今日は、当たり前の2011年、らしい。
3011年の千年前と、1011年の千年後。
自分が「当たり前のように、パソコンの前に、すわっている」。
だけど、千年前、1011年の時には、
当たり前ではなかった、かもしれない。
2011年時点では、バイトで、一ヶ月か二ヶ月ぐらいで、
パソコンが、かえるような状態になりました。
ほんしょくならば、一ヶ月に、一台か、三台ぐらい、
かえるほど、らしい。
それが、今「当たり前、と思ってる2011年」という。
パソコンの役目は、「情報の保存」と、「情報のきょうゆう」の部分が
メイン、かもしれない。
ネットで、数万台、数億台のパソコンを、繋がることで、
あんまり、図書館に、いかなくても、一部の問題が、すぐ、
ネットで、調べられるという。
3011年の時点で、千年前、ここに、いた俺は、
一体、何の意味が、あるというと、俺は、たまに、
かんがえてます。
2011年、この部屋にいる私は、当たり前のように、元カノをおもってた。
そして、当たり前のように、元カノの写真を、みてた。
元カノと、すごした日々の記憶が、この脳殻の中に
当たり前のように、時々、蘇っているという。
二年まえ、元カノと、いっしょに、いた記憶は、
すこしずつ、今の私は、構築した。
このおもいを、もっと、大切にした、と思います。
自分だけの、代わりのない記憶。
二年ほど前、はんとしぐらい、ほとんど、毎日、元カノを
何時間、みてきた。
あのように、当たり前のように、自分が、だいすきなひとを、
みつめるのは、多分、せんせい、と、がくせいのかんけい、
しかない、かもしれない。
私はこううんでした。
自分が、だいすきなひとは、じぶんのせんせいで、
まいしゅうに、何時間も、かのじょを、みたり、かのじょのこえを
きいたり、できるのは、こううんでした。
今は、こんなに、つよく、かのじょのことを、おもうのも、
多分、その時、まいしゅうに、三日ぐらいで、数時間ぐらい、
彼女の映像と、こえ、においの情報が、脳の中に、
すごく、つんできたことが、原因の一部、かもしれない。
その後に、デートし、こくはくし、
そして、わたしは、だいすきなせんせいと、
つきあいはいはじめた。
その後に、がっこうでも、プライベートでも、あえるようになって、
ほとんど、まいにち、いっしょに、いてくれた。
私はこううんでした。
この自分だけの代わりのない記憶は、
私は、意識が、もってるうちに、
大切にしたいと思います。
この時とこの空間に、
私のおもいを、刻む。