”「兄弟は他人のはじまり」は、ほんとうだと思う。。。” あれから4年たったのかぁ・・・ | 放蕩者

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還暦を過ぎ、いろんなことを振り返ることが多くなりました。そのきっかけにはいくつかあるけれど、そのキーワードはこのブログの中で様々に散らしていきたいと思います。
 今はただ自分が何者で、どこに行くのか 自分で確かめる日々です。。。

アメブロって、ろくに記事の更新をしなくても、「たまには何か書けよ!」と言わんばかりの【○年前の今頃に書いたブログがあります】とか通知してくる。。。。 4年前であっても、今の私にとってはとっくに書いたことなど忘れてしまうような、全く別な生活 生き方をしていましまっている。

 

とりあえず、4年前の2/17の記事を見ると・・・・

はいはい、書きましたね。。。。。そんなことを・・・

 

だけど、もうひとつ、大切なことは書いてなかった(・・・たぶん)

 

私の母親は、3年前の8月23日に亡くなった。(対象5年生まれ)

すでにその時は 兄(長男)のいる千葉の有料老人ホームにいた。

しかし、おしりも「コロナ禍」まっただ中。。。

それに、二人の兄は共に関東暮らしだが、私は反対の日本海側。。。

 

そんな母親の元には、「コロナ禍」になる前に、まだ認知症が重度化しないうちに見舞いに行っていたときのこと。。。

  やっぱり、いまのうちに 聞いておきたかったんだと思うことが…

 

4年前の記事には、今でも私が持っている 母子手帳の中の記録には、私が生まれる前の「流産死」の他に、もうひとつ記号化された「記録」があった。。

 その意味を確かめたかった。。。。

 

 それは、「妊娠~出産」においては、今でも決して珍しくないこと。

『中絶』の記録だった。。。

【流死産】という欄があり、 「1」というのが私がずっと知っていた「流産死」のこと。 その下に 「人工」という手書きの文字の右に 「2」とあっったのが、なんとなく そうかなぁとは思いながら ずっとずっと後になるまで聞くことはできなかった。

 

それを 初めて 直接 私を産んでくれた母親に、認知症がまだ軽いうちに 聞くことを その時の私は たぶん 「今しかない」と思ったのだと思う。

 そして、  やっぱり。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

居室にいる母親は、 決して曖昧にすることなく大阪弁で言ったのは

 

「中絶や・・・・・・・・(あの頃は)貧しかったんや。。。。。。」と

 

母自身は決して貧しい家庭で育ったわけではないが

父親は(いわゆる)「貧乏人の子だくさん」の家で「四男」として生まれたのだが その後10歳くらいの時に よその家に養子にだされた。。。

 しかし、父親の名前は 「○一(イチ)」

そう、きっと 生まれたときから 正式な「四男」としてではなく、

(たぶん)男の子がいない別の家に 「長男」という意味で「 一」と付けられたのだと思う。。。

 

そう、私は 母にとって 6回目の妊娠の子ども

 

だけど、 私の「生」の前には 3つの「死」があった。。。。。。。。。。

 

そのことは、ずっとずっとず~~~~~~と

忘れたことはないし、むしろ、ずっと 意識して生きてきた

 

今でも。。。

 

そんな今の私が 持っている 3冊の本

 

 

 やっぱり、今 ちゃんと 自分の事を書かなければ

書きたい  もう誰も私には聞かないし

私も今 誰に どこで どう 語ればいいのかもわからないから