今はフランスではバーゲンシーズンが終わりに近づき、パソコンやスマホ上でも「2つ買うとさらに15%引き!」みたいな写真付きの広告がバンバン上がってくる。

 

私も、ついつられてそういう広告を見ると、すでにいくつも持っているのに新しいカバンを買いそうになる。

 

何年も使い続けるもの、その後で飽きるもの、色んなカバンがあるけれど、ここ数年の自分は、買ってもしばらくすると違うものが欲しくなる。

 

でも、どこかでわかっている。いくつカバンを買っても、心が満たされるわけではないことを。

 

ネットで調べたところ、こんな記事が出てきた。

 

物を買っても幸せになれないのに、なぜ物が欲しくなるのか? | ライフハッカー・ジャパン (lifehacker.jp)

 

AIさんまで、こんな風に調べて出してきてくれる。

 

 

そんな中、今週末は、きれいに家を掃除したり、黙々と家で工作のようなことをしたり、仕事をしたりして静かに過ごした。

 

そうやって手を動かすこと。自分も何かを作ってみること。そういうことが、心の充実につながるように思う。

 

料理も同じ。昨日は、魚の揚げ餃子を作った。

 

セネガルで屋台から買ってきた味が忘れられず、再現したもの。

 

サーディン缶、玉ねぎ、パセリ、にんにく、唐辛子、マギーブイヨンなどをミキサーにかけて、皮に包んで揚げる。今回は、アフリカ食材屋でアフリカ唐辛子も買ってきたので、香りも辛さもアフリカン。

 

皮から手作りして黙々と手作業をしている時、頭の中をリセットできる。

 

いっしょに食べた人も、おいしいときれいに平らげてくれた。

 

 

こうやって、できたものを買うだけでなく、自分でも作ってみることが幸せなんだと思う。

 

さて、それでもカバンの煩悩はなくならない。

 

一方で、手帳とかPC、スマホや本、キッチン用具などは、必要なものをその都度選んで買うからか、一つあれば十分なんだけど。

 

考えてみれば、人間関係も同じなのかも。

 

本当に大切な人のことは、とっかえひっかえしない。何年でも何十年でも続く。

 

でも、そうではない一過性の付き合いの相手は、その時はもっと話したい、もっと時間を過ごしたいと思っても、過ぎてしまえばどうでもいい人になってしまうものなのかも。

 

つまり、本当に必要なもの、一過性のもの、どちらが大事かということはわかってはいても、ついどちらも人間は求めてしまうものなのかな。