最近は、外国語としての言葉の習う番について、


考えてた。


   方法は、一つだけじゃないが、自分が、使ってた方法について、


記録しておく。





  第一段階は、自分で、単語を覚えたり、文法を覚えたり、


機械的に、文章、オト的な情報を、分解、理解する。


文章を、一つ、一つ、分解して、理解する。


サンプルは、あらゆるその国の文章でもいい、かもしれない。


無論、文章で、つかう表現と、会話で、使う表現は、ちょっと違うから、


それも、注意するといい。

 




  その段階では、よく、自分の母語と、その外国語の説明が


混ざりこんでいる、らしい。  それは、第三段階とは、まったく、逆、らしい。










  第二段階は、その言葉が母語(ぼご)のひとと、


話したり、自分の考え、言ったり、相手の考え、理解したり、


その言葉で、もう一度、世界を再構築する。


その段階では、勘で、文法を覚えるのが、肝心な部分、かもしれない。



  相手が、その言葉しかわかっていない場合、自分が、


その言葉で、相手を理解させるしかないという。



  つまり、自分が、機械的に習ってきたものを、


実際の会話で、運用したり、する。


  そして、文法の感覚と、


単語の記憶を、勘、オト的な記憶に変える。




  何より、最初は、理解しやすい文法と、よく使う文法を、


勘まで、かえるのは、ポイント、かもしれない。



  会話が、うまく、すすむかどうか、すぐに、


思った単語を思い出せるかどうか、文法で、


理解しやすいものまで、かえるかどうか、次第、かもしれない。






  その段階では、その国の言葉が母語のひとをさがすのも、


考えるものとなる、らしい。



  実際に、会話したり、したら、自分が、足りない部分を


知って、さらに、その足りないところに、補充するといい。




  なぜなら、たまに、第一段階の時には、


たまに、あんまり、会話で、使ってないものに、


時間をかけすぎで、実際で、よくつかうものを


不注意になることもある。



  実際に、会話してみれば、その部分の歪みは、


修正することができる、かもしれない。



  単語の理解は、やっぱり、よく使う単語から、


あんまり使わない単語へ。



  文法も、よく使う文法から、あんまり使わない文法へ、かな。



  そして、単語と文法は、やっぱり、


会話で理解しやすい表現から、文章だけに、つかう言葉へ。




  どんなものが、文章でつかう言葉と文法は、


実際の会話で、使ったら、たまに、その言葉を母語としての


ひとでも、ちょっとすぐに、理解することができない、かもしれない。




  それより、相手が、すぐ、理解できるものに、選んだほうがいい、かもしれない。




  では、同じ意味なものには、どっちが、普段の会話で、使うか、


どっちが、文章だけに、使うか、というと、やっぱり、


それは、よく、その言葉を母語としてのひとの、いうこと、


聞いたり、するしかない。



  そして、覚えて、さらに、相手が、会話で、つかったことを


つかったりして、体(口)で理解して覚えるという。




   


  つまり、その言葉で、実際の会話で、運用しなかったら、


第二段階に、入れないという。




  視覚的な理解しかない言葉の記憶は、あんまりにも、


不完全、かもしれない。


  

  第二段階のポイントは、要するには、


ひつような時に、必要な単語を思いだせる。



  そして、聞く時に、オト的な情報が、


すぐ、第一段階、視覚的な文字とリンクすることができる、かもしれない。



  現地だとしたら、オト的な情報を先に知ってから、


視覚的な文字を知るのも、よくある、らしい。


ああいう感じって、会話的な勘にいい、かもしれない。



  第三段階、その言語の言葉で、さらに、その言語の言葉を理解する。


つまり、理解してなかった、単語は、他の知ってる単語で、その単語を


理解するということです。


     役にたちそう文章を読んで理解して運用したり、する。