本当の友達だったら、あんまり、カネに関わりたくない。
本当の友達だったら、貸したり、借りたりするのは、あんまり、したくない。
そういうことになると、やっぱり、気持ちのようなものになる、かもしれない。
情報によると、地球には、60億匹ぐらい、自分と似てるような
人型がついてる生命体が、地球の各地(かくち)に、隠れている、らしい。
他の人を「道具」として、使うヤツがいた。
たまに、相手がそういう人を気づいたら、もう手遅れ、かもしれない。
最初は、何かをして相手にいい感じをさせるが、実際は、何かを企んでいる場合もある。
近づいてる知らない人の目的を見極めも、大切、かもしれない。
むしろ、最初から、距離をおいたほうが安定、かもしれない。
誰かを守ろうとすれば、まずは、自分を守るということを覚えたほうがいい。
カネを貸しても、返さないヤツがいた。
そういうことが一度、現われた限りに、円の中心が変わらないと
また起こるという。
そもそも、カネを他の人に貸すということは、
相手が、絶対に、返すということを期待しないほうがいいだろう。
そういうことで、誰かがカネを貸せって依頼が来たら、
原因を聞いてから、金額を控えるのが、大切、かもしれない。
もし、相手が友達じゃない場合には、また
やる手があるが、相手が友達の場合には、ちょっと
あれ、かもしれない。
たまに、友達が、俺にカネを借りる時に、
金額を控えた。 最初は、小さい金額でした。
もし、相手が、そのまま、返さない場合は、
あんまり気にしないが、それを経験として、
相手の人格という情報を買うということにしておく。
つまり、その後は、また、同じようなことが
来たら、金額は、控えようにする。
そして、あんまり自分から、相手と関わらないようにする。
なぜなら、人の行動のパターンは、すぐで変えられるものではないという。
観察によると、人のカネを借りることは、
よく、クセにつく、らしい。 何かあって、すぐ、
知り合いにカネを借りる人がいれば、同じようなことがあって、
ちょっと我慢しても、友達にカネを借りないように、
自分で、働いて、処理する人もいる。
相手にカネを貸すのは、簡単ですが、
やっぱり、友達の場合は、相手が返さないことを
覚悟する必要がある。
それに、場合によって、相手に、教育をさせるために、
たまに、貸さないようにして、相手を自分で、
問題を解決することを、習わせることも、大切かもしれない。
そういうことがあって、相手とは、どのように
関わるかどうか、も、考えさせるようになる。
もし、相手は、好きな人だったら、命をかえても、文句言わないが、
それじゃなかったら、ちょっとな、考えさせてもらう。
なぜなら、一人の俺は、周りの全ての人を全身全霊で守る訳ではない。
それより、俺は、自分の心を、一人に、全てを捧げようとしていた。
やっぱり、人型の俺にとっては、やっぱり、「中心」というものが
必要です。 信仰がある人には、精神の安定さが信仰のない人より、
安定ということもよく聞いてる。 自分の信じることを守るために、
信じるもののために、人体の性能を限界まで、引き出すこともある。
私は、その中心という人を23年をかけて、見つかった。
付き合ってから、そして、俺たち、俺たち、俺たち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
話題を変えると、
あんまり知らない相手の身から、もらえる情報にも、考える要素のひとつとなる。
つまり、もし、相手が、役に立つ情報を持てる場合には、
ちょっとあれだとしても、少しのカネなら、貸すかもしれない。
相手が持ってる情報の役に立ちさによって、考える。
つまり、相手がついえる技術。
商売みたいなものだと考えれば、気がすむ。
知らない人に、流さないように、情報を、運用し、
自分を守れることができるこそ、自分にとって、代わりのない大切な人
が守れるようになるだろう。
そして、やっぱり、自分も、たまに、他の人に、
何かを頼んでから、「恩返し」ということは、
忘れないといいなと思ってます。
人の行動のパターンを理解して、自分が他の人に、
傷つかさないようにする人がいれば、それを、悪用して、
自分の利益のために、他の人を騙したり、利用したりする人もいる、らしい。
つまり、人型が、年が取ってるほど、ちょっと気づかないとならない、かもしれない。
他の人の気持ちを傷つけずに考えて行動する人もいれば、
全く、自分の利益だけのために、他の人への傷害を知りつづ、逆の方向にやるヤツも
いる、らしい。
それより、年が取ってない人も、かわいいところがある、かもしれない。
それは、行動の分かりやすさ、かもしれない。 多くの場合、考えと、やることは、
ほとんど、一致してるのが、特徴、かもしれない。
つまり、あんまり結果を考えせずに、何かをやるということ、かもしれない。
結果を考えせずにやるというより、まだ、似たような経験がついてない、かもしれない。
そこで、結果を考えようにも、情報がないという。
どんどん、経験していればいいでしょう。
経験することは、情報を集める手段の一つだと言っても、やっぱり、限度がある、かもしれない。
その限度を越えて、ちょっとあぶなすぎる場合は、やっぱり、ちょっと考えたほうがいい、
かもしれない。
つまり、あんまり知らない知り合いの人格の情報を
知るために、もし、相手が本当に、自分にカネを借りようとすれば、
その限度を設定したほうがいいかもしれない。
つまり、相手が返さないタイプを仮定(かてい)して、設定したほうがいいかもしれない。
交通のことを思い出した。
道路に止まってる車は、突然、動いて突き出す場合がある。
そのような場合は、もし、自分が乗ってる乗り物が横に通ると
たまに、衝突が起こすという。
そういうことを、防ぐために、全ての車が突然、突き出すことを
仮定し、距離をと取ったほうがいい、かもしれない。
なぜなら、車の中には、人がいるかどうか、発動するかどうか、
中の人は、後ろにやってくる乗り物がくることを確認せず、突き出すこと
起こるかどうか、ということが、一見で、分からないというもの、かもしれない。
そこで、知らない車に、場合によって、危険な場合だと仮設すれば、
もっと、道路に長く乗れる、かもしれない。
「速い乗れるより、長く乗れるかどうか、ということは、道路の運転にとっては
もっと大切、かもしれない。」
試合じゃなくて他の人より、速く乗っても、賞金はないし。
そう言っても、自分は、昔、よく速く乗ってきた、峠で、友達と
競技した。 面白かった。
話に戻れば、
「知らない人」でも、「突然突き出す車」と仮説していればいい、かもしれない。
形に、ごまかさないように、「見たことない生命体は、見たことない生命体」です。
その生命体の性質は、やっぱり、時間をかけて、観察しないと、ならない。
形も、判断の根拠の一部だと言っても、
やっぱり、全てとは限らない。
形で、表するものも、ある。
服は高いかどうかより、清潔かどうか、それは
相手の行動のパターンに、もっと、判断に、役に立つ情報かもしれない。
一度、そのようなものにやられて、また同じようなことを
他の知らない人に施す人もいる、らしい。
そのようなことを見ると、世の中の流れは、情けないというものが
しみじみ感じています。
加害者にも、たまに、被害者だったこともある。
ある事件の裏を調査し続ければ、たまに、
誰かが、正しいかどうか、自分もわからなくなってきた。
たまに、事件の一部と、表だけ、見れば、ちょっと断言しにくい。
もし、誰かが、単なる事件の一部だけを見て、全部、分かったかのような
口ぶりで言うなら、むしろ、ちょっとあれ、かもしれない。
一度、起こった現象は、円の中心が変わらない限りに、
また起こすという。
俺は、そういう現象を見て、受け入れて、理解して、客観的な立場で、
考えようとする。 いくら、理不尽なことは、たまに、
受け入れるしかない、かもしれない。 世の中のいろんなことは、
たまには、うねりのようなものに考えれば、段々、気がすむという。