日本語能力試験は、ほとんど、選択肢問題でした。


通訳の試験は、やっぱり、「会話」という要素が、高まってる、らしい。


「文字を見て、理解する」と「会話を聞いて理解したり、言ったり」、


その二つは、ちょっと違うもの、かもしれない。






文字を見る時には、視覚的な情報を、意味まで連想する。


聞く時には、音的な情報を、意味まで連想する。




  古代文明を研究するように、日本語を習う俺にとっては、


やっぱり、その差について、気づいてから、他のトレーニングを


考えたほうがいいかもしれない。



  いくら文章を読んでも、他の人の会話が全部、聞き取れるとは


限らない、かもしれない。  文章の意味が、音に、繋ぐために、


やっぱり、実際に、そういう会話を、聞いたほうがいい、かもしれない。


「読んで理解する練習」と、「会話で聞いて理解する練習」は


やっぱり、ちょっと違っています。




  一つは「視覚」から。一つは「聴覚」から。






  昔、たまに、瞬間に聞き取れない「言葉」は、


文字に変えた瞬間に、とっても馴染んでる(なじんでる)顔が


知ってます。






  やっぱり、「会話」という状況に至ると、


「アクセント」と「話すリズムの速さ」・・・など、を考えないとならない。








  会話の状況に至ると、反応は、文章を読む時に、


もっと、意味の瞬間転換力が必要、らしい。




  そういう能力を高めるために、やっぱり、


何度も、同じような言葉を聞いたり、使って言ったりしかない、


かもしれない。



  


  ただ、文章で、一度か、二度ぐらい、見た言葉では、


すぐ、会話で、うまく言えないのも、普通だと考えればいい、かもしれない。





  会話で、すぐ聞いて理解したり、言いたい時に、すぐ思い出して


言ったり、まで至るには、やっぱり、文章だけ見ては


ちょっと、あれ、かもしれない。




  文法の使うことも、一回か二回ぐらい、見ただけでは、


会話という、状況に、うまく運用できるとは限らない。



 それに、文章で使ってる文法は、会話で使ってる文法は


ちょっとだけ、差がある、かもしれない。


会話では、何より、意味を相手にちゃんと伝うのが大切、かもしれない。





  結論は出ました。




  通訳案内士の試験のため、文法に対しての「音」に関わる要素は、


「文章の理解」と分けて、練習したほうがいい。




  たまに、文章で、よく見てきた「言葉」が、実際に、


聞く時に、そのアクセントが、ちょっと自分が思ってるアクセントと


違ってる時がある。  そういうことを防ぐために、


やっぱり、たまには、会話で、もう一度、同じ「言葉」のアクセントと


共に、その言葉を覚えたほうがいい。


  そして、その間に、段々、二つを一つに融合してみます。


つまり、音を聞いてから、すぐ書き方を思い出したり、


字を見たら、すぐ、発音できたり、というのが理想、かもしれない。






  文法のほうは、やっぱり、場合によって、


他の人が実際に会話で使った言い方を使うのが、安定、かもしれない。



  会話の時、と、文章の時、同じ意味に対しての


「言葉」の選択のも、注意したほうがいいかもしれない。


会話の時は、やっぱり、分かりやすい言葉で使ったほうがいいかもしれない。


つまり、よく言われている言葉を選択して、考えを相手に伝えるのが


相応しい、かもしれない。





  文章の硬い言葉は、会話の時の言い方と、間違わないようにするといいな


と思ってます。