証拠が出てきてしまえば法は法の下に味方になってくれよう!
言葉の下に生きる者多くは納得もする筈。
併し言葉の通じない者はこの限りではない。
資料とは紙に書いてあるのだろうそれは重要だ、其処に書いてある言葉の意味に自分を従わせるならば!通常は疑うまい、現在人間は言葉を超える事は出来ない!だが言葉の認識を逃れる事をなんとも思わぬようになることは教育や環境によって出来る!そして資料だろうがなんだろうが「紙は単なる紙である」そう思うに至るまで時間もかからない。
つまりヤギの前には如何なる文字が記載されようと意味をなしていようと「紙は単なる紙である」を逃れる事は出来ないのだ!言葉の拘束を彼らは受けやしない、人間にとって重要な条文も彼らの認識では「食べれるのか?如何にして食べようか?」程度である。それを人間に見るのは恐ろしい!
果たして発展途上の不自由な認識はこの論証を如何に考えるだろう!無視して食べるか?しかし昔の紙は食べても大丈夫だっただろうが現代の紙は複雑である。認識を捻じ曲げなんでも都合の良いように食べ続ければ何れ自らを壊す事になろう!