大切な先生とのお別れ | HEALING CLARINET

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クラリネット奏者 関根悠乎(せきねゆうこ)が、音楽を通して、日々感じたり、考えたりしたことを書いています。

北海道新日鉄室蘭の社会人吹奏楽部、名誉指揮者でいらっしゃる、小田才助先生がお亡くなりになりました。しょぼん


心より、ご冥福をお祈り申し上げます。


小田先生は、北海道室蘭新日鉄の吹奏楽部のみならず、北海道の中高生の吹奏楽部の指導に、大変力を入れていらして、北海道の吹奏楽の水準を上げた方…と言っても過言ではありません。


私も、吹奏楽の指導の仕方というのは、父ではなく小田先生の教わりました。


以前、小田先生に教わったことを書いた記事は、こちら  です。


初めて指導した時、私はまだ高校生になったばかり。


「指導する自信なんてありません汗」と半泣きな私に、小田先生は「大丈夫、先生がついててあげるからビックリマーク」と、指導するクラリネットのパート練習を一緒に見てくださいました。


そして、その時は何も言わず、終わると「ゆうこちゃん、さっきのもすごくいいんだけど、次のレッスンでは、ここを見てあげてくれないはてなマーク」とか、「音楽を専門にやっているゆうこちゃんだと、ここはわかるんだと思うんだけど、あの子たちは専門じゃないから、ここはもう少し簡単な言葉で説明してくれないはてなマーク」など、的確なアドバイスでフォローしてくださいました。


名言だったのは、「ゆうこちゃん、ゆうこちゃんは浜中先生や大橋先生に習っているでしょはてなマーク


あのね、先生に習ったことをそのまま生徒に教えてあげてほしいの。


そうすると、あの子たちは、ゆうこちゃんに習っているんだけど、実際には浜中先生や大橋先生に習ったことを教われるのね。


それって、すごいことでしょ。


オリジナルの教え方をする必要はないんだよ。


だから、自信を持って、ゆうこちゃんが今まで教わってきたことを教えてあげて。」


この言葉は未だに私の胸の中にあり、今でもレッスンでは私が教わった通りのことを、生徒に教えています。


(つまり、私の生徒には、浜中先生の音の作り方を伝授しているわけです。)


小田先生は、私の指導法の先生でした。


先生ご自身は、フルートを演奏なさる方で、吹奏楽部の指導では、フルートパートに入って、一緒に演奏しながら教えていることもありました。


私の父(関根五郎)が指揮をして、フルートに小田先生、クラリネットに私が一緒に入って演奏しながら指導することが多々あり、今となっては懐かしく、大切な思い出です。


小田先生がお亡くなりになったお知らせを聞いて、両親はショックを隠せないようでした。


ショックのあまり、弔電の申し込みをどうしてよいのかわからなくなり、私が調べて、父の意向を聞いて文面を作り、手配いたしました。


そのくらい、父も母も落ち込んでいたのです。


「もう一度、会いたかったなぁ」


ポツンと父が言うと、母も目を真っ赤にして、「お元気でお若いころの先生しか思い浮かばないわ」と言いました。しょぼん


小田先生は、JBA(日本吹奏楽指導者協会)などの会議で、東京にいらっしゃると、よく実家に泊まっていました。


いつものように、北海道名産品の『わかさいも』を持ってきてくださり、夜になると、夕飯を食べながらお酒を飲んで、楽しいお話をたくさん聞かせてくださったことが、昨日のことのようです。


小田先生、先生に教わったこと、一生の宝として大切にしていきます。


本当に、ありがとうございました。

(この言葉しか出てきません。)


ご冥福をお祈りしております。天使