毎日は、誰かにいい感じをさせるじゃなくて、


自分でおもしろく感じるというのが、大切かもしれない。




  そう言っても、勝手にする訳ではない。


最初は、他の知らない人の気持ちから、考えて行動する。


もし、誰かが、他の人の気持ちを考えないで、行動すれば、


その時に、相応しい行動に変えていい。




  


  人型が、目の前に現れると、自然に分析し始めるのが


普通かもしれない。  性別、年齢、知り合いかどう・・・などの


分析が始める。  一旦、脳が相手に弁別番号をつけた後、


相手がやることは、その弁別番号と融合していく。




  最近は、毎日、特定な店に、「プリンミルクティー」を


注文してた。  余計な感情の変化を避けるために、


店員の顔は今まで、見てなかった。  一度、見たら、


気になるかもしれないので、最初から、ゼロのままに


保ったほうがいい、かもしれない。


つまり、自分の立場を抜き、客観的に周りの流れを


感じるという。




  そう言っても、自分の弁別番号は、覚えられたようです。


今日は「真珠ミルクティー」を飲もうかなと思って、


いつもと違って、「真珠ミルクティー」を言ったのに、


店員は、「プリンミルクティー」を作ろうとしている。


それから、店員に言って訂正した。


どうやら、店員は、俺の弁別番号と、「プリンミルクティー」と


融合していた、ようです。  俺は、連続一週間以上、


同じような弁当、飲み物を、食ってきた。




  あの時、店員は、先入観に、支配されていた、かもしれない。


客観的に、目の前のケースを分析しなかった、かもしれない。


客観的に仕事を遂行するため、判断の基準は、


俺の弁別番号じゃなくて、俺が、「その時の言うこと」という。




  そういっても、やっぱり、いつも、見てる顔だったら、


脳が自然に、その人、前のやることと、自然にリンクしていく、かもしれない。


脳に隠れている、自然判断システムも、無視できない、かもしれない。






  もし、自分も、先入観に、ごまかさないように、


毎日、客観的な視点で、目の前の分子の流れを観察すればいい。


たまに、誤算の原因は、昔の記憶、かもしれない。


昔の記憶だとか、他の人型の言うことだとか、そういうことを


信じるより、自分の目で見て、判断するのが何より、かもしれない。






 


  それから、「森」に行きました。  


森には、他の人型があんまりなかった。


確認できることは、せめて、半径30メートル以内には、


人型がいないという。


肉眼で見える人型も、なかった。


音も「人型」が発したとがなかった。


どんな音がしてるというと、水の流れかな。


川の辺りにいるから。





  小さい川を通る時には、


杖というものが大切だと感じます。


途中、勝手に木を拾って、杖にした。


苔でこけたら、ちょっとやばい、かもれないから。









   今日は、冷静的な気分で、


目の前の流れを、手で、描いてみた。


分析してみた。  流れが、人型がいっぱい集まってるところより、


もっと、はっきりしていた。 何か、心が


段々落ち着けるようになる。





  それから、俺は、視点をもっと後ろに置いて、


そのところにいる俺を、分析し始めた。


脳、脊髄、血液、頭蓋骨・・・。 ちょっと不思議な感じがした。


この「人型」も、この世界の巨大の流れの一部にすぎない。


そして、その人型の意識も、流れの一部にすぎないということを


気づきました。  自由意識など、幻想にすぎない。





  そう思えば、やっぱり、毎日、たのしく過ごせるのが何よりです。





  この宇宙にとっては、人型、俺という意識がどんな選択を選んでも、


あんまり意味はない、かもしれない。 分子は、ただ、何かの


ルールに従って、流れているだけ。





  そう考えれば、悲しみ、楽しみ、という感情は、段々


離れていく。  その代りに、安定な精神状態が


訪れたようです。





  心は突然あんまりにも、静かになりすぎで、、ふと、昔のことを


思い出した。 心は、その一瞬の波動で、段々、


規模(きぼ)が大きくなった。 最初の一瞬の波動に従って、


はっきりしてる波動が感じた気がする。 あれは自分の心の声かもしれない。


誰かと、一緒に、湖の辺りに、手を繋いで


話しながら散歩した。  その人、俺の原始点か。