昨日、市内に行って借りたDVDを返還した。
ついでに、さらにDVD二枚を借りた。
今回借りた二枚は、それぞれ数年前に
見たことがある映画だった。
最近のモチベーションは、英語の字幕を見て
しらない単語を調べるので、見たことがあるかどうかは
比較的、構わない。
むしろ、言語のがくしゅうでは、聞いた言葉は数十回、
数百回以上の聞いてきたら、記憶にいい。
言語のがくしゅうでは、DVDを借りて、英語の字幕を
見ながら、英語を聞くのは、それなりに役に立つはず。
そしてたまにストップして、理解してた言葉をもっと
早く読めるようにする。 早く読めるようになったら、
スピードが速いときでも、段々理解しやすくなるらしい。
たまにストップすることも大切だな。
最近、DVDを見るときには、以前とやや違う方法で見る。
やっぱり、TOEICの点数を上がるために、以前のように
字幕を見て理解したら、それ以上に詮索しないのはちょっと
相応しくないかもしれない。
すくなくとも、まずどんな種類の映画を見ていても、
知らない単語をどんどん調べていて、減らせるようにする。
それからは、組み合わせて文章を全体的に理解してから
読んでみていて、どんどん早く読むように試す。
やっぱり知る単語がどんどん増えてきてからこそ、
少しずつ文法の勘の鍛えに余裕が湧いてくる。
この間、映画を見る時に少しずつ、
過去系と現在形などに注意を払う余裕が出てきた。
個人的には、三万Tドルぐらいをかかって、英語圏に
一週間ぐらい行くことよりも、この三万を使って、DVDレンタル屋に
通ったり、英語圏のネイティブを雇ってた教師を使う塾に通ったり
したほうが、比較的に、経済的で、TOEICの点数の高まりに効果が
いいと思う。
他に、基礎文法などをよむ時に、ノートを用意して
理解できていて、よく使われると思う部分はノートに
記録しておくといいかもしれない。
この間、英語の映画のDVDを見るときに、
見ながらA4の紙に、あんまり知らない単語をもう一回
書いてみて、電子辞書で意味を調べる習性がある。
前回、うっかりと、ポーランド発音の映画を借りてしまった。
実際にポーランドを聞いてみると、舌の巻き声は英語と
比べていれば、遥かにすくない。
ポーランド人の立場から英語を聞く場合では、英語は
いつも舌を大げさほどに巻いてる言語だなと感じられるに
違いない。
ポーランド語とドイツ語の発音の共通点はやっぱり
舌はあんまり大げさに巻かないかな。
それから、ポーランド語の中に、
日本語の「ラ」みたいな音がある。
だが、ポーランドで「ラ」を発音する時に
日本語と比べていればあんまり強く叩かない。
英語の「RA」よりやや強く叩くが、日本語ほどには
強くない感じで「ラ」みたいな音を発するという。
試しに、翻訳された字幕を消してポーランドの映画を見てみると、
人類はまるで鳴いてる猿のように見えた。 まさしく、鳴いてる猿だ。 意味が、完全に
分からないし、鳴き続ける猿みたいな感じだった。 時にはまじめな顔で
鳴いてる猿。 怒る時には、すごいでかい声を出してる猿。 意味は完全にわからないし
いかにも滑稽だった。 すくなくともポーランド語がわからない人には、
滑稽のように見える。 逆に考えていれば、人類が大声を出してる時には
、他の動物から見ていれば、意味がわからないし、単なる、この猿が
攻撃しそうな状態になってることが分かるという。
では、ポーランド語の分からない人類には、ポーランドが一体
何が役に立つのか。
やっぱり、最終的に国力を宣伝できるのは、「人類の生活に役に立つ工芸品」
と「防衛力の高い武器」です。 それからは、やっぱりさまざまな競技での
実績です。 たとえば、水泳の速さなど。
ドイツの場合は、車だな。 AUDI、BMW、MERCEDES-BENZ、VOLKSWAGEN、PORSCHEなど。
その中にLAMBORGHINIはAUDIグループの傘下で、実質にドイツの設計因子も入ってるという。
個人的にはAUDIの車とLAMBORGHINIを運転したことがあるので、ハンドルをはじめ、
質感が似てるところは少なくない。 実際ではAUDIのR8のパーツがLAMBORGHINIの
HURACANと共通するところもある。
日本の場合では、バイクにはYAMAHA、HONDA、SUZUKI、KAWASAKIなど。
電気製品には、SONY、SHARP、CASIOなど。
アメリカでは、やっぱり戦闘機の速さが目立つ(F22)。 それから数多くの
空母も注目されている。 ITと電気会社では、MICROSOFT。
映画産業では、桁外れのコストで視覚的なインパクトのあるSF映画などを作るのは
特徴である。
民族性では、ドイツと日本が似ていて、「まじめ」って感じられる。
T島の住民だと、ドイツと日本と較べていれば比較的に「まじめ」
に感じらない。
その原因は、T島では、平地に雪があんまり降らないのもある。
だが、T島では冬に平地は雪があんまり降らなくても、それなりに
体感温度が5度以下にもなるので、いざっとなる時に、まじめな部分もある。
雪が降ってるところでは、乾燥の場合だと、雪が降っていても、
実際の体感温度はそれなりの寒くはないらしい。
逆に、湿度の高いところでは、摂氏十度の場合は、雪が降ってるところより
寒い場合もある。
民族性の差が、工芸品への影響もあるらしい。
たとえば、シャープペンの場合では、ドイツ製のシャープペンと日本製の
シャープペンは大抵、長く持つ。
だが、T島のシャープペンだと、三ヶ月以上のもつやつは少ないという。
その原因はやっぱり、事前にシビアな試用と強化がちゃんと行っているか
どうかです。
T島の適当な部分では、たまに製品は、形と効果がやや
使えるようになったら、すぐ市場に出してしまう傾向がある。
そのため、試用と強化の部分が弱めてるので、結果的に
製品が長く持たないという。
イギリス、ドイツと日本の民族性は、やや近い。
T島の民族性は、スペイン人の適当さも混じりこんでるらしい。
学校では昼寝の伝統も似てる。
結論的に、言語は所詮、道具に近いもの。
大切なのは、「言語」で記録された技術と
工芸品の製法だ。
未来人が、過去の文明に気になる部分は
やっぱり使えるものが作られていたかどうかです。
私は、古代人か、他の惑星の住民が、自分が
知ってる技術より遥かに越えている工芸品を手にすることが
できたら、面白いと思う。
古代人と他の惑星の住民は、もっと頑張っていれば、
今の地球人は、あんまり頑張らなくても、突然、科学技術が一気に
高まる場合もある。
今、知ってる限りに、まだ現代より高度な文明を持つ古代人遺跡は
発見されていない。
知ってる限りに、地球の現代文明より高い技術力を持つ
他の惑星の猿もまだ発見されていない。
他の惑星にも地球のような猿が隠れているのも可能だ。
あるいは、地球の人類は他の惑星の猿が、宇宙船みたいなもので
地球に来て、投げてきた可能性もある。
その猿はX猿と仮説しておく。
仮にX猿が数万年、数百万年、
あるいは、数億年前からいろんな惑星に、
人類みたいな猿のプロトタイプを投入していたら、
今、他の惑星には、大きな技術力の差を持つ
猿社会もこの銀河か、他の銀河の惑星に隠れているかもしれない。
仮にX猿がわざっとそれをやっていたら、
数多くの惑星には、いろんな猿がいて、惑星なりの気候などに合わせて
それぞれに独自な文化が形成してきたかもしれない。
仮にX猿だけが、いろんな惑星に猿のプロトタイプが投入されているのを
知るだとすると、他の惑星の猿も、まだ、他の惑星に、自分と似てる猿が
隠れているのを知らないかもしれない。
あるいは、他の惑星に他の猿も隠れている事実は、X猿と一部の猿だけが
知ってるかもしれない。
仮にX猿は百万年前か、数億年前から、いろんな惑星に猿を投入し続けていれば、
今、この宇宙で、猿がまだ生き残っていて隠れている惑星は、多分、数千か、数万以上に
隠れているかもしれない。 それとも自分が想像する以上に多い。
それならば、他の惑星の猿の文明には、地球より高度な文明を持つところもいれば、
まだ電力の使い方でさえ発見されていない場合もあるかもしれない。
あるいは、電力を使わずに、まったく違う手段で、特殊な文明を築いてきた場合も
隠れてるかもしれない。
結論から言えば、大切なのは言語の種類じゃなく、
工芸品のインパクトです。
所詮、猿は、ただ、インパクトのある工芸品が欲しがってるだけ。
つまり、今の車を千年前の地球人に送っていれば、その千年前の
地球人は多分、喜んでいて、それを使ったり、さらに多く作ったりして売ろうとするだろう。
同じく、千年後、あるいは、一万年以後、現代の文明と記録はどれほどに、
一万年後の世界に残れるのか。
そして、一万年後に、人類が使える工芸品は、どのような形になるのか。
あるいは、戦争か、自然災害で、現代文明の結晶は、一万年後に
残すことができなくなったのか。 では、どのように、そういうのを避けるのか。
あるいは、現代の技術は既に人類が手にするリミットなのか。
あるいは、リミットは、百年か、二百年後の世界に隠れているか。
人類の脳で、理解できる工芸品のリミットは、百年後なのか。 それとも
千年後なのか。
過去の千年間、使える閃きが記録されていて、使われ続けてきたことがある。
そういうものは、人間社会の定番の遺伝子となった。 典型的なのは、やっぱり
車、バイク、飛行機、電球、テレビ、パソコン、ケイタイなど。
人類は合理的な値段で、買って生活がもっと便利な工芸品があったら、
買うようになる。
たとえば、スマートフォンでは、一ヵ月分か、あるいは、二週間分の
給料を使っていれば、補佐記憶装置みたいなものになれる。
スマートフォンの性能の高まりによって、電話っていう効果はますます
注目されず、その代わりに、撮影機能と、ネットなどに繋ぐ機能はもっと
生活に使えるようになった。
スマートフォンは「電話」の一種類だといっても、実際ではどんどん
人類の「記憶補佐装置」みたいなものになったらしい。
図書館に行く時には、ちょっと斬新なもので発見した時に、
スマートフォンのカメラを使って、とっていれば、後で、すぐ閲覧できるようになる。
黒板に書かれたものでも、十年前のように、書き続けなくてもいい。
単なる。 スマートフォンのカメラで取っていればいい。
以前、こつこつと、ノートに書くものは、今は、スマートフォンのカメラの機能を
使っていれば、すぐ記録できるし、すぐ閲覧することもできる。
スマートフォンの瞬時視覚記録機能を活かしていれば、すごく
役に立つと私は思う。
今、やや欠けているのは、大量な写真を分類する機能かもしれない。
大量な写真をはっきりと分類できれば、もっと利用しやすくなる。
図書館の本の情報の記録などに。