最近の自分の行動から、なんとなくもやもやとしていることを自己分析してみる。

 

1.本が好き(特に西アフリカの作家)

 

この1年で読んだ本を振り返ってみた。

 

ほとんど人生で初めて、西アフリカ(セネガルやブルキナなど)の作家の作品を読み始めた。そして、約1年の間に読んだ本は約10冊。小説ばかり。

 

もちろん、日本語の作品やフランス人作家の作品も読んでいる。

 

読まないときは全然読まないので、最近は「中毒」と言ってもいいぐらい読書している。今読んでいるセネガル人女性作家の本は、アフリカからフランスにやってくる移民たちが抱く夢と現実がテーマ。セネファミとのやり取りや、最近も船で命がけでやってくる難民たちのニュースを見て、この本の言葉が胸に響く。

 

【分析】

自分が今興味があること、あるいは自分の中で欠けていると感じていることを、本で埋め合わせようとしている(まあ、人間の行動というのは大体なんでもそうだけど)。

 

セネガルへの想い、故人やその家族への想い、自分がこの2年で体験したことについて、なんらかの「理由付け」を必要としているのかなと思う。それで、特にセネガル人作家の作品からセネガル的な生活習慣や発想について読み取って、納得したり、共感したり、知らないことを発見したりしている。

 

2.やたらとカバンが欲しい

 

なぜかこの1,2か月、ネットサーフィンをしながらカバンばかり物色している。仕事用のカバンは3つほどあり、必要に迫られているわけではないのに、いろんな色やデザインや質感のカバンを見ては、欲しいなあと思ったり。

 

実際に一つ買ったりもしたけれど、結局元々使っていたカバンのほうが使いやすいと思ったり・・・

 

【分析】

カバンというのは、「外側」と「内側」の二つの要素が大事になってくる。

 

内側については、仕事に行くためにはそれなりに便利で丈夫でなければならない。その内側が満たされているカバンを複数持っていながら、なぜ新しいカバンに目が行くのか・・・それは、「外側」のほうの問題である。私自身、中身が充実していないことを、新しいデザインのカバンで埋め合わせようとしてるんじゃないか。

 

・・・最近、自分のことを誇りに思えない。なんでかな。こんな風に褒めるところのない私でも、大事にしてくれた夫たちがいるし、特に美しくもない私でもデートしたいと思ってくれる人がいたりもするのに。

 

できることを、家族や、家族でない人にもできる範囲でしてきているつもり。でも、最近は外へ向くのではなく、なんだか本を読んで作家たちと対話しているほうが楽しいと感じたり。一方で、やはり孤独を感じたり、なのにあまり心を開けなかったり。

 

仕事に追われて忙しくしている時だけが、精神の安定を保てている。

 

健康で、快適な空間もあり、仕事もあり、不自由していないのに贅沢な悩み。いつか、「あの時は幸せだった」と必ず思うんだろうなと分かっている。

 

なのに、この、世の中からデタッチメントしているような感覚は何なんだろう。