こんばんは!マロンですほっこり

訪問ありがとうございます!




↓続きです





ウィッグが手元に来たのが5月末頃。


4月半ばに脱毛が始まり

ここまでで約1ヶ月半ほど。


この期間で部分ウィッグでは

隠せなくなるほど急速に脱毛は続いていた。




ブログに書いてみるとやはり

要約みたいにはなってしまうため


トントントーーーンと

進んでいるように感じるかもしれない。




ブログを読んだ旦那さんに


こんなもんじゃなかったよね、現実は。


と言われた。





ま、そりゃそう。

現実はもっと大変だった…。


こんなにキリっと

即決断してたわけでも実はない。


私はかなり最初の頃は

ウジウジのウジヤロウだった。


情緒がジェットコースターのようだし

よく絶望してメソメソ泣いていた。





まず、頭に塗る薬だが

旦那さんに塗ってもらっていた。



脱毛範囲が広いため

自分じゃわからない。


なので塗ってもらっていた。





仕事から帰ると

薬を塗ってもらい待ちの脱毛嫁がいるのだ。


毎日、ダルかったと思う。。。





しばらくすると旦那さんが


薬は自分で塗ったほうがいいんじゃない?


と言ってきた。






最初、私は


ダルいんだ…嫌なんだ…そりゃそうだよね、と


小さく傷ついたが





旦那さんは

分で脱毛に向き合わないといけない

と思ったらしい。


私は向き合いたくなくて

確かに髪に触ろうとはしなかった。





それでもウジウジする私に旦那さんは


いい加減覚悟を決めなよ!


と突き放すように2度ほど言った。






覚悟を決めなきゃ。

腹を括らなきゃ。


なのに全然決められない。

全然、私は弱すぎる。


毎日そう思って

弱すぎる自分と闘っていた。






触ってあげないといけない。

自分を受け入れないといけない。



私はしばらくして やっとそう思えた。




そこからは薬も自分で塗るようなれた。






それからは自己流で色々やっていった。




例えば


鏡に映る自分の惨めさに泣きながらも

今まだある髪の毛をしっかり触って




《ある》



を、体と脳に叩き込んだ。



現実、髪はなくなっていくけれど

脳に触覚や視覚で髪はあるをインプットさせた。



未来に《ある》という意識を繋げるためだ。




まだある少ない髪を撫でて


ある、ある、ある、ある、


と、鏡を見ながら

にこやかに撫でていた。



でも、たいてい

笑顔の目からは涙が出ていた。

それでもやるのだ。覚悟を決めたのだ。





私は


円形脱毛症の今は受け入れたが


円形脱毛症の人生は受け入れない。




髪のある未来しか見ない。

腹は決まった。




旦那さんに散々言われて

ウジウジのウジヤロウから

やっと卒業出来たのだった。






つづく