「ゆめ、は、すぐ、てにいれないもの、かもしれない」
「もくひょう、が、今の自分が、やれるもの」
一匹のアーリンに、同時に、二つの問題の
答えに、あるといい、かもしれない。
ゆめ、は、羅針盤みたいなもの。
目標は、目の前に、みえるところ。
ゆめ、だけ、あっても、
実際に、近づいていなかったら、
なんねん、たっても、到達することが、
あんまり、のぞまない。
目の前の目標だけに、
しゅちゅうして、やっても、けっきょく、
じぶんが、一体、何のために、がんばっているかどうか
さえ、うまく、いえない、時もある。
そのために、「自分のゆめ」と、「今の目標」を、
はっきりに、わかっていて、ゆめに、ちかづくために、
「今の目標に、ぜんりょくをつくしたほうが、ふさわしい、
かもしれない」
仮に「ゆめ」みたいなポイントが、
十キロメートルのところに、位置している、ならば、
「目標は、その間に、分布している、いくつかの
点に、かんがえてみるといい、かもしれな」
「ゆめ」という点を、わすれずに、
ちゃんと、むかっている点が、ゆめに、ちかづいてることを
確認しながら、目の前の、もくひょうを、ぜんりょく、
つくして、やってみると、毎日、すこしずつ、
その「ゆめ」に、ちかづく、はず。
とくに、は、チャンスが、きてくれるものならば、
一気に、何百メートルを前進することもある。
条件は、自分のゆめは、なにか、ということを
しっておいたこと。
それさえ、わかっていれば、どんなチャンスが、
そのポイントにちかづくことに、役に立つかどうかも、
すぐ、見分ける、はず。
かつて、一応、ある資格の、もっとも
たかいレベルの一級を、めざしていた。
八年を、かけて、私は、4、3、2、
そして、やっと、1級の資格をうかった。
七年目に、あるチャンスが、やってきた。
そのチャンスをかつようしていた原因は、自分が、
六年ぐらい、基礎などを、ためていたから、という。
がんばっていたことは、たまに、
いずれ、次のチャンスを、かつようするきっかけと
なる、かもしれない。
今、思えば、一級にとることは、
ただの結果にすぎない。
おもしろい時は、やっぱり、その
がんばっている時、である。
ひと、が、ゆめ、にむかって、
がんばっている時には、すでに、
もっとも、きちょうな、きおく、を、
もらっている、と、おれは、一級をとった
さいごに、気づいた。
ゆめ、を、もって、そして、
目の前に、やれるもの、に、しゅちゅうし、
ぜんりょく、を、つくす。
毎日、すこしずつ、ゆめに
ちかづいてる。
それで、いいだろうなあ。