スターリン高知ライブは、「キャラバンサライ」のこけら落としだったことや、
素人の自分たちの無知ゆえにメンバーが会場入りしてから近くの楽器堂にPA(音響機材)のブーストを依頼するという手際の悪さでした。
それでも80年初頭のライブハウス事情はまだまだ未発達で関係者もある程度の運営の悪さは許容されていたのだと思います。
楽屋通路に、テレビ局のようなケータリングセットが組まれるようなるのは85年以降だったと思います。
ちなみに、ブッキングしてくださった徳島のロック喫茶の岡地さんによると、前日の高松オリーブホールでのライブでは、スターリンが久々に客席に向けて豚の生首を投げつけたそうでした。
これは主宰の堀谷くんが香川県郊外の豚の屠殺場から買ってきたものを、遠藤ミチロウさんに渡して投げてもらったそうです。
岡地さんによると遠藤さんは「いや。それはもうやってないから」と断ったそうなんですが、
堀谷くんが、「どうしてもお願いします」と喰い下がって、最期には遠藤さんが折れて「日本最期のスターリンの豚の生首投げ」が実施されました。
岡地さん曰く、「リハーサルや会場周辺に集まった客の整理もほったらかして居なくなったと思ったら、あいつ豚の生首を買いに行ってたんでー。ほんまどうしようもないよな(笑)」
もちろん終演後は堀谷くんたちの仲間でホールの床掃除はされたそうですが。
この頃のオリーブホールは、新田さんという地元・高松で劇団を主宰されている方が館長をされていてゆるく若者たちの「文化活動」?を応援してくださっていたことも関係していたと思います。
この夜も、高知ライブの夜もスターリンのメンバーは主催者の自宅に泊まる。というスタイルでした。
この頃は四国にはライブハウスが存在しなかったので、レンタルホールを使用して、しかも高知ライブでは音響機材をブーストする。という製作費が大きくてメンバーに渡せるギャラが少なくなるのでホテル代を削るために自宅に泊まってもらうという苦肉の策だったのです。
今、考えると申し訳ない限りなんですけど・・実際、パンクバンドが主催者の自宅に泊まりながらツアーをする。というのは割と普通でした。
86年ころ、イギリスのカオスUKがJAPANツアーを行った際も「俺たちは友だちに呼んでもらってツアーしているんだ」とホテルをとらなくても良いよ。と云って、高松では堀谷くんの自宅に泊まったそうです。
ちなみに、高知ライブ終了後に撤収中に、ファンからスターリンの自主制作盤「トラッシュ」を上町にあった中古レコード店で「168000円で買った」という話を聞いて・・・
遠藤さんは「なんて街なんだ・・引っ越してきたい」と呟いてました。