時間に余裕ができたので、近所の本屋でまとめ買いした。王道の文学作品3つ。

 

自分へのご褒美、大人の贅沢とでも言おうか、他にも仏語や日本語で現代作家で読みたい作品がいくつかあるのだけれど、結局クラシックなものを買ってしまった。

 

こんな素敵な装丁になったペンギン・ブックス(英語版)。

 

まずは、ダーバヴィル家のテス。

トマス・ハーディは高校時代に好きになって、長編だけでなく詩集も読んだりしていた。

 

次は、嵐が丘。

こちらも高校時代に読んで、心に稲妻が走った。

 

テスにしてもヒースクリフにしても、作者の描写が素晴らしいことは間違いないのだが、当時高校生だった私にとって、「愛の苦しみ」というのは文学の世界の中だけのことだった。二人の男性に運命を翻弄されたテスやキャサリン。愛するが故に復讐に生きたヒースクリフ。

 

当時まだ本当の恋愛をしていなかった私は、好きな人がいるにはいたが、それはまだいわば仮想世界のことで実体験を伴うものではなかったから、作者の描く主人公の感情描写にただ乗っかっていればよかった。一方で、甘美な妄想ながらも、登場人物たちに心揺さぶられて文学のすごさに目覚めた。

 

仏文学も英米文学も日本の作品も当時ずいぶん読んだけれど、今でもこうしてたまに英語で読みたくなるのは、私にとって英語は、仏語と違って生活や仕事を伴わない娯楽のための言語だから。そして、高校時代に過ごした実家やイギリスの寮の「私の部屋」に戻るような、まだ大人としての責任のない気楽な日々へ退行するという快楽があるからだろう。

 

三冊目はこちら、ジェーン・エア。

以前からあらすじは知っていたのだが、なぜか一冊丸ごと読んだのはつい1年半前。詳しい感想はこちら。

 

 

ジェーンも上記作品と同様、二人の男性がキーとなっている。

 

いや、大体、人生において対極的な二人の異性が登場するってよくあることだと、紆余曲折を経た今なら納得できるのだけど、ジェーンは決して翻弄されることなく自分の意思に従って、迷いながらも人生を切り開いていくところにすごく頼もしさを感じる。

 

おまけに今は自分も遅咲きの教師として色々とやりたいこともあったりして、ジェーンみたいに生きられたらと、遅ればせながら思ったりしている。