朝八時ぐらい、旅館で、おきた後に、
部屋の中で、ほんをよみました。
「夜明けの街で」という本は、112ページまで、よんでいた。
軍営の中には、なかなか、よむチャンスが、なかった。
軍営の中に、よむなら、せいぜい、寝る時に、
布団の中で、ハンドライトをつかって、
一時間ぐらい、よむぐらいかな。
他の場合は、のんびりで、そういうほんを、
よむところじゃない、かもしれない。
この間は、昼が、ひまなときには、
えいたんごぐらい、よむかな。
十月二十三日の夜に、一ヶ月ぐらい、経って、
一回目の循環に、よんで、おわりました。
旅館のチェックインと、チェックアウトの区切りが、
大体昼の十一時か、十二時なので、十一ぐらいの時に、
荷物を、整理して、でました。
それから、さらに、いったことないところの探検を、
はじまりました。
軍営の中のせいかつの影響か、最近は、ずっとあるいていても、
たっていても、だんだん、へいきになったようです。
それに、街での、あるくことで、いろんなことが、
みられる。
今日は、どこかに、いくかな、と、きめる時には、
まず、中央駅の隣の本屋にいって、旅行のガイドブックを、ちょっと
開いてみた。
そして、地下鉄のR6ポイントを、きめた。
そこには、この島で、もっとも、でかいショッピングセンターが
隠れている、らしい。
地下鉄で、R6についた後に、観覧車がついてる、その
ショッピングセンターに、むかって、あるいてた。
どんな本屋が、ついてるかな、と、おもって、
あるいてた。
やくにたつじょうほうが、かくれているかな。
自分が、デパートとか、ショッピングセンターなどの、
認識は、そこの、ほんや、から、です。
そこにいった後に、ショッピングセンターのとなりに、
でかいコンサート用の舞台が、立てられていた。
上に、うたっているひとが、いました。
やっぱり、そういう規模のレベルのラッパーでは、
迫力がある。
パソコンと、ヘッドホーンなどが、なかなか、
かんじれる重低音が、きこえる。
機会があれば、自分が、きになる歌手の
コンサートに、いっても、わるくないなあ、とおもい始めた。
しらない歌手、しらないうた、を、きいても、
そのスペックのスピカーでは、迫力がありました。
仮に、しってる歌手と、しってる歌だと、
もっと、ふかい共鳴反応を起こす、かもしれない。
それから、ショッピングセンターに、
入った。 そのセンターに、一部が、北の島の阪急(はんきゅう)デパートの
遺伝子が、隠れているデパートでした。
UNI集団が、資金を、出して、阪急財閥のデパートの経営の経験と、技術を、
かって、そこに、デパートを、建てた、らしい。
確かに、UNI集団では、阪急財閥と接触する前には、デパートの領域には、
あんまり、経験が、なかった、という。
すでに、何十年の経験が、ある阪急財閥の技術を、かって、すいこむのが、
わるくない判断だった。
何十年も、つかってきた「やり方」は、すくなくとも
「ある安定性」が、ついているという。
たとば、子どもが、オヤの生き方を、従っていれば、
すくなくとも、ある程度の、安定性が、あるという。
なぜなら、その子どものオヤが、そうやってきたという。
仮に、子どもが、オヤとは、ちがっているやり方で、
いきてみるならば、「ある程度の不安定性」が、隠れている。
この「不安定性」も、「より、安定な生き方」に、
変貌する可能性が、隠れいているという。
遺伝子の情報の変化も、そういう可能性が、
隠れている、かもしれない。
遺伝子の情報の受け継ぐには、たまに、
ミスが出るという。 このように「異変」を、起こす。
その中に、さまざまな異変には、たまに、より、
安定に、環境への、相性が、いい構造が、でられる、かもしれない。
このような道理も、「秩序の構造の変化」に、
適用する、かもしれない。
私たちは、それを「革命」と呼ぶ。
すでに、既存している秩序を、従うのではなく、
それを、ある手段を、つかって、既存している秩序の構造を、
かえるのが、革命である。
革命を促すには、「異変な因子」のが
必要、かもしれない。
革命に必要なのは、硬く既存しているルールを
従うやつではなく、ルールの中に、隠れている本質を、知って、
より、役に立つルールを、再構築するやつ、である。
それが「異変な因子」と、私は名づけよう。
この千年間に、秩序の構造が、おおきくかえるたびに、
かならず、「その異変な因子」の、かけらが、みつかる、らしい。
「くるしんでいるたみ」、プラス「異変な因子」だと、「革命を促す温床」となる。
かれらに、むかっているのは、すでに、既存な秩序の
構造で、安定に、利益を、もらっているやつ。
このように、たまに、いくさ、さけられない、かもしれない。
民間の企業では、ある製品と、サービスを、周りの人に、提供し、
満足させるのが、主旨である。
軍隊では、利益に衝突のある相手を、破壊したり、相手の攻撃から
防御したりのが、主旨である。
軍隊の経営の一部は、たまに、民間の企業にも、
通用する、らしい。
軍隊の中には、毎晩に、集合があって、上のやつが、
最近、注意すべきところを、アピールするという。
他に、しろうとの兵士が、ちょっとだけ、ミスを、おこしたら、
その機会で、教育する手段も、隠れている。
後は、公平のために、たまに「抽選」で、
一部の、ことを、決めるのも、手段のひとつである。
それから、軍隊の中には、
さまざまな教育機関が、隠れている。
教育が、一週間か、一ヶ月から、三ヶ月までも、ある。
たとえば、トラックの運転だとか、戦車の運転手の運転の訓練だとか、
戦車の射撃者の訓練だとか、通信兵の訓練だとか。
戦車にかかわる訓練は、装甲学校で、通信兵に、かかわる訓練は、通信学校で
行うようです。
配属された分隊によって、その分隊の、
役目によって、こういう、再訓練するチャンスも、たまに、
あるという。
軍隊の中の再訓練の学費は、すべて、
中央セイフが、だしてくれるという。
そのなかに、毎月きゅうりょうも、もらえるという。
ショッピングセンターの話に戻ります。
ショッピングセンターが、この一ヶ月間に、
いってたデパートより、比較的に、でかかった。
この一ヶ月で、合計九日間ぐらいの休みがあったかな。
ただの九日間で、地下鉄をつかって、こんなに、
充実に、探検することができるのは、しらなかった。
この経験と、行動のパターンを、つかって、
これからは、福岡の地下鉄への、探検を、やってみようかな、
と、おもいます。
地下鉄の駅の周りの半径1メートルの文化圏を、
中心に、探察しようかな、とおもってる。
一日に、一箇所か、二箇所ぐらい、みるかな。
たまに、ただ、歩いて、駅の隣のたてものだとか、
いろんなみせ、のものを、みるだけで、
「ほんをよむ」ような、気分がする。
まずは、やっぱり、そういう、ジモトに、
いろんなひとが、しっているメインポイントから、探察の
根幹を、構築してみたいかな、と、おもいます。
自分の軍営があるK市では、福岡と同じく、
地下鉄が、国際空港と、繋がっているらしい。
北のT市には、日本にいける空港にも、
地下鉄と、繋がっているようです。
自分が、中学と、高校時代に、T市すんでいる時には、
まだ、完成してなかった、らしい。
大学の時には、島の東北の町で、六年ぐらい、過ごした。
三年前に、島の東北で、元カノと、であった。二年前に、サーフィンをはじまった。
今思えば、東北のY県の、店も、ほぼ、
駅の半径3キロメートル以内の距離に、座標しているようです。
つまり、駅の半径3キロメートルぐらい以内にある
ことを、探察していれば、大抵、そのところに、ある程度を
理解することができる、らしい。
このやり方で、「日本」「ロンドン」「オーストラリア」などで、
ちょっと、探検してみたいなあ、と、おもってます。
元々、自分の電車より、自分で、運転するのが、
メインだったが、元カノと、知り合った後に、元カノが、
私を、ちょっとかえたようです。
以前、自分のたびは、ほぼ、運転が、メインだったけど、
元カノと、知り合った後には、だんだん、クルマか、バイクから、
おりて、ちょっとあるいてみることに、きになってきた。
ショッピングセンターの話に戻ります。
ショッピングセンターの一階に、あんまりひとが、通らなくて、
ソファが、かずおおくに、おかれている場所が、あります。
すこに、すわって、前回の休みにかったほんを、よみました。
きもちよかったです。
軍営の中だと、そのように、のんびりに、
すわって、ほんをよむのは、あんまり、ない、ふうけい、かな。
ほぼ、任務などが、ついてるという。
昼のころに、任務をおわった後に、寝室で、すわっても、
たまに、叱れるという。 昼間で、ベッドにねることは、
昼休み以外には、軍営にないですね。
ショッピングセンターに、自分が、何をしていても、
よけいに、きかれないのが、リラックスによかった。
しらないやつに、はなしかけられたら、むしろ、おかしいかな。
たまに、そういう、だれも、じぶんのことをしってないところに、
やりたいことをやるのは、きらいうじゃないです。
「なにをやってますか」「なにをよんでますか」「かしてください」「みせてくだいさい」
「なんで、それをよむの」「なにをかいてますか」
というのが、きかれなくて、すむ、らしい。
ショッピングセンターのもっとも、上に、いってみました。
観覧車が、ついてました。 メリーゴーランドもありました。
小型の遊園地だった。
展望台で、夜景をみました。
三年前のことを、思い出した。
三年前のクリスマスに、元カノと、
北部の首都で、一緒に、観覧車を、乗ってた。
後二日で、その日からちょうど三年となる。
南部の首都の観覧車のあたりで、夜景をみながら、
きもちが、ちょっと複雑だった。
なんという偶然だな。
別に、その日は、そのことを思い出すために、わざわざ
観覧車のあたりに、いくつもりはなかったが、
あるチカラが、自分を、その観覧車のあたりに、つれていて、
三年前のことを、思い出させてくれた。
いわゆる、運命ってやつか。
「3」という数字が、なぜか、
ひかれる。
そのころは、夜十時ぐらいだった。
そして、ショッピングセンターの閉店時間は、
夜十時半だった。
自分が、上から降りて、センター続の
地下鉄の駅に、繋がっている無料バスにのって、
地下鉄をつかって、中央駅に戻って
十一時半のチケットを注文し、
いえに、戻りました。
いえに、ある県についた時が、深夜二時ぐらいだった。
南部より、さむかったです。
コンビニの中で、ほんをよんですごしました。
前回の休みに、かってた東野圭吾が、かいてた「夜明けの街」という
本を読みました。
そういう、ひとが、あんまり、おおくて、しずかなところで、
だれも、じぶんのことが、しらないところで、
なぜか、そういうほんを、よむのが、わるくない、かもしれない。
そのさむさは、なぜか、なつかしく、
かんじます。