自分が今住んでいる島の住民が普段には日本語で
喋らないので、この島では、日本語が外国語として考えられている
かもしれない。

  そのため、たまにN島が、日本語に、一般的に、
みにつけられる勘は、たまに、外国語として日本語を
ならってたひとには、ついてない場合もあるかもしれない。

  たとえば「折れる」と「折る」の差。

  数回ぐらい、喧嘩だとか、会話で、自分の
考え方を表現するために、使ってみなかったら、
その差は、ちょっと「感覚」で、つかめないかもしれない。

  文法的に「折れる」が、自動詞で、「折る」が
他動詞。

  N島の住民は多分、「折れる」と「折る」を使う時に、
頭の中には、あんまりどっちが他動詞でどっちが自動詞などを
考えないかもしれない。 N島の住民は、多分、いままで
つかってきた経験をもって、選択するらしい。

  自分が、一時期に、「折れる」と「折る」などの区別が
ちょっと曖昧だった。

  漢字だけにみれば「折」は、同じ意味をもっているらしい。

  「刀が折れた」
  「刀を折った」

  というセリフをいう時にN島の住民に聞かせると、
「刀がおれた」に聞くと、多分、言う人が持っている刀が
折れたと考えられる。

  「刀を折った」にいくと、多分言う人が、他人が持っている
刀を折った、と考える。



  こういう視点から、今まで、認識してきた「動詞」を
もう一度、分析してみたほうがいいかもしれない。

   他には「落とす」と「落ちる」など。

   「飛行機を落とす。」
   「飛行機が落ちる。」
 
    二つの文章に、漢字がほぼ同じが、意味が
ちょっと違うかもしれない。

   「飛行機を落とす」という文章は、多分、
誰かが空に飛んでる飛行機を攻撃して、落とさせる
という感じ。

    「飛行機が落ちる」は、誰かが、
飛行機が、これから、何かの原因で、落ちる
と予測するみたいな感じ。

     二つの差は数年前には、一時的に
分別できなかったらしい。
   








    
     もう一つは、やっぱり「いる」と「ある」
動物を指す時には「いる」を使うのが、一応しってるが、
たまに、動物じゃない時にも、「いる」をミスでつかってしまった
ことがある。

     言った後から、気づくみたいな感じ。

     そういっても、N島の住民には、そういう細かいミスが
あっても、一応全体的な意味がわかるらしい。

     やっぱり、今は、周りに、N島の言語で、
会話する必要なあいてが、あんまりいないから、そういう
勘が、ちょっとにぶくなる、かもしれない。

     言語をならう時には、やっぱり、「きく」よりも、
自分の考え方を、相手に理解させるために、言ったほうが
もっと文法的な勘をみにつくことができるかもしれない。



     たとえば「タイペイにいくバス」を
     「タイペイにいくのバス」にしないこと。

     以前、自分が「タイペイにいくバス」をいう時に
     真ん中に「の」を自覚せずに、いれてしまうことが
     ある。

     そういうことはN島の住民がきくと、意味が一応わかるが、
     ちょっと違和感を感じるらしい。
   
     知り合いのN島の住民が、言ってから
     気づいた。

     別の角度から考えていれば、彼女とは
     それほど話せてたな。

     相手の会話のクチグセなどをしったりなど。

     今思えば、ああいうささやかなことでも、
     しあわせだったな。