温度_21度


天気_晴れ、日差しがちょっと強かった。冬というより、夏みたいだ。



体の一部のパーツは、まだ治ってないようです。


力、出そうとすると、チクチクします。


振動を感じた時も、チクチクします。


昨日より、少し、よくなったかもしれないが、


まだ全力でパドリングすることができないようです。






  もう一度、皮が裂くような寒さを感じてみたい。


そういう温度は、多分10度以下。  3度以下もわるくない。




  もう一度、人をころせる波でゲッティングアウトしたい。




  この脳に刺激を与えたい。












  今日も見学に行きました。


約1時間か2時間ぐらい見学した。






  立ち方がちょっと不自然に感じる人がいたようです。


両足が開けすぎる。  そして、後ろのヒザは、内側に曲がってない。


すると、不自然に感じる。






   後は、肘を上げすぎる人もいたようです。


ちょっと不自然に感じます。


自然のほうは、上腕で肘を動かせる。  


腰のうねりで肘を動かせる。




   


   そして、あんな大げさな振りをするには、


ヒザと腰もちゃんと曲げたほうが自然かもしれない。






   


  ショートにとっては、リップが現れる直前か


直後に、テイクオフする。


  ショートがテイクオフする直前か、直後に、


必ず、リップが現れるようです。


  つまり、ショートにとっては、ボードを滑り出す


角度が必要、らしい。




  


   今日、北堤防も70人以上のサーフィンする人が越えていたようです。


うねりが来た時に、20人ぐらい集団が、一つうねりに向けてパドリングする光景は


ちょっとあれに感じます。  




   


  後は、一つの波、いろんな人が追おうとしてた。 それもちょっとあれに感じます。


つまり、外の人の面白さを犠牲して、自分の面白さを果たすということです。


そういうのが人の本質けど、実際に、目にかけると、実に、あれに感じます。




  人と人は、あの時に、競争しようとしていた。


伝統のルールは、同じ波に、一番速いテイクオフする人が


その波に優先権があるという。



  もし、同じ時間でテイクオフした場合は、ピークに近い人が


波の優先権があるという。




  













   フェースが現れるところと、ピークが現れるところを


予測するのが大切のようです。


   ブレイクしそうなうねりが来たら、いろんな人が


そのうねりを予測して、移動する。


   経験者でも予測、外れることがあるが、


とにかく、目の前の情報を見逃さないように、


試してみるのが基本、らしい。


   せめて、試していたら、可能性は、


上がってくる。







  いろんな人のサーフスタイルを見ていて、


俺は、自分が気に入りサーフスタイルを選択する。




  ロングはちょっとあれに感じますから、


俺はショートを選ぶ。


  ロング、正直、あんまりすきじゃない。


人とボードの一体感があんまり感じれない。


人がボードを操縦するより、ボードが人を操縦するみたい。


あんまりパドリングしないで、波の押されるロング、みたことある。


あれはあんまりすきじゃない。


後はロング、そういうたちすぎるスタンスもあんまりすきじゃない。


やっぱり、ショートのほうが俺にとって、自然にみえます。


  パドリングしないと、波に追えないショートが


気に入りです。  自分の力でボードと融合することが


もっと一体感がある。
















   今日の波は、ヒザか腰ぐらいです。


波にリズムはゆっくりしていた。


沖から出るのは、多分一回か二回ぐらいドルフィンスルーですむ。





   アウトの波のフェースの高さは、岸に近いところで


ブレイクする波より、もっとフェースが高くて、順序に崩れていくようです。


ショートは常に、その日、ブレイクが岸から一番遠くのところで


波待ちをするようです。  あそこがブレイクする波が

エネルギーが岸のほうより、あるようです。







    それからは、テイクオフの熟練さ、


前足がボードの中心についた後、すばやく、後ろにある手を


後ろの上に上がったほうがいい。 ボードのところに


うろうろしたら、前足とボードのリンクには、よくない、らしい





  それからは、波の見極み。  経験者は


ダンパーしそうな波を気づいたら、すぐ、振り返す、らしい。


経験者は、常に、フェースがちゃんと崩れていくところから、


波を乗るようです


  そして、効率あるアップスで加速するらしい。




  今日は加速しようにも、ボードがあんまり加速してない人が


見た、ちょっとあれに感じます。  あの人の


スタンスがちょっと違和感がある。  たちすぎで、手の


振りも腰とヒザにあわせてないようです。


そして、自分の動きだけ注意して、フェースの変化と


あわせてなかったようです。





   やっぱりそういうのは練習する必要があるようです。


















   周りの人に影響することを構わずに、


自分がやりたいことをやるということは、なりやすくなる。


ああいうのが人の本質かもしれない。




    もし、自分が、その人だったら、自分は


どう思う。 という考えを考えてない、かもしれない。


若しくは、同じようなつらい経験が持ってないこそ、


そういうことをする。






   たまには、攻撃される前に、人を攻撃する人もいるようです。


そういうのが、傷つけたくないから、傷つけられる前に、


人を傷つくこともあるようです。  つまり、本質は、


ただ傷つきたくないようです。


確かに、この世は、たまに、矛盾している。


自分が何もしないくせに、ただ、普通に生活しているくせに、


何かが、やってくるという。  もし、何度も、そういう


ことと接触したら、人の精神は、知らず知らずに、


影響されるかもしれない。  暴力になりやすくなる、らしい。


私はただ、この世が現われていた現象を説明したかっただけです。


たまに、自分が考えなくても、そういうことは、絶え間なくに、


現われてくる。





それからは、もう一種類の人がいるようです。


人を傷つけることも、傷つけられることも全部、拒んでいる。


なるべく、人と接触しないように、距離を保つ人もいるようです。


そして、それでも、傷つけられたら、場合によって、


はんげきモードに替える人もいるようです。






うねりを見つけて、接近していくことと同じように、


もし、試さないと、解決の方法を見つかる可能性は上がるはずがない。


そのようなものを気づいたら、何も考えないより、


少し、考えたほうがいいかもしれない。




この世のいろんなウラミは、衝突と誤解に


構築されているようです。


誰か正しいかどうかじゃなくて、


多分、ウンメーみたいなものに近い。


分子が流れている。


その動きのルールは何かに従って流れていく。


その原因は知らない限りに、何か仕掛けを


つけないと、今までもこれからも、


絶え間なく、現われてくる。


俺は、この原因を知り、仕掛けを


入れるかな。








今、俺は部屋にいて、


コンピューターの音とタイピングの音しか聞こえないが、


この部屋の外の世界には、いろんな人が


生活を維持するために、動いている。


いろんな人と接触しり、話したり、頼ったり、頼られたり、


ということです。


そして、この世界は、そういうことで、変わっているようです。


変わるのが、人の脳です。  人の脳が変わっていく。


そして、その世界の様子を変わる。


昨日と今日は、多分、人の行動によって、この世界の


分子の配列がちょっと違ってくるようです。


もちろん、この世界を変わるものは人だけじゃなくて、


外にも、いろんなエネルギーが動いているが、


人の心を傷つけるには、たまに、人しかない。

頼ってきた人が失う時。 頼ってきた人に裏切られたりなど。


後は、外の人が自分の利益のために、間接的に、外の人の利益を犠牲したり、


不注意で、意外で、外の人を傷つけたり、など。


いろんな事件が、次々にこの世、現われていく。


俺もいずれ、そういうものの産物と接触しないとならないかもしれない。




たまに、自分が見たくないことは、


この世界に、確実に、発生している。


いやだから、考えないようにしたり、見てみ見るふりにしたり、


という人もいるが、俺はちょっと考えてみたい。


そのようなことは、どうして、次々にやってくる。


うけいれるしかないんですか。


もし、原因が知ったら、何か避ける方法があるのか。


この俺の力で変えるものはあるのか。


  





こいはまさに、あまいわなです。


しあわせなときは、とってもたのしくかんじますが、


うしなうときは、このまえがたのしくほど、


もっとつらくなるようです。


たちなおるには、かなり、じかんがかかるようです。


いちどこえにおちらないと、そのあまいわなの


えいきょうがしらないようです。


おとなのせかいは、ふくざつ。


さいしょは、ただ、すきなひとをぜんしんぜんれいで


あいしたかっただけ、でも、なぜ、たまに、


けっかは、おもうどおりにならない。









   

   話題をかえて、自分が、音楽を聞きたい時に、


外の人の気持ちを構わずに、大きく声を上げることは


たまにある。  そういうスピーカーから出す音は、


自分だけじゃなくて、外の人の耳にも入れるようです。


もし、そういうことがしたい時に、周りに人がいるかどうか、


周りの人が寝てるかどうか、そういうことを


一度確認したほうがいい、かもしれない。





  では、どうして、人はたまに、音楽が聞きたいというと、


多分、脳に刺激を与えたいかもしれない。


刺激を与える基本の要素は「変化」ということを感じる、らしい。


芸術の基本も「変化」ということ、らしい。


劇、音楽、小説、絵・・・など。




文学というのは、言葉と言葉を結びつき、意味の変化が次々に


やってくる。  劇も同じようなもの。




音楽は、音の音量の変化と、アクセントの変化が


次々にやってくる。 「変化」ということを人に感じさせる。





絵は、線と色を合わせて、何かを


伝えようとしているようです。


その絵を見たいと、作者が伝えたい変化が感じれない。


つまり、その「絵」を見た瞬間に、


脳に変化が訪れるようです。




たまに、人の脳は、自然に


目の前のことを説明しようとしている。


















テイクオフの時に、


まずは腕を伸ばし、


その反動で、腰を浮かせて、


足を前に引く。


腰をボードから、浮かせるだと言っても、


足が、前に引くぐらいだけで、丁度いいかもしれない。


それからは、腰を低く保って、バランスを保つ。


テイクオフした後に、腰は常に低く保つという。


特にターンする前。 進行方向を変える時。












後は、ボードが海のスープ、ピークかフェースと接触しない限りに、



サーフィンは語れないようです。


なので、フェースで走ることにとっては、


ピークとフェースがどのように現れてくる予測力が大切のようです。


そして、それを基づいて、移動することが基本、らしい。






ところで、海の辺りにあるサーフショップの前の


アスファルトには、子供がスケートボードに乗る


光景は、最近よく、見れる。


あのスケートボードはちょっと変わってる。


左右が傾げれる。


データによると、ああいう練習は、


サーフィンのターンとアップスの練習にいい、らしい。




三秒以上立てる波はもういい波と思う。










今日、見学する時に、


うねりが来て、ピークの位置をチェックするなしに、


パドリングだけする人がいたようです。


結果は、よく、ピークと多く離れていて、


ピークがそのまま、通り過ぎることもある。


ベテランならば、ピークに近いところから、


テイクオフするようです。


そして、右に行こうと思ったら、


テイクオフした後、すぐ、左に曲がることもある、ようです。



ピークに近づいて、パドリングして、


目の前に、パドリングしながら、ピーク側から、


曲がって、波に追うベテランもいるようです。
















部長の言うとおり、


サーフィンはちょっと滑り台と似てる。


パドリングして、波に追って、


一番、高いとこに近いあたりに、テイクオフする。


滑り出す寸前に、テイクオフで、ボードの制御を


両足に替えるということです。





もし、体の調子が元に戻ったら、


もっと実戦データを集まってみたい。