今日の出来事 両論批評 -3ページ目

自分の時代背景を思い浮かべてみれば学生の視野で地域といじめを離れる事を考えるのは難しい!しかしその場しのぎは重大な結末を呼ぶ可能性がある。いじめは連鎖している標的は自らを確認するいじめ精神から逃れる事は出来ない逆転でもしない限り行為は繰り返されよう!そして笑い者の名声は時に親子の世代まで残る事になる。ましてや現物の暴力の前ではいじめ対策の理屈など単なる言葉である。

しかし理屈は理想郷を照らす道標になることを現代に於いて可能にするかもしれない。離脱に挑戦し新しい世界を手に入れた方々は実際に存在している、そこにいじめが無いのか上手く納めるリーダーがいるのかは分からぬが少なからず理想郷は存在している。

後に残された標的を欠くいじめ地帯には次なる犠牲が現れるだろう!実に中途半端な批判精神であるいじめは何れ自分自身以外全て破壊するに至る事は決まっている。
自らの立場を破壊せねば新しい世界など見えやしない。しかしこれは理想郷に逃れた方々にも言えよう!新しい世界で対峙する全てをどう批評するのか?


医師になりすます行動などなかなか出来るものではない。

免許への認識が違うのか、行動力の前に認識が消え去ったのか!

書物である免許は行動力を伴った現物の人間を止めることは出来なかった。

しかし単なる書物と侮る者を同士である法は許しては置かないだろう、法の下に集まる

現物の人間を使い無視する現物の人間を制するのはもう決っている。



対して本物の患者たちは如何なものだったか!

偽物医師に診て貰った患者たち数千人は何人が自分を検査している医師が

偽物と思うだろうか?認識を問わぬその現場では常に本物の結果のみがあるだけだろう!

病気に対する医療で偽物が治した本物の病気があったらそれはお笑いであろう!

本物偽物の境界は?数千人の患者は果たして偽医師の検査をどう受け止めたのだろうか?





約束等侮れば何れ約束の側からやって来ないようになるものである!

約束の裏には嘘つきという自らの発言に対する自らの裁きを絶対抱える事となる。

まともな約束の下にはまともな果す者果たされる者両者が存在する。

約束は人間を選んでいるのか!選ばれた人間は約束という言葉に試されている事になろうか!

約束の度合いは同じである、違うのは約束の下にいる両者の約束への認識だ!

信憑性のある約束が去った其処には何が残ろう?




意志を放棄でもしない限り自殺には意志が伴っている!意志を放棄する事は容易い。

しかし意志を放棄すれば死ぬ事は出来まい!放棄出来るなら何か一つに属していよう!



注意を向けるところ意志はやってくる、注意しないところに意志はやってくる筈はない!

よって死を想起すれば死は自ずと意志を呼ぶ事にもなろう!死以外に意志を呼ぶ事の出来る

強い想起(世界)があれば意志は注目しよう!意志は想起に対する注意だからだ。

ゲーテは言った(意欲せざる天の星は美しい)。



他人を自らの注意から外すのは難しい!逃れられない比較に外的、内的など無い。

併し死の意志を外す事は出来るかもしれない!背後が人間関係ならば!



意志がやってくる注意(注目の世界)を死以外に創れぬものか?

死の世界は人間関係からの開放になってしまっている!

前人未到の新しい世界を望む人々は多いだろう、創らねばなるまい!

死の世界しか行き場の無かった無念だったろう心優しい人達の為にも。


現れる過去は悲しみの形を投げ付けてくる。多々の解釈を引き連れて!



併し音が選んだ音楽は忌々しい過去、意味解釈を拒絶するように鳴るだろう!



そして温かく甘味に鳴るあまりに良い音をただただ感じるだけで良いだろう!




定義は難しいがいじめは大人から幼稚園に至るまで毎日すぐ隣で行われている。

たまたまこの学校だったに過ぎなかった被害者は無念であったことだろう。

学校のうみを出す、多く共感者がいるだろう!



併し優劣が自然と生成する学校は多くこの程度のものである。

優は劣るが無ければ優の筈はなく、劣るは優に対して劣る。

自らより劣る者を探す、劣る者がいなければ自らは空白!

対する者が無ければ自らの基準を見出す事は出来ない。

学校そのものの存在がいじめ予備軍かもしれない。



優劣を生成させてしまう教義の師は教義の元に又一つの形を創らねばならない

という途方もない製作をしなければならない、これは難問である。
















尖閣諸島へ向かったとされる大漁船団だが未だ到着はしていない様子だ。

一連の事件に絡む愛国心なるものは果たして如何なるものだったか!

約束(言葉)への認識が違う中国に於いては「~します」は各国感じられる

語感が違うのと同類で日本人が理解するのは難しい。

パナソニック進出背景に写る過去と現在の対応を考えてみれば自ずと認識の違い

は浮き彫りにされる。約束(言葉)を守る事の認識が甘いのは良いが

実は言葉は逆に人を試し信用を写していることを知る筈もあるまい!約束一つ

果たせぬ者がどうやって信用を得よう!言葉を愛せぬ者が言葉である国を愛せる筈はない!



古より美しい言葉を愛してきた日本人は真意を測りかねる報道も真剣に受け止めてしまうのだろう!

約束を信じるが為に!多く言った事は守るし言われた事には真剣である。

そして約束を信じるが為に言われた事が気分次第だったと考えれば大きく安心し触れたくないのだろう!



言葉を愛せぬ者の愛国など背後に潜むのは単なる個性の主張である。祭りの神輿は個性主張の担ぎ手の上で

輝くことはない散らばる個性の下に崩れ去るだろう!

併し言葉を愛する者の愛国は恐ろしい!我が身は国の為にあるからだ!祭りの神輿は信念の元に一つになった

集団の上で輝きを増すだろう、そしてそれは姿となる。



「尖閣書とへ向かった」の度合いは難しい!








ここでは真実なるものは情けない認識に拒まれ表に出るのは難しい。

加害者に果たして自分がいじめを行っているという認識はあるのか!

あるなら確信犯だがないなら厄介である。



評する観者も人事ではない!認識を甘く見ていると何時隣の人間が自殺し

自分が加害者に転じるか分からない。いじめなど子供の世界だけではない!



いじめ撲滅を謳う者達が直ぐ隣のいじめを認識出来ずにいる、そして自分が

いじめを行っている事もあることを疑ってみようとはしない。

いじめ予備軍は自らの生活の隣に大多数潜んでいる。

植え付けられる標準認識は標準外を笑う!



死ぬ道しか選べなかった心優しい子供たちは行先に何を見たのか!

張り巡らされた包囲網か!立ち塞がる果てしない壁か!それとも

何も見えなかったのか?



心優しい者達が集う聖域を創ることは出来ないのだろうか?

そこに通じる安全な道も!アキバでもネットでも良い。



併し茨の道であろう!立ち塞がる摂理ははけ口を逃しはしない。

たとえ逃れようと摂理は次なる現場でまた新しい弱いものを探すからだ。



自らの心に写るお笑いは何に対してのお笑いか一度考えてみる必要があろう!




事故が起きていなければ問題など判る筈もなく!安全神話は未だ健在だった筈。

あたりまえだが何かが起きねば問題のない現在を客観的に切り刻むのは難しい。

事故の不運に写されるこうしてれば良かった幸運!幸運に写る来るかも知れぬ不運の恐怖!



安全など何に対しての安全か!対するもの無きところに安全などある筈もない、

それは危険であろうか!原子力の姿(内容)は更に分岐した異なる二つの内容を天秤にかけているのか!

併しそれでは済むまい!

内容を派生させる原子力の姿さえも対する何かの元で展開していよう!なれば展開させる形式体系一は

必然に危険に対する次の安全を生み出すだろう!自らの間違いを省みる事に於いて。

間違いを省みず横道に逸れれば、間違いと同時に存在する成功に対しても横道に逸れることになろう!

成功は自らの正面に向かう失敗に対してだけ微笑むだろう。



そして失敗の教訓は失敗の数だけ次の防護に回ってくれよう!




入れ忘れで死亡とは生命は完全に機械に操られていよう!

科学は人間の限界を超えた世界を今やサポートしている。



たかがスイッチ一つ、生命を生かす機械は重要な認識を

若い世代に要求しているのかもしれない。



簡単というものに隠れ潜む見えぬ難しさを!