この前から気になっていたのだけど、TOKIOの福島の野菜や果物のコマーシャル。シンガポールでも放映されている。NHKかな。あのコマーシャルがテレビに出ると、息子が反応して、「福島の野菜食べろって。」と言う。
最初観た時、えっと思ったのが正直な気持ち。食べて応援しよう、とか復興に協力しようは、理解はできるけど、原発事故後は、受け入れ難い、と言うのが個人の気持ち。海外にいると余計に思う。
日本国内ではもう大丈夫、とかちゃんと検査してます、とか大々的に応援しているのかもしれないけど、海外では、かなりシビアに見られていると思う。
つまり日本政府のもう大丈夫を、信じていない。あれだけの事故が起こって、放射能汚染が飛散して、二年くらいでもう大丈夫なんて、普通に考えておかしいと思うけど。
あのコマーシャルを観て、本当にみんな食べるのだろうか。目に見えない放射能が自分の身体に入り、被曝してしまうかもしれないとは思わないのかな?
ネットを検索するとやっぱり日本国内でも、不満を持っている人たちのコメントが一杯出てきた。当然だと思う。でもテレビや、人気芸能人の力ってすごいと思うし、本当に大丈夫だったらそれでいいけど、チェルノブイリの経験に見るように数年後にわかるから怖い。しかも、ネット情報では、あのTOKIOを農業指導していた方、急性白血病で亡くなっているのは何かのブラックジョークかと思った。
あるアメリカ在住の人のブログでは日本国内が危ないと警告していた。原発事故後は名古屋あたりまで、放射能が飛散をしていたのを、掃除機の埃から確認しているそうだ。
後、日本各地に、放射能に侵された瓦礫を分散しているとも書かれていた。数年後に万が一福島の人の癌発生率が他の県に比べると突出していると困るので、政府が分散しているとの情報。
何だか国を挙げて国民を騙しているの、なんて考えてしまう。だけど歴史を振り返ると、戦争時の満州移住もそうだし、南米移住なども国が率先していたしその結果どうなったか、国民は知っているはずなんだけど、若い人は知らないかもしれない。
あのコマーシャル、正直止めてほしい。
最初観た時、えっと思ったのが正直な気持ち。食べて応援しよう、とか復興に協力しようは、理解はできるけど、原発事故後は、受け入れ難い、と言うのが個人の気持ち。海外にいると余計に思う。
日本国内ではもう大丈夫、とかちゃんと検査してます、とか大々的に応援しているのかもしれないけど、海外では、かなりシビアに見られていると思う。
つまり日本政府のもう大丈夫を、信じていない。あれだけの事故が起こって、放射能汚染が飛散して、二年くらいでもう大丈夫なんて、普通に考えておかしいと思うけど。
あのコマーシャルを観て、本当にみんな食べるのだろうか。目に見えない放射能が自分の身体に入り、被曝してしまうかもしれないとは思わないのかな?
ネットを検索するとやっぱり日本国内でも、不満を持っている人たちのコメントが一杯出てきた。当然だと思う。でもテレビや、人気芸能人の力ってすごいと思うし、本当に大丈夫だったらそれでいいけど、チェルノブイリの経験に見るように数年後にわかるから怖い。しかも、ネット情報では、あのTOKIOを農業指導していた方、急性白血病で亡くなっているのは何かのブラックジョークかと思った。
あるアメリカ在住の人のブログでは日本国内が危ないと警告していた。原発事故後は名古屋あたりまで、放射能が飛散をしていたのを、掃除機の埃から確認しているそうだ。
後、日本各地に、放射能に侵された瓦礫を分散しているとも書かれていた。数年後に万が一福島の人の癌発生率が他の県に比べると突出していると困るので、政府が分散しているとの情報。
何だか国を挙げて国民を騙しているの、なんて考えてしまう。だけど歴史を振り返ると、戦争時の満州移住もそうだし、南米移住なども国が率先していたしその結果どうなったか、国民は知っているはずなんだけど、若い人は知らないかもしれない。
あのコマーシャル、正直止めてほしい。
最近ネットのニュースで、ママ友カーストとか、有名人がいじめにあっていたとかの話題が出ているけど、本当なのだろうか、と思ってしまう。
これって日本独特の気がする。いい大人が学校行事で、コンピューターが得意だったら嫉妬されたり、出れなくて代わりの人に出席してもらったら激怒されたり、なんか子供の喧嘩。大人がこれだから子供の世界が歪になるのではないか。
シンガポールで子育てをした私はこういうのに幸いにも無縁だった。出る杭は打たれる日本社会とは違い、ここシンガポールはいろんな人種がいるのでいちいち人と違うからと言って、子供達も酷いいじめにあった事はない。
また親同士のママ友カーストなどここでは存在しないし、私は日本人との付き合いもあるけど、派閥を作ったり、無視したりなんて聞いたこともない。勿論気の合う友達はいるけど、その中でボス的存在などいないし、だいたいみんなそこまで暇ではない。
ほんとにこういう記事を目にするとくだらないと思う反面、実際にそんな事があるのかな、と海外の長い私は思ってしまう。
でも遠い記憶を辿れば、私が昔大学を出たばかりの頃、勤めていた自動車会社の女子は酷かったのを思い出した。ボス的なお局がいて、その人のせいで同じ部署の人が辞めたり新人が入って来ても苛められて辞めていた。小さな会社で繰り広げられる、いじめにうんざりしていた。
私?完璧にそのお局に無視されてました。(笑)私もその人が嫌いだったので、関わらないようにしていたら、上司に協調性がないと、注意されました。私は、更衣室でお局たちが、追従する他の女子社員と一緒に人の悪口と芸能界の話をしながらタバコを吸っている人達とは合わないんです、と上司に言うと上司は黙ってしまった。面白いことに、このお局達と追従する他の女子社員、男子社員の前では決して煙草を吸わなく隠していた。
その小さな自動車会社、もちろんいい人達もいっぱいいたけれど(上司とか年配の事務の女性社員とか)そのお局と追従する若い同僚達は最低だったと今でも思う。でも考えてみれば追従する女子社員たちは、お局が怖かったに違いない。記事のママ友カーストの社会はあの頃の私を思い出す。
そう、私も多分苛められていたのね。

これって日本独特の気がする。いい大人が学校行事で、コンピューターが得意だったら嫉妬されたり、出れなくて代わりの人に出席してもらったら激怒されたり、なんか子供の喧嘩。大人がこれだから子供の世界が歪になるのではないか。
シンガポールで子育てをした私はこういうのに幸いにも無縁だった。出る杭は打たれる日本社会とは違い、ここシンガポールはいろんな人種がいるのでいちいち人と違うからと言って、子供達も酷いいじめにあった事はない。
また親同士のママ友カーストなどここでは存在しないし、私は日本人との付き合いもあるけど、派閥を作ったり、無視したりなんて聞いたこともない。勿論気の合う友達はいるけど、その中でボス的存在などいないし、だいたいみんなそこまで暇ではない。
ほんとにこういう記事を目にするとくだらないと思う反面、実際にそんな事があるのかな、と海外の長い私は思ってしまう。
でも遠い記憶を辿れば、私が昔大学を出たばかりの頃、勤めていた自動車会社の女子は酷かったのを思い出した。ボス的なお局がいて、その人のせいで同じ部署の人が辞めたり新人が入って来ても苛められて辞めていた。小さな会社で繰り広げられる、いじめにうんざりしていた。
私?完璧にそのお局に無視されてました。(笑)私もその人が嫌いだったので、関わらないようにしていたら、上司に協調性がないと、注意されました。私は、更衣室でお局たちが、追従する他の女子社員と一緒に人の悪口と芸能界の話をしながらタバコを吸っている人達とは合わないんです、と上司に言うと上司は黙ってしまった。面白いことに、このお局達と追従する他の女子社員、男子社員の前では決して煙草を吸わなく隠していた。

その小さな自動車会社、もちろんいい人達もいっぱいいたけれど(上司とか年配の事務の女性社員とか)そのお局と追従する若い同僚達は最低だったと今でも思う。でも考えてみれば追従する女子社員たちは、お局が怖かったに違いない。記事のママ友カーストの社会はあの頃の私を思い出す。
そう、私も多分苛められていたのね。


これ先日、私が教えている学校で売っていた。で、思わず買ってしまった。
鉢もかわいい。ところが、名前を聞くのを忘れた。いったい何の名前だろうか。日の当たる所に置くと、六ヵ月後に伸びて小さな花を咲かすらしい。しかも、ずぼらな私にぴったりで、二週間に一回水を入れた容器で水分補給するだけでいいみたい。二週間水を与えるなっと言われた。確かに買ってから一回も水を与えてないのだけどとても元気。

お花の写真を載せるブロガーさんも多くて、うらやましく思っていた。うちは以前は観葉植物がいくつかあったのだけど、私が日本に帰国するたびに、夫が枯らしてしまい、ついに何もなくなっていた。

風水的には、家にグリーンがあるのは良いと聞くので最近この写真のと、もうひとつ、ポトス。こちらではMONEY PLANTって呼ばれている。コンドの下に植えてあったのを少しいただき、挿し木にして植えてある。
六ヵ月後、白い花が咲いてくれたらいいなと思う。

昨日フジテレビで29年前の日航機事故の特番をやっていた。若い方などは子供の時だったりであまり記憶にないかもしれないけど、私は社会人になったばかりで、鮮明に覚えている。特番は当時の飛行機の中を再現していたり、生存者の証言があったり、遺書を残した人の家族が出てきたりと、涙なしには観られなかった。私は乗客はもちろんのこと殉職した乗務員にも思いを馳せる。当時若かった私は、CA(当時はスチュワーデスと呼ばれていた。)を目指していたからだ。
あの時代は、バブル真っ只中で、松田聖子がトップアイドルで、ディスコが流行っていたり、社会全体が明るい時代だったな、と思う。私も前年までお気楽な女子大生で、それでもこれからの自分の将来が不安だったのを覚えている。当時憧れだったJALの国際線スチュワーデスを目指し、一生懸命だった自分を思い出す。
今はLCCなどあるし、また航空会社も増えた気がするけど、当時は日本の航空三社、日本航空、全日空、今はないけど東亜国内航空があった。国際線に乗りたければ、みんなJALを目指したと思う。外資系の航空会社は英語がよほど上手ではないと無理だと思っていた。なので、大学の英文科で勉強している女子などは航空三社を受ける人が多かった。ただ今でもそうだと思うけど、CA受験はなかなか厳しい。とにかくすごい倍率だし、そんなに簡単にはなれないのだ。面接が幾つもあり、適性検査を経て初めて合格する。受けたことがない人や、あるいは一度の受験で、ラッキーにも受かった人には、あの独特の思いはわからない気がする。
御巣鷹山の事故の前前年の夏休み、スチュワーデス夏季講座に参加した。関西の新卒受験を目指す短大生や大学生、およそ30人くらい。筆記対策、面接指導などがあった。みんな一生懸命だった。ほんとに憧れてなりたくて、授業が終わったあと、お茶したり情報交換をしていた。結局その年の新卒受験を受かった人は4人くらいだった。すごく美人な人でもダメだったり、英語が凄いのにダメだったりと、受かる決めてって何なんだろうと思ったものだ。その中にすごく可愛くてチャーミングな短大生だったA子さん。隣の席で親切な人だった。A子さんはその年の新卒者試験に見事合格し、次の年に入社し、国内線に配属されたと風の噂で聞いた。
私は全部落ちてしまい(汗)自動車会社で働いていた。あの日、八月十二日仕事帰りの号外新聞で事故を知った。とっさにA子さんの事がなぜか頭に浮かんだ。そして、次の日彼女の写真と名前を新聞で見つけた時は驚愕してしまった。間違いであって欲しいと。事故の詳細がわかると、A子さんだと確信した。お客として乗っていたそうだ。本当は、前のフライトで実家の四国に里帰りするために大阪行きに予約していた。ところが、先輩にあたる生き残った、非番のOさんが一緒に帰ろうと、誘ったためその便をキャンセルし、事故機に乗ってしまった。可愛くて、私がなんてラッキーな人だと思っていたA子さんは21歳で逝ってしまった。それからこの生き残ったOさんはなんと私の出身大学の短大部にいた方だった。
こんなことを思い巡らすのは変かもしれないけど、もし私がラッキーにもJALに受かっていたら、同じようにこの飛行機に乗っていたかもしれない、なんて何回も考えてしまった。なぜかと言うと、このA子さんとOさんと私との共通点があまりに多いからだ。
私は、結局一年ちょっとで、自動車会社を辞めて、語学留学し後に外資系の航空会社でCAとして5年間無事仕事を全うした。乱気流にあうことはあっても、仕事中そんなに怖い経験もしなかった。毎年この事故の追悼ニュースを観ると、ほんの数週間だけど一緒にCAを目指したA子さんを思い出す。A子さんは国内線勤務だったそうだけど、国際線を目指していたかもしれない。未来は輝かしかったと思う。いずれにしても、運命というには余りにも悲しく多くの人を不幸にした事故だった。
合掌
あの時代は、バブル真っ只中で、松田聖子がトップアイドルで、ディスコが流行っていたり、社会全体が明るい時代だったな、と思う。私も前年までお気楽な女子大生で、それでもこれからの自分の将来が不安だったのを覚えている。当時憧れだったJALの国際線スチュワーデスを目指し、一生懸命だった自分を思い出す。
今はLCCなどあるし、また航空会社も増えた気がするけど、当時は日本の航空三社、日本航空、全日空、今はないけど東亜国内航空があった。国際線に乗りたければ、みんなJALを目指したと思う。外資系の航空会社は英語がよほど上手ではないと無理だと思っていた。なので、大学の英文科で勉強している女子などは航空三社を受ける人が多かった。ただ今でもそうだと思うけど、CA受験はなかなか厳しい。とにかくすごい倍率だし、そんなに簡単にはなれないのだ。面接が幾つもあり、適性検査を経て初めて合格する。受けたことがない人や、あるいは一度の受験で、ラッキーにも受かった人には、あの独特の思いはわからない気がする。
御巣鷹山の事故の前前年の夏休み、スチュワーデス夏季講座に参加した。関西の新卒受験を目指す短大生や大学生、およそ30人くらい。筆記対策、面接指導などがあった。みんな一生懸命だった。ほんとに憧れてなりたくて、授業が終わったあと、お茶したり情報交換をしていた。結局その年の新卒受験を受かった人は4人くらいだった。すごく美人な人でもダメだったり、英語が凄いのにダメだったりと、受かる決めてって何なんだろうと思ったものだ。その中にすごく可愛くてチャーミングな短大生だったA子さん。隣の席で親切な人だった。A子さんはその年の新卒者試験に見事合格し、次の年に入社し、国内線に配属されたと風の噂で聞いた。
私は全部落ちてしまい(汗)自動車会社で働いていた。あの日、八月十二日仕事帰りの号外新聞で事故を知った。とっさにA子さんの事がなぜか頭に浮かんだ。そして、次の日彼女の写真と名前を新聞で見つけた時は驚愕してしまった。間違いであって欲しいと。事故の詳細がわかると、A子さんだと確信した。お客として乗っていたそうだ。本当は、前のフライトで実家の四国に里帰りするために大阪行きに予約していた。ところが、先輩にあたる生き残った、非番のOさんが一緒に帰ろうと、誘ったためその便をキャンセルし、事故機に乗ってしまった。可愛くて、私がなんてラッキーな人だと思っていたA子さんは21歳で逝ってしまった。それからこの生き残ったOさんはなんと私の出身大学の短大部にいた方だった。
こんなことを思い巡らすのは変かもしれないけど、もし私がラッキーにもJALに受かっていたら、同じようにこの飛行機に乗っていたかもしれない、なんて何回も考えてしまった。なぜかと言うと、このA子さんとOさんと私との共通点があまりに多いからだ。
私は、結局一年ちょっとで、自動車会社を辞めて、語学留学し後に外資系の航空会社でCAとして5年間無事仕事を全うした。乱気流にあうことはあっても、仕事中そんなに怖い経験もしなかった。毎年この事故の追悼ニュースを観ると、ほんの数週間だけど一緒にCAを目指したA子さんを思い出す。A子さんは国内線勤務だったそうだけど、国際線を目指していたかもしれない。未来は輝かしかったと思う。いずれにしても、運命というには余りにも悲しく多くの人を不幸にした事故だった。
合掌
