誰かにマッサージをすることが、幸せと感じたこと。

 

それは、2年前に亡くなった伴侶(セネガル人)が、病気で寝返りを打つのすら難しいぐらい体が動かなくなっていたとき、唯一私にできたことが、彼の背中や足をマッサージすることだった。

 

それから2年近く経ち、私が最近お付き合いしている彼は、健康だけれど、時々腰の痛みがあるという。だから、ゆっくり時間を過ごせるときは、時間をかけてマッサージをする。

 

故人と同じ国出身で、黒くてツルっとした背中を見ながらマッサージしていく。私はそれをしながら、生命力を分けてくれる彼に、こうして触れることができることをとてつもなく幸せだと感じる。筋肉痛がひどい時はタイガーバーム。先日はシアバターを使った。シアバターは、実際にセネガルでもマッサージをする際によく使う。

 

故人と今の彼とは同じ国の出身だけれど、性格も、生き方も、私との接し方も、ずいぶん違う。でも、私の中ではどこかで、亡くなった伴侶とできなかったことを、神様がこうして違う人を私に送り込んで、できるようにしてくれたと感じている。

 

先日は、久しぶりにゆっくりとマッサージをしたら、気持ち良かったようでウトウトしていた。もうすぐ私が1か月ほどフランスを離れるので、そのことが「寂しい」という。

 

普段あまり感情を示さない人だけれど、珍しく「愛してる」とも言ってくれた。前回は、私に「愛してる?」と聞いてきたけれど、彼とは友達の延長のような間柄なので、その言葉をどう取ったらいいかわからず、つい茶化してしまう。

 

仲の良い友達同士であることは間違いないと思うけれど、私は彼を愛しているのか。そして、彼は私を愛しているのか。なかなか今の二人の状況では一言で答えるのが難しい。

 

でも、こんな形でも、友だち以上の関係になってから2か月近く経った。これから1か月会えないので、会えない間に彼がどのくらい私を恋しいと思ってくれるのか、そして、その後はどうなっていくのか、今は何も見えない。

 

ただ、これからもこうやって時間を共にしていくのだろうと思う。料理、音楽、言葉、マッサージ。。。すべてが私にとって束の間の幸せの時間。毎回、彼がわずかに残していく体毛がアフリカのチリチリした可愛い形で、それを拾うたび、二人で過ごした余韻を思い出す。