マルコ・ポーロ(13世紀中~14世紀初)(アジアへの旅、13世紀末、24年間ぐらい)


    ルスティケロ・ダ・ピサ(13世紀後半・イタリア人)


    コロンブス(15世紀中~16世紀初)


    マゼラン(15世紀末~16世紀初)







    かつて、せんそうがあった。


    そして、マルコと、ピサは、捕虜として、


    監獄で知り合った、らしい。





    商人だったマルコは、以前、


    アジアへの旅を、記録家、ピサに、


    話した。   




    こういう記録家には、癖がついてる。


    おもしろがると思うもの、


    すぐ、記録する癖。





    たまには、サバイバルのために、


    そういうおもしろい話を、規律あって、


    整理し、出版する。


    これは「小説」の本質、かもしれない。


    「おもしろいだから、うれるかもしれない」


    だから、出版社に、見つけ出し、


    たくさん、印刷し、発売した、という。


    「きれいなうそ」のようなもの。


    たまには、アーリンが、ひつようなのは、しんじつではなく


    「きぼう」をうみだすきれいなウソ、かもしれない。


     それをもって、あしたへ、みたいな感じ。





    ピサは、マルコの後述に基づいて


    「東方見聞録」を、かいてた、らしい。






    さらに、この本は、十五世紀末、


    さまざまな出版社に印刷されてた。

   

    そのころのヨーロッパではいろんな種類と、訳本も、あったようです。


    







    マルコ・ポーロは、じつざいかどうかは、


    どうでもいい。





    ピサという記録家が、せんそうで、


    捕虜になって、さまざま、ほかのひとから


    きいたアジアの情報をまとめて、


    「東方見聞録」をかいた可能性でもある、かもしれない。

 

    なにしろ、ピサは、ほかにも、「きしのでんせつ」みたいな


    小説をかいたことある、らしい。





     

    つまり、こういう記録家にとって、


    さまざまな「修正」によって、


    あるきっかけで、もらった情報を、


    もっと、おもしろがるようにするのが


    とくい、かもしれない。


    哲学家にいわせると「芸術の修正」かな。






    マルコ・ポーロの口述があって、「東方見聞録」が出版した、であろうが、

  

    「東方見聞録」が出版してから、マルコ・ポーロの行動が、


    気づかれた、であろうが、そういうのは、多分、


    どうでもいい、かもしれない。





    ポイントは、この本が、コロンブスへ影響に与え、


    「地球が球体にしている」という理論を重ねて、


    船で、西へ、進めば、アジアに到着することができる、と


    つよく、しんじていて、行動した、という。








    この信念によって、生じた行動は、


    「ヨーロッパ側にとって、アメリカを発見した」


    さらに、後の、マゼランの西回りにして、


    「地球が球体」ってことを証明した。

  

    

    そのころ、マゼランは、元々、


    アジアへのしん航路を、さがしたかった、という


    信念で、たびだした、らしい。

 

    結果的には、ちょっとあぶなかった、らしい。


    だけど、「地球が球体」ってことを証明した。



   


     実験する前に、確かに、海路のほうが、


     あんまり、リスクがない、かもしれない。





    ヨーロッパからアジアへ、いく時に、


    陸路を使ったら、「リスクがついてる」


    「リスクってどういうリスクというと」

  

    アーリンの本質です。


    「自分の利益と面白さのために、


     ほかのいきものへの影響をかまわず、かってに


     やる」





     このような本質で、


     「さんぞく」など、「あくしつのごうとう」は、


     すくなくない、はず。





     なぜなら、その時では、


     まだ、きょうりょくてきな中央セイフが


     ない、らしい。




     ほかに、陸路でヨーロッパから、アジアへいくため、


     中東を通過しなきゃならない、かもしれない。


     ほかの、だんたい、など、と、しょうとつするかのうせい、も、ある。


     後は、「やま、さばく」などを、入る時に、


     やっぱり、まいごになるリスクも、すくなくない。


     食糧が、きれる可能性もある。


     




     という原因で、海路は、「さんぞく」「ほかのアーリンのだんたい」


     など、と、しょうとつするリスクが、すくないので、


     「方位磁針」さえ、あれば、順調に、西へ、すすめるはず。


     と、コロンブスは、しんじていた、はず。








     方位磁針は、マルコ・ポーロのようなやつが、


     中国から、ヨーロッパへ、持ち帰った装置、らしい。


     そのころ、「活版印刷」の恩恵で、そういう装置の


     原理と、作り方は、すぐ、広がる、はず。


     さらに、改良され、船の振れることにたえられ、


     航海用の「羅針盤」(らしんばん)となった、らしい。








     元々、地球儀(ちきゅうぎ)からみれば、


     ヨーロッパと、中国は、実際に、陸が


     繋がっている。


     というわけで、中国で、使われた技術が、ヨーロッパに


     流しても、ふかのう、ではない、だろう。




      


     役に立つ技術ならば、


     「もうかるかもしれない」という原因で、


     「活版印刷」を使えば、


      情報は、すぐ、全ヨーロッパに広がる、はず。









    「イタリア、スペイン、ポルドガル、フランス、ドイツ、イギリスなど」


    海路を使って、陸に、沿って、運航していれば、羅針盤のようなものが


    なくても、いける、はず。








      地中海の波が、それほど、つよくないので、


      船の開発は、「利益を増やすため」


      さらに、「あたりまえ」と思われていたんだろう。





      つまり、ルネサンスの時に、方位磁針の技術が


      ヨーロッパに、伝来する前に、ヨーロッパには、


      既に、「自信がある造船術」と、オレは


      予測している。




      特に、スペインというところは、


      地中海にも繋がっていて、


      西大西洋でも、繋がっている。


      このように、より、平穏な地中海で、


      開発した船は、すぐ、北大西洋という、


      波が、地中海より、ややおおきな海域(かいいき)で


      テストすることができる。





      テストの結果によって、さらに、


      はやさ、丈夫さ、安定さを、追求するために


      修正する。

    








      このような温床があってこそ、


      「方位磁針」の技術が、広がり始めた


      ルネサンスは、大航海時代を促した。







       コロンブスと、マゼランを軸として、


       さまざまなところが、次々と、


       ヨーロッパに発見された、という。




    








       マゼランは、多分、覚悟していた、かもしれない。


       出航する時の五隻の船は、マゼラン海峡に


       入る前に、二隻が、反乱し、ついていかなかったようです。


       確かに、「地球は球体かどうか」、その時では、


       まだ、実際に、確認されていない。

    

       「もうもどれないかもしれない」という可能性もあった。


       この原因で、その時、二隻が反乱しても、


       むりはない、かもしれない。


       他の三隻は、マゼラン海峡をぬけて


       太平洋に向けていったという。






        


       スペインにとっては、このように、


       スペインからマゼラン海峡までの


       通路の経験が、もらったという。


       このように、南アメリカを植民地にしはじめたかもしれない。


       そこで、今、南アメリカのところには、


       スペイン語をつかうところ、は、すくなくない、という。











       16世紀初


       ヨーロッパのコロンブスが、アメリカを発見。


       さらに、マゼランが、船をつかって、地球を


       一周まわった。


       つまり、あの時点では、ヨーロッパの


       航海術は、すでに、ほかのところより、


       すぐれていることを、この二つの


       活動で、証明した。






      


        ただし、航海する時に、


        果物などを摂食する機会が


        へるということで、「かいけつびょう」の


        原因となった。




        その現象は、あのころ、


        かいぞく、より、もっとおどろかせる、らしい。






        18世紀中、イギリスの中央セイフの武装組織に


        階級の差で食事の差別によって、発症の可能性の


        差も、出てきた。




        この現象について、「新鮮な野菜と、果物」を


        くうと、「かいけつびょう」のはっしょうしゃが


        すくなくなる、と、気づかれた。




        さらに、特に「ミカンとレモン」を取ることで、


        「かいけつびょう」を予防することができる


        と発見された。



   




       

        16世紀初、マゼランの艦隊は、


        半分以上、「かいけつびょう」で、


        なくなったようです。






        18世紀末、イギリスの中央セイフの武装組織は


        この発見を生かし、


        航海する時に、積極的に果物などを摂食して


        「かいけつびょう」を予防し、

 

        しっている限りに、記録上、ゼロししゃで、世界を一回りした記録を残した。










        イギリスのその発見で、


        もっと、安定に、植民地を拡張することができた、


        と、オレは、推測している。






        より安定に、「へいりょく」を、

  

        アメリカなどの、植民地計画地に、運ぶことが


        できる、という。





 

          


        植民地計画には、「原住民」に、


        武装的な反抗されても、無理はない。


        なぜなら、「原住民」の立場から、


        ヨーロッパから、きたアーリンは、


        彼らの、既存的な利益を、影響しようとしている、という。


        そして、


        「おのれのせいぎをしんじて、たたかう」









       「規律、マナー、秩序、技術」など、


       ルネサンスの時から、生かした合理主義によってつくった


       武装組織は、無論、圧倒的なへいりょくで、


       「植民地計画」をスムースにすすんでいた、という。








      「植民地計画」初期で、訪れた莫大な利益で、


      さらに、「技術へ進化」を促した。


      それをもって、さらに、艦隊の規模を


      いかすことができるという。


      このように、世界各地のアーリンが、


      交流しはじめた。





      さらに、第一次世界大戦(20世紀初)と


      第二次世界大戦(20世紀中)


      の温床となった、という。



    


         


      

      あらゆる技術は、発見されたら、


      すぐに、「武装」に、運用される


      というアーリンの本質を発見した。






      確かに、この千年間のれきしをみると、


      いくら、こころをよろこばせるアートなどを


      いかしても、それを、「守るチカラ」がなかったら、


      周りの団体のきまぐれで、たまたま、


      みて、たまたま、破壊されることも、


      すくなくない。


      この現象は、アーリンの幼生に、


      、いじめなど、したり、という


      特性で、わかる。


      成体になったアーリンは、たまに、


      それを、隠れていた、だけ、かもしれない。


      条件さえ、満たせば、再び、あらわす、という。


      「自分の面白さと、利益のために、


      ほかへの影響をかまわずに、かってにやる」


       という原則は、アーリンの本質である。


      それが、アーリンの本質というより、


      イノチの本質、かもしれない。






      アーリンの行動をみると、


      サルより、サルでも、いえる、だろう。


      さすがに、ドラマチックです。


      




      この本質によって、


      「大航海時代」の後の


      「植民地計画」を促したという。


       





      やむをえなかった、かもしれない。


      だから、おこったという。


      自分が、やらないと、他は先にやる。


      ヨーロッパ各地の中央セイフは、ライバルとして


      こうどうしていた、かもしれない。



     


      第一次世界大戦(20世紀初)と、第二次世界大戦(20世紀中)の


      記録をみれば、わかる、かもしれない。


      特に、ドイツ語圏と、英語圏のたたかいは、


      この二回にあったようです。


      ここで、強調したいのは、ヨーロッパ圏の中央セイフでは、


      お互いのライバル意思として、活動している傾向もある、という。








      このように、スペインの「植民地計画」をはじめ、


      他の中央セイフ、が、「活版印刷」などの恩恵で、


      情報をもらったら、おなじく、「植民地」を開発しないわけが


      ない、かもしれない。






      なぜなら、「植民地」が、ヨーロッパの技術を


      もらって、武装組織が、ヨーロッパと同等になる前に、


      先に、このネルサンスからの、積んできた技術を


      いかして、利益を最大限に、搾り出すのは、

    

      まさに、アーリン、らしいです。




      起こった記録は、アーリンのその本質を


      証明した。






      そのころ、中央セイフの決断は、


      やむをえなかった、かもしれない。




       

      逆に、アジアと、アメリカなどの、


      原住民には、いい薬、かもしれない。


       



      そのまま、植民地され、帰化される


      アーリンも、いるし、自覚し、


      変革を起こすアーリンもいる。




      さまざまな現象には、必ず、それなりの


      原因があるはず。







      


      気合があっても、力がないと、

    

      できることは、限られている、かもしれない。




      そして、ヨーロッパの技術力は、


      ルネサンスの時から、何百年も、


      つんできたという。







      20世紀初(1903)、アメリカで、記録上、


      操縦系の飛行機一号が、つくられた、という。


      さらに、コッカレベルの資本で、


      この技術を、いかした。



   




      WARI、と、WARIIの


      飛行機の進化のスピードをみれば


      わかる。


      


      


      


      この20世紀初で、生かした技術は、


      さらに、大航海時代から、


      アーリンのぶんめいの一体化を促した。











       20世紀末、第三次世界大戦は


       起こらなかった。


       アメリカ合衆こくは、このときで、

  

       積んできた資本を、宇宙への開発に、


       使った。


       そして、記録上、西暦1969年、


       アーリンは、WARIとWARIIで


       の飛行機の技術力をさらに生かし、


       月に到着した。