですらあった。

 

私は、「残念ながら妊娠はしてないわ。」と答える。彼との間に赤ちゃんがいたらどんなに可愛いだろうと、2秒ぐらいは想像してみるけれど、元々婦人科系が弱かったから、過去の結婚でも自分の子に恵まれることはなかった。

 

まあ、そういうのは夢物語で、彼はセネガル男だから今はちょっとだけ「一夫多妻ごっこ」を楽しんでいるような感じ。

 

私自身、一夫多妻の状況を過去に経験していて、自分はいつも「2番目の女」であることにどこか慣れてもいるし、また一方で、やはりそういう立場は苦しくもある。今回は、もう一人の女性に私の存在をオープンにできないから。

 

この一つ前の記事で、私は人生最大のアホな選択をしたと書いた。彼とプラス数日間を過ごすために、日本へ向かうために空港まで行ったのに、その飛行機に乗らずに日付をずらして戻ってきたのだ。

 

そして、アホなこと第二弾。

 

それは、今回日本で病院に行った結果、私は性感染症にかかっていることが分かった。ヘルペスで、かれこれ5日ほど膣が痛い。

 

彼に何と伝えようか少し悩んだけれど、実はもう一人の彼女のほうが先に罹っていたとのこと。彼は、「ぼくのせいだ、ごめん」と謝ってくれた。私は、「誰でもかかる病気だから、大丈夫よ。むしろ、彼女から私へのプレゼントね」と冗談を言った。

 

私には、その膣の痛みですら、彼が私にもたらしてくれたもの、もう一人の彼女と3人でシェアしているものだと思うと、なぜか愛しい。

 

・・・こんなことをいつまで続けるのだろう。

 

「シンプルな情熱」を今回読み返して、号泣した。

 

1993年、私が東京で仏文科の学生をしていたころに初めて読んで、衝撃を受けた。30年後の今読むと、自分の現在のことと照らし合わせて、心に染みる。

 

抜粋したい箇所がいくつかあるけれど、とにかく彼を待つ時間、その苦しさですら愛しい日々。

 

私も、彼から与えられるものは負のものであってもすべて「生きている証拠」だから、それでもそこに存在してくれるだけで、私には十分なのだ。

 

結婚して数週間で亡くなった故人のようには私を愛してくれないけれど、生きて共に過ごせる人の存在もまた貴重。

 

神様からのギフト・・・