ドイツ人 神父様との30日 | ちかのほわほわことほぎblog

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アカシックリーダーちかの、日々のいろんなことをことほぐ(お祝いの言葉にする)blogです。
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瀕死の鳩が、
私の家のバルコニーの真ん中へ、横たわっていました。

先月、4月17日の朝のことです。

そういえば、朝早く、ドーン
という音とカラスなのか、鳴き声がきこえていたな、
と思い出し、きっと鳩はカラスに追われて倒れて死んでしまったのだろう、と

市へ電話をし、
引き取りをたのみました。

数十分後、どうもまだ生きているのに気づき、
また市へ電話して、
生きているから早めにきてほしいことを伝えると、

まだ生きているなら引きとれないと言われ、

でも結局その後、鳩は不自然な形で動かなくなり、
夕方外出前の午後3時ごろには受けとりをとお願いしました。

引き取りにはいくが、玄関に袋に入れて置いてくださいとも言われたりと、何度かの連絡のやりとりがありました。

死んだ動物が家に横たわっていることに慣れない私はとても動揺していました。

結局、係のひとがバルコニーまで入って引き取ってくださることになりました。

ところが
幾度もの連絡のあと、
どうもまだ息がある様子。

部屋のなかから落ち着いてこのことを(心のなかで)見つめてみました。

鳩がもう天国へいく時間はちかいのは分かりましたので、
せめても「LIBERA 」のeternal light (エターナルライト)などの名曲が詰まったCD を静かにかけました。
(LIBERA は南ロンドンを拠点に7~18歳ぐらいの男の子たち(天才と思います)が活躍する、教会のクワイアが起源のユニットです。CD をだせばクラシックチャートの一位となる素晴らしい世界を構築しています)

ささやかながら、弔いの気持ちでした。
鳩は目があいているのが見える時もあり
その目はちっちゃくてまんまるでした。

時計が約束の時間になるころ、係の男性が来てくれて、
バルコニーで動かなくなって丸くなっている鳩をピックアップしてくれようとしました。

遠くからしか様子も見れないぐらい私は恐怖で動揺していました。

男性は
あれ、、まだ生きているな。

と言いました。

ここは近くに森や綺麗な林がある土地です。

顔を覆いながらしかお話できなかったのですが、
そういう場所にそっと置いてあげてもらえませんか。と私は個人的にお願いをしました。

でも男性は、鳩の体をさわってみて

もう、弱っているから
今回は自分のほうでもって帰ります。

と言ってくださり、

その姿に私は深くお礼を申し上げるしかできませんでした。

手際よく、大きな袋を持って 
男性はドアから去っていかれました。

まもなく鳩は天へあがったでしょう。

私にはここまでしかできませんでした。
羽一本さえこわくて触れませんでした。

鳩は幸せの象徴だけど、
なぜこんな形で私のバルコニーで倒れたのかな、と考えました。

夜は友人とコンサートへ出掛け
そのことを話し、眠りました。

翌日4月18日の夜

キリストさまについて学びを深める講座の一回目がスタートしました。
ドイツ人神父さまの入門講座、
場所は大聖堂の施設の一室です。

75歳のドイツ人神父と集まった方々は、穏やかで和やかなお顔でした。
50年もまえに来日され、一生懸命日本語を覚えたその神父のユーモアとウィットにとびながら、
あたたかい、あたたかい語り口には安心し、魅了されていきました。

神父の取り上げる聖書の一幕は
まるでアンサンブルムービーのヒトコマを見せてくれるかのように、
イエスさまだけではなく、
登場するひとたち一人ずつが主役を生き生きと生きているように私の胸に映像化されていきました。

週に一度のこの夜が、とても特別な時間となる序章でした。

つぎの週の4月25日の回では、講座のあとに生まれて初めて神父に鳩の事件のことを告解しました。
周囲の女性が、今なら神父にお時間いただけるよ、
とチャンスを作っていただいた、臨時の告解でした。
クリスチャンではない私にとり、とても幸運な機会でした。

神父様にやさしいお言葉をいただき、
癒しが起こった私はわんわん泣いて、帰りの道は講座の女性たちに助けられ、帰路につきました。

もともとこの日の講座のすぐあとは、雨上がり。
いい夜だね、、と講座の部屋をでて夜風を感じながらお隣で言ってくれた神父様に
「美しい夜ですね。雨上がりだから、マイナスイオンがでているのでしょう」
などと交わしたのを覚えています。

とてもリラックスして素晴らしい会話ができたので、その流れで告解を願い出ることができたのかもしれません。

ゴールデンウィークのお休みをはさみ、
5月9日は2週間ぶりの講座。
とても楽しみに大聖堂の施設へいきました。

2週間ぶりの講座では
神父様のお話は相変わらず映画のワンシーンを観るように、その場所や出来事の様子が立体化され光があてられ、
みずみずしく解説されてゆくのを心地よく聞いていました。
イエスさまもいきいきとされていました。

ルカの福音書の一節から、
差別的に扱われているサマリア人が、貧しさをかえりみず、ひとを助けるシーンについて
お話くださいました。


少し体調が良くない神父さまに
帰りぎわに
「熱はないのですか?」
と聞くと
「熱は無い。情熱はあるよ」
仰いました。
いつでもユーモラスなお答えは
和やかな気分にしてくださいました。

一週間後の5月16日、

棺に眠る神父と対面しました。

鳩の事件から30日の事です。


夕方6時の大聖堂の鐘がいつものように鳴っていました。

教会の鐘の音は、私にとり、昔から、何かにせき立てられるような気持ちにさせられるものです。

この日は、泣きながら鐘の音のなか、駆けつけました。

つかの間二人きりになれる時間がありましたので、
「鳩のことで、ありがとうございました」
「またお目にかかれるのを楽しみにしています」

と、ゆっくり眠っていらっしゃるお顔にお話かけをしました。

大きくて、くまさんのお父さんのような、
やさしく大きく場を包み込んでくださる神父様は

急に天へ行かれたのでした。


30日間の、特別な風が吹くような日々をいただいたこと、

「情熱はあるよ」

と言う、やさしくユーモラスなお言葉は
忘れることはできないでしょう。


来週は最後のお別れが大聖堂で行われます。


まだどんな心持ちでその時間を迎えるのか、自分にもわからないし、いまは分からなくても良いと思います。


新緑の季節の夜、夜風が吹いたら、
神父様と共有した幸せなひとときをいつも思い出したいし、

神父様も良かったら私のことほんのちょっぴり、思い出してほしいです。

いまは幸福の光の只中にいらっしゃるでしょう。

私も情熱のつぼみは大切に咲かせてゆきます。

ケルクマン神父、
どうもありがとうございました。